Ayako Kimishima(@kimi_aya_)さんの人気ツイート(いいね順)

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数々の建築賞を受賞した複合文化施設内に作られたガラス張りの図書室。 外光が差し込む明るい書棚には、紫外線により赤色が褪色し、青い表紙になった書籍が並ぶ。
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即身仏は「仏像」ではなく、人間の遺体なので、文化財の指定を受けることができない。そのため、国や自治体からの補助金を得ることができず、護持寺院にとっては維持コストが負担となっている。 岩鼻通明先生による即身仏の解説が分かりやすい。 nippon.com nippon.com/ja/japan-topic…
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顔面をハチに巣くわれてしまった兵庫県丹波市の常勝寺の仁王像。 このほど蜂の巣を取り除く修復作業が完了し、以前の姿に戻った。 丹波新聞 tanba.jp/2022/01/%e3%80…
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大仏建立がネタなのは分かっていますが、仏像を設置することで生まれる「祈りの空間」が社会に与える影響を軽視することは出来ません。 移民の多いオークランドでは、ホームセンターで買った仏像を極めて治安の悪い街角に設置したところ、犯罪が82%減少したそうです。 buzzap.jp/news/20180831-…
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海中から引き揚げた真珠貝の中に入っていたという言い伝えがあり、所在が分からなくなっていた小城藩ゆかりの「真珠観音像」が、老朽化して解体された佐賀市富士町の月桂庵観音堂から見つかった。 佐賀新聞 saga-s.co.jp/articles/-/797…
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そこで寝てるとお迎えが来たみたいに見えるよ
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世界に一冊しかない地蔵のファッションを解説した写真集が完成した!全て山形市内で調査した地蔵です。
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富山県魚津市の海岸線で、仏像のような蜃気楼が観測された。 これは富山県岩瀬スポーツ公園健康スポーツドームが伸びたものらしい。 中日新聞 chunichi.co.jp/article/254471
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明治20年代、鉄道会社の戦略により「初詣」が普及したことを明らかにした平山昇先生によると「除夜の鐘」は明治、大正期には忘れられていたが、昭和初期のラジオ中継で再び脚光を浴びたという。京都の知恩院も除夜の鐘の最古の記録は昭和3.4年頃。ラジオ局の要請だったそう。 webun.jp/item/7816353
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八王子に歴代Windowsをまつる墓があり、人感センサーでOSの起動音流れる そうです。 日本には人間や動物以外にも様々な「物」を供養する文化があります。そのような背景を鑑みれば、今後もパソコンのソフトやハード等の供養塔が建立される可能性は十分にあるかと思います。 news.nifty.com/article/techno…
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母と一緒に山形県立博物館に行ったら楽しかった。 母「学生の頃こうゆうの好きな先生から教わったから、興味をもったのよ」 私「なんて先生?」 母「宮本常一」 !!!
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高さ236cmの蔵王地蔵尊が雪に埋もれていた。 お賽銭箱はソリに乗せて稼働できるので雪でも埋もれず。
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佐藤朝山《八咫烏》1936年 1945年、空襲によって焼失。 その場に居合わせた佐藤は、燃え盛る炎の中で八咫烏から「更に行け!」との神秘的な霊感を受けて立ちすくんだと述懐している。
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正月料理を重箱に詰めて「おせち」と呼ぶようになるのは、戦後になってから。郷土の民俗とは切り離された新しい正月のスタイルとして、婦人雑誌を通してその購買層である都市部の主婦を中心に広がったそう。 rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?acti… 現在の正月イメージは、メディアによって作られた部分が大きいな。
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クリスマスケーキがあるんだから、花まつりケーキだってあるべきじゃない?
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大船観音を通過。 博士後期課程の入学式で「どんな研究をしているんですか?」と聞かれて、「ここに来る途中の電車で大きな仏像が見えたでしょ、ああいうの研究してるんですよ」って答えたら同級生から大爆笑されました。 本日「平和祈念信仰における観音像の研究」で博士号を授与されました。
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日本で初めてキリスト生誕が祝われたのはキリシタン禁制前。クリスマスは約500年の歴史がある。 近代に入り明治5年頃にはクリスマスが行われた。これは明治20年頃に誕生した初詣でよりも早い。 なおクリスマス商戦が盛んになるのは、初詣が大衆化するのと同じく大正期。 こんな絵葉書も… オメデタウ!
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三滝寺の金剛力士像は邪鬼を持ち上げているし、髪型パンクだし色々と珍しい
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京都の醍醐寺が人工衛星開発企業と協力し、人工衛星に寺院の機能を持たせることを目指すというニュースが話題ですが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の玄関ホールのレリーフには虚空蔵菩薩の種字が刻まれているので、実は日本の宇宙開発は虚空を目指すものなのかも。 山縣壽夫《SQUARE COSMOS》1988年
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山形市、長源寺のコンクリート造の本堂を装飾するセメント彫刻が素晴らしすぎる! 大石田町出身の左官職人・後藤市蔵が大正末から昭和初期かけ制作。 海老虹梁上の仁王像など木彫ではほとんど見かけない表現もあり圧巻。 市蔵は伊豆長八に弟子入りしていたので、近代彫刻の一側面を考える上でも重要。
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中国甘粛省の法鏡寺で、職人が修復した仏像の顔が変であると話題だ。 北魏の太和時代(477~499年)の磨崖仏は、1998年に頭部が破損したことから住民の寄付で修復された。 以前からこのような表情で、修復した時に彩色されただけという。仏像の美意識は時代で変化する。 ctwant.com/amp/article/57…
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国内シェアの約70%近くを占める梵鐘の大手メーカーである老子製作所のウェブサイトを見ていたら、鋳込みを待つ梵鐘の型枠に阿弥陀如来の掛がかけられていた。 梵鐘は単なる工業製品ではないんだと改めて思う。 oigo.jp
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ミャンマー中部ピイ南郊の村に鎮座する黄金のメガネを掛けた大仏。 疲れ目に御利益があるといわれている。 何があっても、大仏のメガネは、動かしてはいけないと言われており、おきてを破ると、雷鳴とともに嵐がやってくると語り継がれている。 朝日新聞 asahi.com/articles/ASN6H…
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想像で描かれた三十三間堂の挿絵が掲載されている『東インド会社遣日使節紀行』(1669年)は、日文研のデータベースで全ページがオンライン公開されています。 shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/b…
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頭部が失われた地蔵、プロでない方がコンクリートで修復しても不思議と良い味になる。