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「誰よりも仕事した」と言うが具体的には何なのかがわからないし、「息子みたいな年の私に時間をつくってくれ、思い出すと言葉が出ない」と個人的な事情込みで涙目というのは、まったく評価できない。この人が雰囲気で扇情する危険な政治家であることを証明している。 reut.rs/3n0Bh0Q
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キャンパスで原理研が大問題になっていた時代を経験しているし、勝共連合・統一教会と自民党との結びつきは常識だったので、そのこと自体に驚きはない。むしろ、その繋がりがあたかもないかのように隠蔽する論調が逆に浮かび上がらせる、日本の政治自体の核心部でのカルト化のほうが恐ろしい。
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作家ソローキンの力強いメッセージ。「プーチンの命運は尽きている。なぜなら自由と民主主義の世界は、彼の暗く陰鬱な隠れ処よりもはるかに大きいからだ。彼が望んでいるのは、新しい中世、腐敗、嘘、人間の自由を踏みにじることだからだ。彼は過去だからだ。」 theguardian.com/commentisfree/…
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リンク先の展覧会サイト、高峰秀子のいい写真だと思うけれど、右手のあたりの処理が不自然なので調べたら、煙草をもっていたせいのようだ。
mikimoto.com/jp_jp/news-hal…
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私も最後のプラハとパリの話のご都合主義にははっきり言って怒りを感じた。「両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた」──この著者はブチャについて沈黙するのと同様に、アウシュヴィッツについても無視する。パリからアウシュヴィッツに送られた人々のことを。
asahi.com/articles/DA3S1…
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菅首相の「総合的、俯瞰的」といった言葉遣いや果てしない論点ずらしは、オーウェル『1984年』の「新語法(ニュースピーク)」ではないかと思った。それは思想警察によって管理された言語である。
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ベルメゾンの件、L'architettura del Terzo ReichはArchitektur im Dritten Reich 1933 - 1945のイタリア語訳なんだろうな。この時期の建築について1960年代に出版されている先駆的書物。第三帝国のプロパガンダ書じゃないんだけどね。
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ドイツの学者ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒトが15年前に慶應で行なった講演「大学の人文学に未来はあるか」より──「大学において人文学が果たすべき役割は、私が「リスクフル・シンキング」と呼んでいるものです。リスクフル・シンキングとはどんなものでしょうか?」
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「リーフェンシュタールは戦後、「ナチスの思想に関心はない」などと主張し、日本などで「政治性はさておき、芸術性は評価できる」との見方もあった。だが、独仏合同テレビARTE(欧州テレビ協会)が昨年、衝撃的なドキュメンタリー」asahi.com/articles/DA3S1…
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しかし、昨日の豊永氏の論説、ナチの傀儡ヴィシー政権下のパリについて「同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る」と書いているが、フランス政府が責任を認めているユダヤ人の大量検挙→絶滅収容所送還の事実など、国際政治学者なら知らないわけないだろうに。理解に苦しむ。
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この本の著者のAnna Teut氏は女性で初めてドイツ工作連盟のトップになったひとだし、建築史家・出版人・ジャーナリストとして立派な業績のあるひとなのだから、第三帝国を扱っているという理由だけでこの本が何か政治的に正しくないとするのはおかしい。
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「批判的精神を許容せず、対話や説明を拒否し、任命権をちらつかせて単一の同質性へと思考を押しひしいでゆくふるまいを、我々は受け入れることも看過することもできない。」日本学術会議の会員任命拒否についてー学長の見解|国際基督教大学(ICU) icu.ac.jp/news/201008100…
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元写真のキャプションに「手の表情は言葉よりも雄弁だ。美しくありたいと願うなら、指の先まで」とある。ヘビースモーカーだったという高峰は、煙草をもつ指先の表情にも気を配っていたと思うのだが・・・。
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この状況下で大衆現象としてのフォビア(排斥の動向)が起きてしまうことは避けがたいが、だからこそ、ロシアならロシアの言語・文化・芸術・思想を知ることの意義や必要性をわれわれ文化研究者は訴えるべきなのだと思う。
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『土偶を読む』と『土偶を読むを読む』を読んだ。前者に対する後者の批判が全面的に妥当だと思った。なお、前者が「イコノロジー」と呼んでいるものは単なる形態的類似の指摘に過ぎず、パノフスキーによる用法で一般化されている美術史的理解とは大きく異なり、この名で呼ばれるべきではない。
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「日本の大学は、論文の質、量ともに低調で、世界のトップ大学から大きく水をあけられていると指摘されています。・・・諸外国に比べ、圧倒的に研究費その他の資金が不足しており、そのために相対的に順位を下げているのです。」この人はその責任者だが反省のひと言もない。
mext-gov.note.jp/n/n05419000c097
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院生が主体で立ち上げた東京大学大学院・表象文化論コースのWebジャーナル『Phantastopia』(パンタストピア)が公開されました。
phantastopia.com
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或る時期から、国立博物館・美術館の活動や国立大学の教育・研究は「国民=サービス受益者」の納める税金に対する「サービス」と見なされているが、これってネオリベラリズムのイデオロギーじゃないのか。国立の組織と国民の関係性はもっとコモンズ的なものであるべきでは。
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ウクライナ侵攻に関するボリス・グロイスのインタヴュー。「この戦争はロシアの政権の終わりの始まりである。」「唯一の真の解決はプーチン政権の崩壊でしかありえないし、そうであるべきだ。」
monopol-magazin.de/boris-groys-uk…
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「私が言いたいのは、人文学が社会の行くべき方向を示さねばならないということではなく、人文学は社会の硬直化を防ぐべきだということです。人文学は、世界の動向をめぐる様々な視点の蓄えをつくるべきであり、その方向で、未来の人文学者に限らず未来の社会の一員をできる限り鍛えるべきです。」
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「そして、私たちは、この怪物を、彼の権力のピラミッドとともに、永遠に、そこに──過去に──とどまらせるため、全力を尽くさなければならない。」
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ネット上の甘利明氏インタヴュー(2019年)から前東大総長・五神真氏の「そこで五神さんに、「あなたが総長になったら、私〔甘利氏〕についてきてくれますか」と聞くと、「その節には一緒にやります」と言ってくれた。」という発言が削除されている件について。
before-and-afterimages.jp/news2009/2022/…
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社会の中でこのような質問が許される場がひとつあるべきだということです。このような問いは、公共の場ないしテレビにはむいていないものだと思います。高校でなされるべき質問でもないでしょう。唯一、この問いを発することが可能な場所が大学であり、その中でも人文学なのだと思います。」