残花録(@Fuyo1945)さんの人気ツイート(いいね順)

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1945年8月15日08:00(EDT 8月14日19:00)トルーマン米大統領はホワイトハウスで記者会見を行い、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、太平洋戦争が終結したことを宣言する #8月15日 #芙蓉録
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1945年8月14日21:00 【日本放送協会ラジオ放送】 「明日正午、重大放送がございます。国民は皆謹聴しますように」 #芙蓉録
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1945年8月6日08:30 呉鎮守府が大本営海軍部に「たった今、広島上空で大閃光と共に、キノコ型のとてつもない大きな雲ができた。遠い雷のような音を聞いた者もいる。様子が変だから、第二総軍司令部に電話したが応答がない。詳細は後から報告する」と電話連絡を行う #8月6日 #芙蓉録
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1945年8月6日08:13:30 V-82「エノラ・ゲイ」、自動操縦に切り替え。爆撃手のトーマス・フィアビー少佐が投下目標(AP)の相生橋を捕捉し、ノルデン照準器に諸元を入力する goo.gl/maps/qH3ssfmEZ… #8月6日 #芙蓉録
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1945年9月2日09:18 カナダ軍のムーア・ゴスグローブ大佐が日本の降伏受諾文書に署名する。この時、ゴスグローブ大佐は徹夜の酒盛りによって泥酔しており、フランスの欄に間違って署名。以後、署名欄は一段ずつずれることになる #9月2日 #芙蓉録
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1945年8月9日11:02 爆縮型プルトニウム活性実弾F31「ファットマン」が、長崎市松山町171番地テニスコート上空高度503mで炸裂 goo.gl/maps/nFtx46Gsg… #8月9日 #芙蓉録
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【日本放送協会ラジオ放送】 “謹んでお伝えいたします” “畏きあたりにおかせられましては、このたび詔書を渙発あらせられます” “畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午、御自ら御放送あそばされます”  #8月15日 #芙蓉録
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「ラジオはけさから軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎへと、いろんな軍歌を放送して、とうとう種切れになったか、敵は幾万ありとても、などいう古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。放送局の無邪気さに好感を持った」 ―太宰治『十二月八日』―  #虎落録
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マンハッタン計画を率いたグローヴス少将は「京都」への原子爆弾投下を強行に主張し、スティムソン陸軍長官の留守中に標的の第1候補に選定していた。報告を受けたスティムソンは激怒し、トルーマンとアーノルド陸軍航空軍司令官と会って京都を標的リストから除外した #センターボード作戦 #芙蓉録
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1945年4月7日14:23 戦艦「大和」、左舷へ大傾斜して転覆。続いて主砲弾薬庫が誘爆し爆沈する。伊藤整一第二艦隊司令長官と有賀幸作艦長を含む2740人が戦死。生存者は276人だった 沈没地点:北緯30度43分 東経128度04分  #坊ノ岬沖海戦 #残花録
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1941年12月8日06:00 陸軍省新聞記者室で陸軍報道部長の大平秀雄大佐によって大本営発表が読み上げられる 【大本営陸海軍部発表 昭和十六年十二月八日午前六時】 帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり (以上)  #虎落録
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1941年12月8日03:22(HST 12月7日07:52) 【発:第一次空中攻撃隊総指揮官 宛:空母「赤城」】 トラ・トラ・トラ (我、奇襲ニ、成功セリ) #ハワイ作戦 #虎落録
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【日本放送協会ラジオ放送】 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表」  #虎落録
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朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク  #8月15日 #芙蓉録
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新たな戦乱の中に投げ出された人、焦土の中で立ち上がろうとする人、シベリアの地で寒さに耐えながら帰国を夢見る人、祖国に帰る事が叶わなくなった人、そして帰らぬ人を待ち続ける人……私たちが「戦後」と呼ぶ時代が始まろうとしていた。 #芙蓉録
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「白木屋も炎上中、浅草観音も燃え、本所は江戸川附近まで焼野原である。焼死体もまだ片付けずにあり電車の中へひどい火傷をしたのが乗ってくるという。陸軍記念日なのだが惨憺としたものである。勝てる筈の戦に破れた原因は決して国民ではない」 大佛次郎の日記より  #東京大空襲 #残花録
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「ラジオがいきなり、B29数十機が関東地区一帯の上にいると報じた。戸塚、保土ヶ谷方面で爆弾投下の音がし、退避命令の半鐘がなった。東に当って、空が赤い。火事だ。風が強い。ラジオは焼夷弾を投下しているという。この風では――胸が痛んだ」 高見順の日記より #東京大空襲 #残花録
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「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。度し難き厚顔無恥」 ―高見順、8月19日の日記より― #芙蓉録
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1945年8月16日07:00 上陸してきたソ連軍に対して、阿部塔路町長と高村警防団長らが白旗を掲げ降伏を申し入れるも、両者共に射殺される #樺太防衛戦 #芙蓉録
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“ありがたき放送は正午でございます” “ありがたき放送は正午でございます” “尚 けふの新聞は都合により午後一時頃、配達されるところもあります” #8月15日 #芙蓉録
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1945年8月15日07:21 ラジオを通じて、正午からの「重大放送」が告知される #8月15日 #芙蓉録
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「その夜、広島の空は美しい満天の星であった」 ―山田風太郎、『同日同刻』より― #芙蓉録
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1945年9月2日09:04 重光葵外務大臣が、「降伏文書調印に関する詔書」を連合国最高司令官と手交。大日本帝国政府の名に於いて降伏文書に署名する #9月2日 #芙蓉録
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「ラジオがいきなり、B29数十機が関東地区一帯の上にいると報じた。戸塚、保土ヶ谷方面で爆弾投下の音がし、退避命令の半鐘がなった。東に当って、空が赤い。火事だ。風が強い。ラジオは焼夷弾を投下しているという。この風では――胸が痛んだ」 高見順の日記より #東京大空襲 #残花録