「本質がわかってないね」「勘違いしてるね」「教えてやるよ」大抵が高圧的。自分のほうが優れていると思っている?張り合っている?上から目線な態度で、自分が優位だと安心するため?自分を守ることに一生懸命で、対等性という意識に欠け、自分や相手の力を正しく見極めることが苦手なんだろうな。
これまでに2回、国連に赴いた。広島や長崎で被爆した方々が被爆体験を語る取り組みで。私は「いつまでご高齢の被爆者が証言しなければならないのか」という問いかけをした。その後ICANがノーベル平和賞を受賞。世界は良い方向へ行くと思った。が、未だ被爆者の皆さんは活動を。やるせなさを感じる。
すごいな。イチャモンつけたい?生きづらい?人なのか、どんなテーマでも絡んでくるのね。深夜にぶつけられると、こちらの思考が鈍ってるのか笑けてくるリプも。お疲れさまです。お嫌いなら、明日からはスルーして下さいませ。全ての人に良き眠りを。おやすみなさい。今からNetflixを一本観て寝ます。
#山口環境大臣に祝電を頼もう これ全然笑えないことなんだけど、皆さんのTweetを読んでたら、祝電を頼むお願いがおもしろすぎて、笑いが止まらなくなった。なんかないかな・・・あ!明日は「ミスター・ゲイ・ジャパン」コンテストだ!グランプリの出場者に祝電を頼みたい。会場は横須賀芸術劇場です。
8月になると。胸がざわざわする。それがヒロシマ、ナガサキの人たちだけではなく、日本中の人だといいのにと思う。日本に投下されたのだから。日本も参戦したからなのだから。地上戦があった沖縄も日本。あちこちに受けた空襲も日本。他国を攻め、苦しめたのも日本なのだから。 77年間、戦争をして
いないという意味での平和は維持している。 祈ったり願ったりするだけではなく、先人が考え続け、築き上げてきた平和。平和のもろさを知ってる人たちが守り続けてきた平和。 8月は平和に感謝する。戦前にならないためには・・・と思考し、誰かと話してみる。
哀しくて、泣きながら、知っていった。時に夢でうなされ、ご飯が喉を通らないこともあった。 あのような教育はありがたかった。 想定、想像するチカラ、そして、憲法、核保有、武器などについて、ムードや感情で発言せず、調べて、思考して、言語化したいというチカラもつけてくれたように思う。
終戦・被爆から77年。 広島で18歳まで受けた「平和教育」は、過去の戦争を教わる教育だった。ほぼ教科書にはない学習。 被爆者の証言、戦地で戦った元兵士の語り、映像、写真、はだしのゲン、ケロイドのホルマリン漬け、焼けた衣服・・・資料を元に作文を書き、巨大な被爆画も描いた。怖くて、辛くて、
「茶色の朝」という本をご存知ですか? フランスの政治を動かしたベストセラー寓話です。 違和や不安、不信、理不尽に感じることを、スルーしない、思考し続ける、発信する、そうした勇気が大切だということ教えてくれています。 まさに今を生きる私たちへの警告の書です。 #茶色の朝
“権力者は許される、ということにジワジワと慣れされてきてる感を否めない。失言のみならず、公文書の改竄や廃棄が常態化だし、具体的な証拠を突きつけられても「批判は当たらない」「全く問題ない」などの答弁で済まされ続けてるし・・・” と、無力感に苛まれる前に発信してみる。
「組織としては一切関係ないことを確認しました」って、便利な表現だなあ。その組織に属する人が98人いただけってことかあ。組織って、属する人で成立してるんだけどなあ。
悪質性がこれだけ明らかになのに、恩恵を受けた議員先生たちは、「今後は関係を一切断ちます」「違法行為は厳しく取り締まっていきます」とこたえないのが、ナゾ。そして、「被害者の救済に取り組んでいきます」となっていかないのが、ザンネン。
個人的に追悼しているし、いかなる理由でも犯罪は絶対許されるものではなく、真相は追求してほしい。が、個人的に追悼することと、国を挙げて悼むことは、別物ではないのだろうか。違和感が拭えない。もちろん大喪とも同列ではない。 と書いて、不安になる。こうした言動が抑圧されないか、怖い。
選択制夫婦別姓や同性婚の成立を反対する理由として、「家庭」「家族」の価値を強調されると、違和感しかない。そこが愛情を育むための居場所としてではなく、封建主義を維持する役割を期待しているから。
国会議員がカルト宗教の信者であっても、法的には何の問題もない。信教の自由は憲法で保障されているのだから。だからこそ厄介。何の問題もないことが、社会の大きな問題。危険過ぎて、不安しかない。
母親だけを責めても、被害者も関係者も救われないだろう。ここまでのマインドコントロールで追い詰めてまでお布施に繋げるカルト宗教の洗脳の危うさと、こんな惨劇になる前に容疑者を救えなかった社会の危うさを言及すべきでは。 news.yahoo.co.jp/articles/999a7…
同郷の「ポルノグラフィティ」。 番組で初めて会った時、「よく因島からミュージシャンになろうと思ったね♬!スゴイよー」と言ったら、「東ちづるさんがおったんで、僕らもめざせる思うたんです」と言われ、気絶するほど感激した。 偉大過ぎる後輩!!一生大ファン! thefirsttimes.jp/news/000015307…
あるタレントさんがGetの活動参加を決めていたのに、レギュラー番組スタッフからNGが。芸能人の社会活動を事務所や番組がコントロールするのって、ナゾ。成人タレントが、自分の意思で活動できないって、ナゾ。プロのスキルが社会に役立つって幸せなことだし、仕事では得難い成長もあるのに。まじナゾ
「政治は分からない」「私の1票で何が変わる?」と無関心だと、何が起こっても心を揺さぶられなくなるだろう。そんな思考停止はラクにだろう。でも、ずっと思考停止ってわけにいかない。生きてるから。いつか生きづらさに気づかざるを得ない。それってシンドイ。そこで諦めるしかないのは無念だなあ。
昔、隣席のコメンテーターが首相の友だちジャーナリストだと存じ上げなく(無知ゆえの無邪気で愚かだった)、CM中に煽られ、つい忖度無しのぶっちゃけトークをした。すると、その方の口添えで急に降板させられた。#もう安倍友コメンテーターはいらない が広がっている。社会はアップデートするんだな・・
「芸能人なんだから発信は、よく考えて、責任を持って」と。それはもちろんです。が、それは全ての人に言えることだと思っています。名前や顔を出さないから無責任でもいいとなったら、Twitterの利便性や楽しさが損なわれてしまいます。
「芸能人は影響力あるから、政治的発言は控えて」と。芸能人の表現に影響されないぐらい、ご自分でも思考し、言語化することをお勧めしたい。どんな職業でも、発言を封じられるのは理不尽なことです。
「芸能人は政治に関する発言は控えた方がいい」という助言(?)が。どこかや誰かの非難はしません。ですが、思考し、表現することは、これからも大切にしていきます。会社員、学生、教師・・どんな職業や立場の人も、政治は生活。政治に関心を寄せることは、自分の人生に責任を持つことだと思います。
これまでの情報だと、カルト宗教団体と保守政治の癒着が問題のようだ。「民主主義への冒涜」「言論の封殺」という視点で語り始めると、問題がズレてこないだろうか。政治信条の問題でもなく、個人的な恨みがあったわけでもないという供述なら、カルト宗教の被害者家族の犯罪ということになるのでは。
#私たちが求めているのは民主主義であって暴力ではない と思っている人が、こんなに大勢いる。ということは、#選挙に行こう ってことだよね。投票率が上がらないとおかしい、ってことだよね。