いつも素朴にびっくりするのだけど「作者が(理由は色々だけど)セクシャリティや人種、ジェンダーが多様な物語を描きたいから描いてる」という発想がない人がたくさんいるんだよね。外圧とかプロモーションだと思ってる。びっくりする。
『チェンソーマン』や『宝石の国』それに『忍者と極道』もそうかもだけど家族という出生で決まる制度から逃れて、疑似家族の絆と共に幸せを見つけるんだけど、その擬似家族も構造化された搾取の中にあって、客観的に見ると地獄だっていう所を描いてる。今や疑似家族も主体を挫折させてくるのだ。
アニメは「男を降りる」方法を提示してきたの?という疑問が最近ずっと。それから逃げる先だったのに、男性の多様性をアニメは示さなかった。多様な男性に悲惨な末路を示してきたし、強い男性をずっと作ってきた。だからアニメ的想像力の中で男性を辞めるには、女になるしかなかったんじゃないか?と…
この彫刻一つ一つが33百万ポリゴンあって全部で五十体くらいいるらしい。ノーマルマップもバンプもなし、ベイクしてないモデル(!?) しかも #PS5 実機で動いてる。PS4は一番重いメインキャラでも数十万ポリゴンだったのでこの差よ……。岩も端を見ると凹凸がポリゴンなことがわかってしまう #UE5