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「自分が何を言ったって変わらない」「自分が言ったところでそれはもう既に誰かが言ったことだ」「後々恥ずかしくなるのが嫌だから言わない」作品を世に出すことを躊躇う人は、殆どこのどれかを患っている。そんな小さなことで作ったものをゴミにするなら、始めから作らない方がいい。
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何も考えず、ぼーっと過ごしている間は、本当に楽だ。幸せな瞬間は、常に疑問や思考の無いところに生まれる。これから起こり得る憂鬱なできごとを、如何に無視できるか、如何に知らずにいられるか。幸せであるということは、外から与えられるものではなく、自分の心の一部をそぎ落とすことだ。
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道端で誰かとすれ違う瞬間、相手が喋っていた何気ない一言が妙に明確に聞こえることがある。今日の昼下がり、大学生くらいの男の子とすれ違ったとき「ねりものくん」という単語が耳に飛び込んできた。それ以来、僕の頭の中ではねりものくんがずっとかまぼこを作っている。
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鬱陶しい人たちばかりだ。好きなようにやれよ。
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結局人と人とはどうしようもなくわかり合えないものだと思う。自分の胸に内包されている、名状しがたいあやふやなものは、言葉や音楽でいくら妙味に表現できたとしても、決して胸の外には出てこない。言葉や音楽はコミュニケーションのツールとして不完全であり、歪であり、だからこそ面白い。
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鉛色のトンネル、等間隔に並ぶライトを手繰り寄せながらバスは走る。曲がりくねった長い長いストローみたいなを道を通り、あなたの体内へと帰ってゆくのだ。
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他人の本気を茶化すような人間にだけはなりたくないもんだ。
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僕が中学生だった或る日、学校の給食にブロッコリーが出た。小さな器に茹でたブロッコリーが三つ入っているだけのもの。ブロッコリーが嫌いな僕はその光景に辟易としていた。隣の席の友達はそれを見るや否や消え入りそうな声で「森じゃねえか・・・」と呟いていた。彼もブロッコリーが嫌いだった。
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自分を語るというのは、どうしても下品にうつるし、隣人には煙たがられるかもしれないけど、さもなければ、毎日がつまらない。どうしようもないくらいに暇なのだ。しょうもない生き物だ。
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田舎の消防団は、入団の掟として、酒が飲めるのが絶対条件らしい。定期集会と称して飲んだくれているとも。昔の彼女も同じようなことを言っていて、何処も同じなのだな・・・と。楽しそうだ。
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なんでもドイツ語では0のことをヌルと言い、7のことをジーベンと言うらしくて、従って007は「ヌルヌルジーベン」になるという話を聞いて、五分くらいずっと笑っていた。
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新幹線の背もたれの初期角度って邪悪だよね
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昔の自分は、出来ないことは何もないと信じ込んでいたけれど、根を掘り捲っていけば行くほど、そんな事実は何処にも見当たらなくて、つまらないことに固執して、繰り返していくうちに、今日は天気がいいとか、たまたま食ったうどんが美味いとか、そういう適当なものがあればいいなと思うようになった。
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家族ぐるみで仲がいい家庭で育った人間は、人間としての基盤がしっかりできているというか、素敵な人が多く思う。愛されて育ったことがありありと浮き出ており、愛したいと思わせてまわる。
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駅前で配っているティッシュを貰おうと手を出したが気付いてもらえなくてそのまま通り過ぎた人のその後の生態を探っていたら一日が終わった
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てのひらに意識を集中することによって、自在に発汗させることができる僕としては、もうすぐ炎を出すなりテレキネシスを習得するなり何か異変が起こるのだろうと確信している。
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LiSAさんの新しいアルバムに楽曲を提供しました。「エスケープゲーム」という曲です。とてもいい曲です。今日発売みたいです。よろしく。 http://www.lxixsxa.com/
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変わっていくものを愛せない人、手の届かないものに興味がない人、痛かったことをすぐ忘れてしまう人
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自分の思想が愛されて当然だと思っている人、それにそぐわなければまるで人類全ての敵であるかのように振舞う人
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誰かが死んだとか、罪を犯したとか、聞きたくないな。知らないままでいたい。知らないでいる間は、その人は生きていないかわりに、死んでもいないのに。
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人生において、嘘みたいな苦しみや、何でもないような怠惰を忘れて、とびきり楽しむことができるのは、誰かと一緒にいられるうちだけだと思うのです。
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やればできる子じゃなくて、やらないからできない子でもなくて、やろうと思わない子なんだな。
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祈るように眠る
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宇宙の果てまでも、いけるのなら、いこうかしら