世帯分離は1つの手として、できそうな人は考えてみていいと思いますが、 「世帯分離しない?」という提案は、それなりにフェアな関係性でしかできないと思うので、なにはともあれ→#世帯主ではなく個人に給付して です。
ならないし、ならないし、ならない。 twitter.com/asagonsotegon/…
ふつーに、じゃあ絶対に異性愛者も「結婚報告」とか「ランチタイムの惚気」とか「飲み会の恋愛トーク」とかすんなよってなるよね????
「不妊治療で生まれる子どもより、闇に葬られる子どもの数の方が多いのです。この子たちに生まれてもらうほうが少子化対策になります」 よりによってフェミニストが、中絶に関してこんな雑な物言いをするなんて信じられないのだか…?! business.nikkei.com/atcl/forum/19/…
数年前訪れたカナダにあるフェミニストのセックストイショップでは、安心して買い物できるよう女性限定の時間帯が設けられている。そしてそこには当然トランスジェンダー女性も含まれていた。シス女性にとっての安心なスペースは、トランス女性の権利と引き換えなんかじゃない、と肌で感じた瞬間。
同じくらい成果が上がるなら障害の有無なんて関係ない これって一見、「差別しない宣言」に見えるけど、でも実はただ単に「自分に都合のいいマイノリティは差別しないよ」って言ってるだけで、全然差別のテンプレ…。 twitter.com/gomachan_ks/st…
みんながみんな、同じような努力ができるわけでもないし、環境も背景も違う。 そもそもこの社会が健常者、そして他の問題においてもマジョリティに有利に作られてることは丸無視ですか。 個別的な状況を全て捨て去り「努力してできた人がいるんだから努力しないやつが嫌い」って、なんと暴力的か。
歩道でブラジャー姿になった女性は、ただ暑くて汗をかいたから、脱いだ。 そして、その時どきでエロくあるか、あらぬかを自分で決められる環境に激しく激しく嫉妬したのです。 私の場合日本では着衣していればエロいとは捉えられにくい体つきをしているけれど、それでも本当に本当に、羨ましい。
トロントにはたくさんの素敵なセックストイショップもあったし、言うまでもなく当然に、ある空間や関係性においては裸や下着姿、乳房などがエロくなる瞬間はあるでしょう。 でも、それは女性の体が、エロいものではなくたたの有機体である、ということと両立するのだと。
会社の方針でカミングアウトを原則認めないって、え?????????? そっち???????? diamond.jp/articles/-/245…
有名なカップルの破局、蚊帳の外の我々が言えることなんてないはずだけど、そのカップルが同性だというと途端に何故か皆さん評価できると勘違いなさるね? あとさ、同性婚実現を訴えることとプライベートで破局することはなんの矛盾もしませんが… 異性婚してる人も破局や不和いくらでもあるでしょ?
日本国内で集まった人の中には当然ウクライナにルーツや深い関わりのある人もいるだろうし、そうした人々の想いまでも、よくもまあここまで。 ルーツに関わらずだが、平和を願い、人々の無事を祈る居ても立っても居られない気持ちを軽く見積もりすぎている。 twitter.com/hashimoto_lo/s…
これもまた「気をつける側」へのメッセージなの?コーヒー飲むときも、被害者側が気をつけなきゃいけないメッセージ受け取らなきゃいけないのか… news.yahoo.co.jp/articles/da469…
シスでヘテロな私は「なんでシスなの?ヘテロなの?」「それ証明できる?」「シスヘテロだと認められません」なんて問われ続けるはことない。それが特権。 自分では問うよ。なぜ私はシスでヘテロなのか。でもそんなん誰にも証明できないしそもそも証明する責任はない。誰かに問う権利なんて持ってない
噛みつく時間があるなら法律を変える努力をしろ、というのも。そういう人はまさに今訴訟が進んでること、その中や周囲で多くの当事者が「本来は必要のない負担」を負わされていること、まっっったく興味ないんでしようね。どこポジだよ…ほんとに…どんだけ偉いの?異性愛者ってどんだけ偉いの???
こうやって「自分はわかってるポジ」から女と女を分断しようとするミソジニスト、もう見飽きた〜
まあ私は不出来な哲学科の学生でしたけど、こういう哲学者のミソジニーを全く気にかけずに勉強できる男子学生がうらやましかったりもしました。 指摘したら「たしかにね〜でも主題はそっちじゃなくて」なんて言えてしまう人がうらやましかったです。
産みたくても産めない社会をどうにかしなければっていうのはもちろんそうだけど、中絶について「闇に葬る」という表現を使いながらこの流れで語るの、中絶の権利(自分の身体の決定権)を求めてきたフェミニズムの真逆を行くものなのでは。
日本だと戸別訪問はダメみたいだけど、地道に直接言葉をつなげることの強さはやっぱりあなどれないんだな🔥
成果のために互いに工夫をする。 それ自体が広まることはきっと働きやすい環境を増やすことにつながる。 でも根本的な人権の認識、個別的な状況の差異への想像力、そして社会における力関係の理解がかけてしまうと、こうも易く暴力的な自己責任論に陥ってしまうのか…と。
加害者側の国で生まれ育った者として、この少女にどう触れていいのか、という戸惑いでもあった。 結局ぎこちなく、少女の握られた拳に手をのせて、肩にも少し触れたのですが、そのときの戸惑いはずっと忘れることなく、この戦時性暴力という問題について考えていかなくてはとあらためて思いました。
展示には他にも、歴史修正主義によって展示中止に追い込まれた作品たちがたくさんあり、多くが戦争の歴史にまつわるもの、特に加害の歴史にまつわるものでした。歴史を消し去ろうとする者たちの欲望がどこにあるのか、そして市民の自粛が何につながるのか、グルグル考えます。
「まだ理解を促すフェーズだから」と非当事者の心地よいレベルの発信をいつまでも続けること自体「理解するまで説明してもらえる」というマジョリティの特権性を強めてしまっているのでは、と思う。いつまでもマジョリティの「自分ごとじゃない」を許す空気が残っていては、差別はなくならない。
ヤバア 「女性が読んでも反論できない論理性」 とかから滲み出るミソジニーの必死感が辛い😂 t.co/hYQQrU6rwt
セックスするしないの同意は一旦取ればあとは何してもOKというわけじゃないってこと、「ステルシング」という行為が性暴力だってこと、もっと知られてほしいし、避妊方法の選択肢を当時から身近に知っていたら、あんなに怖い思いしなくてよかったんじゃないかな?と。 性教育、性教育、性教育!!!! twitter.com/palettalk_/sta…