重版出来!「東京「暗渠」散歩改訂版」これからの季節の街歩きの指南書としてぜひお手元に。東京のまちの広がりの見え方がガラリと変わります。もくじをお知らせしていなかったのでご紹介。4000本の暗渠・開渠を記載した超大型暗渠マップつき。 #RTお願いできれば#暗渠 amzn.to/3mFdcZm
左は現在の、右は80年前の野川・入間川・仙川の流路。今の川の役割は速やかな排水にあり、流路はまとめられ滑らかに改修された。その姿に慣れるとつい川は一筋と捉えがちだが、かつて川の役割が灌漑用水だった頃その流れはいく筋にも分けられ複雑に絡み合っていた。人との関係性が川の姿を決める。
【お知らせ】文春オンラインの暗渠記事第3弾は池袋駅東口を水源としていた水窪川。闇市、巣鴨プリズン、護国寺、音羽の製紙業、密かに残る湧水…町の歴史が失われた川跡に交錯します。 #暗渠 #水窪川 #文京区 #豊島区 bunshun.jp/articles/-/500…
「センター街の方は宇田川」→暗渠化前は現・文化村通り沿いを流れ、昭和初期の暗渠化時に井の頭通り下となった。センター街は関係ない。 「宮下公園の下は穏田川」→渋谷川(穏田川)は宮下公園の下ではなく外縁を通っている。ちょっと論拠の事実提示が雑過ぎ。 dailyportalz.jp/kiji/walking-w…
【お知らせ】文春オンラインに渋谷川の記事を書きました。 #暗渠 #渋谷川 bunshun.jp/articles/-/460…
#玉川上水 中藤新田分水は、1kmほどの区間が幕末に胎内堀(素掘りの暗渠)に切り替えられた。先日国分寺市によるこの暗渠の発掘調査現場をご好意で見学させていただいた。暗渠になる以前の埋め戻された水路が土質の違いではっきりとわかること、暗渠がかなり深いところに掘られているのに驚き。#暗渠
炎上中の隈研吾棚田案件、少し前の航空写真みると一応耕作放棄された棚田を利用してはいるのだな。2万5000分の1地形図ではまだ水田記号が記され、南東には現役の棚田もある。
中野通りの拡幅で、今月いっぱいで撤去されてしまう、桃園川暗渠の桃園橋。すでに前後の建物はセットバック済だ。1936年から85年間、そのうち過半の期間は水面を失った後。無数の人々がこの橋を渡った。中には生まれた時から亡くなるまで渡った人もいたかもしれない。 #暗渠 #桃園川
今日は東京大空襲の日から77年。未明からの空襲で、現23区エリアの三分の1が一夜にして焼け野原となり、10万人が木造の日本家屋を効率よく焼き払うために開発されたM69焼夷弾で焼き殺された。「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」には終戦までに空襲で焼失した地域が赤色で塗られて示されている。
10年前、渋谷川(古川)にかかっていた個人所有の橋が消えた。 暗渠に残る川だった頃の痕跡も、時の流れとともに少しずつ消えていく。そんな、風景がなくなることについてのお話し。 #暗渠 #路上観察 消滅。 michikusa-ac.jp/archives/37472…
講座資料で説明しなかった1953年狛江町全図記載の「天然クラゲ」。1946年に砂利採掘跡の池で発見され、その後毎年確認されたため1951年には国指定天然記念物に指定されたが、1959年以降発生が途絶え1969年に指定は解除。1972年には砂利穴は埋め立てられ都立狛江高校となった。
ソースの官邸サイトには「火曜日における増分は、当日公表した総接種回数(前日の月曜日時点)から前日の月曜日に公表した総接種回数(前週金曜日時点)を引いたものであり、その間の土曜日及び日曜日に報告された接種回数が含まれている」とあり3日間で100万回。ミスリード。 sankei.com/article/202106…