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生クリームを使い高級感を楽しむ贅沢なフルーチェの食べ方があるそうだ。私はこんなの認めませんよ。フルーチェというものは、自分の煩悩と対峙して固体と液体のぎりぎりの境界線を見極めつつ牛乳を注ぐ修行です。そこで人は「欲をかくと本来の目的を果たせない」ことを学ぶのだから。フルーチェは修行
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お念仏すれば性格や人格が良くなる。ということはない。ひとりお念仏してると心のどこか光の当たらないような片隅から「お念仏してて偉い」「信仰がある」という傲慢さが薄い煙のように立ちこめてくる。その無味無臭の煙で中毒をおこす。念仏しない誰かと比べて性格が良くなったと勘違いをし始めるのだ
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法事はガマン大会になりやすい。足が痺れて痛い。それを見越して僧侶側から「どうぞ途中で足は楽にしてくださいね」と言っても、足を崩す人は少ない。なので最初に「皆さん、足を崩してください。途中で正座していただいても結構です」と言うと、みなさん笑いながら安堵の表情で足を崩して法事に臨む。
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ある先生が講演で「ここ水があります」とコップを掲げた。
(あ、知ってる自己啓発の「この水が多いか少ないか判断するのは自分の心です」みたいなやつや…)
先生「多いか少ないか…それぞれですが、コップをずっと持ち続けるのはキツいです。悩みも同じ。コップを置けることが大切」の言葉に目から鱗
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まぁ、パックに入っているということをなんとなく粗末にしているように見えるのも私の価値観なんですけどね。ふぅ…自分の中の差別性に気づくとしんどい…とはいえ、それこそが仏教の説くところなんですよね。やっぱりしんどい。
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無意識におこなわれている「命の価値」を決めるという行為。個人の中に秘めた差別性は、表に出すと凶器となります。それを公にすること、その差別性を是(広告)として発信することは果たして何を生み出すのでしょうか。
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「命の価値」を勝手に決めることをしてはいけない。とはいえ、無意識にしてしまいます。宗教者、僧侶であっても「命の価値」を決めることはできませんし、するべきではないと思います。しかし現実には、しています。私にとってゴキブリと息子の命の価値は違います。
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サービス自体にはそれぞれが価値を見出し、サービス提供者はその価値を定めて提供すべきでしょう。
しかし、信仰対象のシンボルに向けて発泡トレイとラップをするというサービス提供者の主観的な「価値」付けをすることはおこなうべきではないと思いました。それは「命の価値」を決める行為だからです
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■葬儀の商業化について
実際に病院の霊安室からの搬送、火葬などの行政手続き、葬儀の準備や運営管理などに携わる葬儀社という存在は必要不可欠です。よりよいサービスを適正な費用で提供されるためにも資本主義経済で一定の競争は必要ですし、否定しません。それを形骸化と呼ぶことはありません。
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宗派の本部から電話があったときの気持ち
#ジブリで学ぶお寺の日常
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@pu8sm それは素晴らしいことです。ぜひ仏壇を掃除してみてください。
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@izuchi234 玄関を掃除してみてください。本当にびっくりしますよ。玄関がきれいになります。
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これは本当に信じられないかもしれませんが、失恋や仕事の失敗などで気分が落ち込んでいるとき、仏壇を掃除するといいです。仏壇がきれいになります。
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心ない言葉や暴言を受けたときにまわりの人が「スルーしたらいいよ」というの、銃で撃たれたあとに「弾、避けたらいいいよ」というのと同じだから…😭さらに、みんなで反撃して銃で撃ち返すよりも、まず手当てしてあげてください🙇♂
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@kojomrmt なんでだろうアルマゲドン思い出しました。共に祈ります。ありがとうございます。
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お経のフェス。宗派と地域と性別を超えたお経Liveを本日無料公開していますよ。祈りのリレーをお見逃しなく! twitter.com/tsutsu111111/s…