話は180度かわるんですけど、FGOの清少納言。使役者を「マスター(主人)」とは呼ばず、「ちゃんマス」というキャラに沿ったキャピ語、またほぼ対等である呼び名なの、かくれた矜持が猛烈に尊いんですよ。 彼女が「マスター」すなわちご主人様と呼びかける存在は世を超えても世を違えても、ひとり。
………えっえっ!!!! 御即位記念 特別展 皇室の名宝/2020年10月10日(土)~11月23日(月・祝)/京都国立博物館 平成知新館【東山七条】 meiho2020.jp
このツイートに「リアル聲の形」というリプが死ぬほどついているんですが、このリプライは好きではないですね。 仮想現実を透過しないと受け止められない。なにがリアルだ。 twitter.com/tamalovepoaro/…
そもそも「聲の形」は監修がいて、それは「全国ろうあ連盟」という団体、ろう者の権利団体が監修してるんです。(私も属します) 細かい取材、エピソードの提供はその団体から齎されたもの。それはフィクション、か? 完結の仕方や感覚はとても当事者に沿ったものではなかったけれども。
補聴器を壊された、盗まれた、壊された、という話は幼年期に限らず大人になっても、社会参加の場でも、「ありました」。 それはわたしたちの世界ではまあ聞く話のひとつであり、それは決して「青春の1ページ」ではなかった。
苦難を乗り越える、障害者は美しい。というけれど、その苦難の9割は周りが与えてんですよ。物理的、精神的問わず。
イベが終わったから言いますが、2020夏イベでのなぎこさんのさらっとしたこの一言解釈の一致の一致でした。圧倒的感謝。 「これはセリヌンティウス死んだわ」 日常会話にウィットに富んだ一言をさらっとさし挟んでそっと返してくるのが、清少納言なのです。 「それがわかるだろうという人の前」で。
耳が聞こえないことの大きな弊害、病院での「初診を断られる」率が割と高いこと。 医療を受ける機会がめちゃくちゃ難易度高い。 これは障害を起因にした困りごとではなくて、障害をもとにした人災だということは繰り返し言っていきたい。
こういうときにキャッシュレス生活をしている方は割とやばいんですよ。システム障害やスマホなどが死んだ場合、クレカなどもダメな事も。現金がやはり大事。
古典畑に生息して久しいので、「11〜16歳で妊娠し/させて」人の親になるのはSFではないこと、そして母胎の産褥死、後遺症の重篤さのあまりに出産後1ヶ月中で死亡するのもとても多かったことを知っている。ので、件の未成年同意性交(成年している側が許容しているパターン)はとても、見ていられない。
わたしは耳が聞こえなくて。 ワクチン予約とるのに「電話窓口」と「ネット予約窓口」しかなくて、すぐ落ちてしまうサイトに閉口しているのだけれどFAXもダメな自治体で。打つためには、誰かに電話を頼まなければいけない家庭だと、家族のワクチンに対する倫理観を気にしなければいけない。自主性とは。
古典クラスタとしては駆け落ち婚をして周囲から「狂っている」と誹られながらも好きな方と添い遂げた皇女はいる、と知っている。 少し前までは生涯未婚がほとんどであって、政略婚のために降嫁が決まることもわずか。 悔いのない選択ができますように、おめでとうございます。 twitter.com/nhk_news/statu…
枕草子のすごいところは定子さまがもともとポジディブで人をよく「肯定して」きたことで成立した要素もあるんですよ。清少納言が自分の価値を再承認できたのは、ただただ尊い身分のお方に仕えられた、というだけではない。あなたの価値観、物の見方が新鮮で素晴らしい、と直接言葉で伝えられたから。
わたしは胎児期の防ぎようがないウイルス感染で、脳の聴覚神経細胞がことごとく壊死していって、下手すると聴覚どころか呼吸などの領域に及べば死ぬこともあった。生きてるけどね、聴力を引き換えに。 だから、防げる、いくらか対抗できるウイルスや感染症についてはどんどん防いで行って欲しい。
「源氏物語」「枕草子」舞台の建物跡 京都の発掘調査で初確認 | 京都新聞 kyoto-np.co.jp/articles/-/672… ヒェーーーー!ガチの聖地きたーーー!!登華殿、定子様の御座所です!!!しかも弘徽殿、歴代の中宮、皇后が大体住んでいたところ。ガチの格式が高い正妻のお住まい。わわわわわ。
古典クラスタやってると、むかしの人たちの食事事情の劣悪さ、味付けの薄さ、素材の乏しさのために推しが死んでしまったり、「たらふく食えることが貴族の贅沢だったけど、みんなお米を大量に食うので糖尿病コース予備軍」という切なさに泣ける。2000年代の食事をウーパーイーツしたい。させてくれ。
私は耳が聞こえないんだけれどむかし、停電でエレベーターを使っている途中で停止したことがあってその時のことがものすごくトラウマになっている。 非常時の連絡ボタンが「通話」しかないし、照明が消えてしまったら何も見えなくなる、つまり得られる情報が大幅に減ってしまう。怖いですよ。
古典クラスタにとっては「仙洞御所」という名前が復古されることが胸熱。退位された天皇やその正妻で女院号を賜ったひとが同居するところ。 「上皇后」という号自体が新しすぎるのよ。 twitter.com/nhk_news/statu…
GW中なんですけれど、いま海外でデフリンピック、聴覚障害の五輪が開かれているんですよ。日本人選手、何人もメダルを取っています。もっと知られてほしいな。
ブラジル🇧🇷で開かれています。
聴覚障害は厳密的には五体満足であって、情報という目に見えない物量で大きな支障を受けていることと、独自の言語世界が成立しているのでパラリンピックは出場ができないのですよね。立場の平等性を考えた上で、別個として扱われてしまう。オリンピックやパラリンピックになぜ居ないのか。 twitter.com/tamalovepoaro/…
聴覚障害があるひとびとは、パラリンピックやオリンピックで手話通訳がちゃんとついて喜ぶことはできるけれど、スポーツ選手としての友人や家族をテレビ越しで応援できたことはないのですよ。
この知名度、ビジネス的な価値、低く置かれている現状は聴覚障害のある人たちにおかれている現状と重なっています。
純粋な感情としての「みていてわからない」という問題も。すぐにわからない言語、手話がたくさん飛び交い、見た目では支障が少ない障害ある人のスポーツの模様、は共感が難しい人も結構いる。それでムーブメントの醸成がなかなか進まない。 しかし、それは私たちが毎日置かれている視界でもあります。
さらにいえば、聞こえ方、聞こえの程度は千差万別で言葉の選択にも個々の葛藤や困難があります。 アイデンティティとして手話を選び取る人もいれば、後天的に聞こえなくなったために、手話はあくまでサブとして選ぶ人もいる。それぞれの背景は見えづらいのですよね。