私は日本のスポーツ報道に常々不満があって、それは科学やデータを重視する観点が欠けていることです。今大会ではいくつもとても興味深く面白いトピックがありました。フィギュアの四回転半、トリプルコーク1440、スキージャンプ、スピードスケート、ショートトラックなどです。
例えば、報道では羽生選手の挑戦は素晴らしさや彼の内的葛藤の苦しみも伝わりますが、一体地面のどこにどの程度の力が加われば四回転半跳べるのか、着地前にどのような姿勢であれば着地できるのかなどはわかりません。またトリプルコークも同じです。科学的に分析しなければ再現性もまたありません。
私は新型コロナウイルスの報道とスポーツ報道には一貫したものを感じています。つまり、データより感情、安全より安心です。
衆議院の予算委員会での大竹先生の意見に賛同します。私なりにまとめると ・新型コロナ対策はバランスを取る必要がある ・コロナ危機による自殺は4900人 ・既婚女性の就業率の低下 ・恵まれない家庭の子供の影響が大きい ・婚姻数が11万件減った為、将来埋め合わせがなければ21万の出産減 @fohtake
どんな相手であっても行動や言動の意図を理解しようと思うなら「誰もが良かれと思ってやっている」という前提に立つことが大切です。これは誰かとトラブルの最中にいる人にとっては瞬間に拒絶してしまう考えです。「あんなことをする人が良かれと思ってやっているとは到底思えない」と感じます。
昨日、全中に部活ではなく地域クラブの参加も容認というニュースが出ました。これはスポーツ界にとっては大きな一歩で、このルールがなくなれば子供が学校主体ではない地域クラブに所属しながら試合に出ることができ、引率も指導も必要なくなり教員の方の労働時間削減につながります。
36協定をご存じの企業の人事や総務にお勤めの方には意味がよくわかると思いますが、公立中学の教員はほぼ毎週土日出勤と答えた方が全体の70%を超えており、平日の労働時間は11時間越えです。労基が入れば一発です。 berd.benesse.jp/up_images/rese…
結局のところ社会が教員の教育への想いに甘えすぎて、何でもかんでも学校に押し付けていたところがあるのだと思います。教員を普通の仕事にして余裕を持つことが子供へのいい教育につながり、社会を良くすることにつながると思います。
今後の教育の重要なテーマの一つに「どうすれば陰謀論やカルトや過激思想にはまらずに生きていくことができるか」があると思います。不良になったり、ちょっとぐらい道を踏み外すことはなんとでもなりますが、心底何かを信じ込んでしまった場合そこからリカバリーはかなり大変なものになります。
陰謀論の話を昨日はしました。詳しい方に話を聞くと、高齢男性は政治的なテーマでyoutube、専業主婦の方はスピリチュアル系でインスタグラムなど、だいたいマーケティング方法も確立されつつあるそうです。やはり動画が入り口としては多いようで、人間の情動に働きかけるものがあるのかもしれません。
最近高齢男性が増えている一つの理由には、 ・個人に最適化して推薦するシステムをよく知らない ・テレビで育った世代 があると言います。つまり、自分が一度陰謀論に関わる動画を見たから関連動画が増えているのですが、そのことを知らずみんなが同じものを見ていると思い込んでいるのが一点です。
テレビで育った世代は、テレビで流れていることを無条件に確からしいと思うところがあるそうです。今も田舎の土産物屋に行くとテレビで紹介されましたというキャプチャー写真が貼ってありますが、おそらくそれが効くから貼ってあるのでしょう。youtubeコンテンツもいつの間にかテレビ的になっています
動画で見る→どんどん関連動画が出てくる→調べてみるとたくさん記事も出てくる→いやそんなはずはと思って調べると本も出ている→動画もあり本まで出ているのになんで広まらないのか疑問に思う→広めることで困る権力層が利益を得ている人という「ロジック」を知る→確信し正義が芽生える
陰謀論には三つの魅力があります。 ①不安の解消 ②知のマウント ③仲間 です。まず第一に情報力が爆発的に増え、しかもどのレベルの情報も雑多に整理されず社会に提供されている状態になっています。これは知的に訓練を積んだ人でも大変に負荷がかかることでほとんどの人は疲れるのだと思います。
その複雑な社会をある一つの理論で整理できるなら大変なスッキリ感、快感を覚えることは容易に想像できます。しかもそこに勧善懲悪のストーリーが混ざっていればなおのことスッキリします。ハリウッド映画に正義が悪を倒す映画が幅広い層にヒットするのも人間の認知の癖が影響していると私は考えます。
知的な能力は獲得するのに大変な時間と労力がかかります。それはある年齢までについた差が逆転しにくいことを意味しています。陰謀論の一つの魅力は「賢さとはちまちま考えることではなく、大きな隠された真実に気づくことであり、気づけた人は本当の知恵を持っている人である」と思えることです。
「人は自らが欲してやまないものに人生をコントロールされる」というのが私の考えです。自らを知る以外に身を守る方法はありません。
この国に絶望しそうです。 年金生活者ら支援 5000円支給の方向で調整 政府与党 | NHK政治マガジン nhk.or.jp/politics/artic…
全柔連が小学生の全国大会を廃止するという決定をしました。私は素晴らしい決断だと思います。なぜ若年層での全国大会を行わない方がいいのか三つの理由で説明します。 ①そのスポーツが弱くなるから ②全ての子供がスポーツを楽しめないから ③競技を超えた学びが得られないから
まず若年層の全国大会が成人になってからの競技力向上に役に立っているかというとマイナス面の方が多いと考えられます。その理由の一つには早すぎる最適化があります。子供は大人が小さくなったというわけではなく大人と子供では特性に違いがあります。発達にばらつきがあると言ってもいいです。
例えば体が小さいのになぜか子供は字を大きく書きます。それは筋の調整と連動がうまくいかないから細かい作業がまだうまくできないからです。その一方でリツイ体制のバランス自体は大人とそれほど変わらないぐらいうまくできます。このように子供は大人のミニサイズではありません。
ということは子供の世代の柔道は大人の柔道のミニサイズではなく勝利のためには違う戦略が求められるということです。早すぎる最適化とはこの子供時代の勝ち方に最適化してしまったが故に、大人になって本来行き着くレベルまでいけなくなってしまうことを指します。つまり器が小さくなるということです
柔道はそれほどではないかもしれませんが、日本人が海外の試合に出てよく聞かれる質問は「日本人は10代ではあんなに強いのに、20代になってからなぜ弱くなるのか」です。要するに若年層の時代にトレーニングをしすぎて、大人になった時に世界とは戦えなくなっているというのが現状だと考えています。
欧州で中高の全国大会が禁じられた時のロジックは「子供たちはスポーツを楽しむべきであり、それは試合に出ることで補欠で試合に出られないことや過剰に勝利至上主義に走ることは避けなければならない」というものだったそうです。全国大会は勝ち抜き戦の構造を作り、敗退と補欠を生みます。