ユニクロのヒートテック
マイクロソフト社に申し上げたいのは、人が仕事中に急いでパソコン画面を開こうとして、システムの重さに苛立っている時に、頼んでもいない世界風景写真を日替わりで見せてきて「気に入りましたか?」などと煽らないでほしいということです。
私は以前には自分の姿を映した写真、自分の動きを撮った動画、自分の声が入った録音に触れることで恐ろしい絶望を味わいました。映像や他人の目を媒介として、自分自身と折り合いをつける必要がありました。赤いレオタードでおまるにまたがったのもそのためです、と言ったら少し嘘になるかもしれません
わたしたち、さびしい生活をしている人にとって、年末の切なさはひと際ですが、あと1週間くらいすると全然関係ないので、いまはちょっと怖い夢を見ているとおもって、もうしばらく我慢しましょう
2020年について考えています
新宿御苑 rosso イベント「しんえん」@scene6
どうせくだらないデマだろうとはみんな思っているのですが、そうしたデマに反応して動く人々のせいで本当に品薄になるということを予想して一応買っておくということを人々がするので本当に品薄になる、という事態が容易に予想されるのでやっぱりみんな買いに行くだろうと予想して、やっぱりみんな買い
みんなどこでマスク買ってるんだろう
昨年の秋から生活のストレスが強くなって体調の悪化が止まらず、アトピー性皮膚炎の症状も進んでいます。体が弱ってくると死を意識して人生を振り返りますが、そうすると今までの苦しかったことがひとつの思い出として浮かんできて、そうだ、自分はいつも苦しかったのだと気づくと何か温かさを感じます
もう生きていてもしょうがない、早く死んだほうがいいと思うことは多いです。ただ自分ができることは全部やってるだろうか、まだ何かやり残していることがあるかもしれない、できるのにやらないのはよくない、本当にやれることをやりきって最後の宿題を終えたら安らかに死ねるのではないかとも考えます
若い時は自殺したいという欲求と死に対する恐怖の間で葛藤することがありましたが、年を取ってくると、年齢による身心の変化に敏感になり、死はこちらから求めなくても近づいてくるのを感じます。疲労した体に過去の人生の情景が断片的に回想され、何か「本当は生きたかった」という想いがこみあげます
町田に行きました
世の中には大人になれる人と大人になれない人がいるような気がします。なれる人は小学校のうちから大人になってしまうこともあるし、なれない人は60歳になっても70歳になっても大人になれないように思います。スーパーで買い物をする時とかに自分の手を引いてくれる人がいないことにふと気づきます
今まで読書をするのは何かを獲得するためだと考えていましたが、むしろ頭の中を空にして鎮めるためかもしれません。ワンパターンの有害な想念にとりつかれて空回りを続ける頭を違う文脈に導き、あまり自分に媚びない地味な情報の流れを野菜のように噛み砕く作業を通して落ち着かせる。ツイッターはダメ
人生は長い長い怖い夢のようです。子供の頃に自分を取り巻いていた世界はいつの間にかどこにもなくなって、 無数の人肉が使役され廃棄されていくだけの冷たくて暗い大きな工場のような中をずっとさまよっています。早くここから抜け出して、思い出せないふるさとの温かい世界に戻りたくて泣いています
美しく楽しくかけがえのない物が社会の濁流にのまれて消えていくのを眺める時、何となく胸が張り裂けるようなかんじがあり、目の周りがこわばって涙も出ませんが、人は濁流に身を任せて行く所まで行くしかなく、固くなった心はいつかはほどけて涙を流す時も来るでしょう。生と死は運命だと思っています
何かを練習したり学んだりしている時、以前に理解し認識したはずの基本的なルールや教訓をいつの間にか忘れて迷走を続けた挙句に再び思い出すことがありますが、これはまったく無駄な繰り返しなのでしょうか。一度忘れて迷走したことには理由があり、再び思い出したことには新たな意味がないでしょうか
お店でアパレルを買ってその場で着たいけれどハサミを持ってない時に、素手でタグファスナーを切る方法
子供のとき戦隊ヒーロー物語や冒険活劇で主人公やヒロインが囚われの身になって辱めを受けるシーンにはドキドキしたものです。囚われの身と辱めの物語には不思議な甘美さがあって、ちょっと後ろめたい気持ちを抱きながらも、つい憧れてしまいます。
おやすみなさい
私を含めて世の中の普通の人々は、周りの人間たちの言動をうかがって「これくらいのことを言っておけば無難だろう」という発想で物を言うものです。自分が本心から考えていることを不特定多数に向けて率直に言ってしまうような人は、変わった人と扱われ、避けられたり迫害を受けたりしやすいと思います