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会話にならない人と無理に話し合いたいとは思わないから、今後も返事はしないと思うのだが、それでも、「実は反ワクチンと言いたいんじゃなくて自分の感情をもてあましているだけ」の人を、指先ひとつでブロックすることに、今のぼくは大きめの躊躇がある。そんなに人は強くあるべきなのだろうかと。
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これまでにフォロー・フォロワーの関係ではなかった他人が、いきなりタメ口で何かを話しかけてきても、ぼくは基本的に返事をしない。それはなんか人と人との距離に対する考え方がぼくとまるで違うから、会話にならないと思うからだ。でも……
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リプライを送ってくる人の大多数は、本当は、反ワクチンやコロナ脳と言った思考自体にはさほど興味はないように見える。ただ不安で無念でやるせないことを言うために選んだ言葉が、「攻撃先として適度な医師に反応してもらいやすい、反ワクチン」であっただけ。それをぼくは拒絶(ブロック)すべきか。
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ぼくはフォロー外から攻撃をしかけてくる人に優しくあろうとは全く思わないし、そういう人たちが不特定多数に向かって、不適切な情報をばらまいて、他者の不幸を増大させようとしているのだったら、やめてほしいと思う。しかし「ぼくにリプライを送ってくるだけの人」なら話は別だ。
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まして、「自分とはまるで科学的な見地が違う、かかわられるだけうるさいからブロックだ」と、表情や仕草どころではない「明確な拒絶」をすることで、その人の持っている複雑な感情はどこに向かうのか。
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それらの「感情が複雑に込められた、しかし言葉としては単純なリプライ」に対して、エビデンスをはじめとする「隙のない理論で反論」したとして、それは、言葉の側や裏にある感情にどう作用するだろうか。
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「ワクチンなんて効かない」と声を荒らげて飛びかかってくる人たちの言葉には、その側に、「医者が許せない」「政治が許せない」といった、当然併せ持つであろう不満が見え隠れするが、それだけではなく、「不安だ」「やるせない」「後悔している」のような強くて黒い気持ちも必ずセットになっている。
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かつて優しい人がつぶやいた「死にたい」には、「レトリック」では済まされないくらいの迫力があり、ぼくはおののいた。しかし、今振り返っても、それは「死にたいという情報だけを伝える言葉」ではなかったと思う。それと、最近ぼくに飛び込んで来るリプライとが、構造として似ているとしたらどうか。
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以上は今回ぼくが言いたいことを説明するための「例え話」であって、本筋ではないので、そろそろ本題に戻る。
ワクチンなんてやめてしまえ、新型コロナウイルスなんて存在しない、感染症禍は人災だ、などとぼくにリプライを送ってくる人たちは、その言葉に何を込めようとしているのか。
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しかし結局、ぼくの表情ににじんだ「そんなことを言われても」というかすかな部分を、聡く優しいその人は敏感に感じ取り、「ああ、この言葉ではだめだな」と、辛いにもかかわらず、コミュニケーションのやり方を変えてくれたのだと思う。
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「死にたい」という言葉にはさまざまな感情が詰めこまれていた。本当に死にたいという気持ちもあったとは思うし、悔しさ、やるせなさ、閉塞感などを言い表すために一番ニュアンスが近かったということなのかもしれない。ぼくはそれを「理屈では」知っていたからこその、「おうむ返し」をした。
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その後、その人は、ぼくに二度と自分の苦しさを語ることはなかったし、いつもお見舞いに行くぼくをねぎらい、ときに昔話をして「私はいい人生だったので心配しなくていい」と語ったりもした。しかし、やはりぼくは、その人の「死にたい」に込められた感情を受容できなかったのだと思う。
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ぼくはすでに医者であったが、死を控えた人間の心理的なものなどろくに学んでいなかったし、身近な人の見せる突然の弱さにどう反応していいか狼狽した。「死にたいと思うの?」と、おうむ返しをして、その人の心を自分なりに受容しようとしたが、聡いその人は、瞬間的にぼくの拒絶を察したと思う。
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その人は冷静でクレバーであり、他人に対する攻撃性もなかった。長い闘病でも愚痴ひとつ言わなかった、少なくともぼくは聞くことがなかった。しかし、亡くなる3か月ほど前、お見舞いに行ったぼくに、切迫した顔で「もう死にたい」とつぶやいた。その瞬間ぼくはおそらく表情を硬直させてしまった。
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かつて、とても親しい人をがんで亡くした。その方は長く闘病していて、できる治療がなくなってからも1年以上、意識ある状態で暮らしていた。当時の緩和ケア体制は今とくらべてもあまり整っておらず、本人はベッドで寝ている以外のことをできず、自宅にも帰れず、辛い毎日を過ごしていた。
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最近ぼくはフォロー外からリプライで飛んでくる「ワクチンは不要」とか「コロナはデマ」系の人たちをブロックしなくなった。なぜ、と一言で説明できないので、ここから例え話を使う。
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これから、反ワクチン的な人びとの話を連ツイしようと思うのだが、冒頭で少し「重い」例をあげることをお許し頂きたい。これを例えに使うくらいには重い話だということであり、決して例示した内容を軽く考えているわけではない。
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「波がおさまるかどうかは感染対策関係ないのでは」と言われてたしかにそうだな、と思ったけど、感染対策がすごく適当になってしまった国の感染者数をみると、波の底の部分でもめちゃくちゃ感染者数が多かったりするので、日本の波がちゃんと毎回「収束」してるのはやっぱ対策ありきだろうなーと思う
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今までにワクチンを打ってくださった人びと、手洗い・マスクを徹底して三密を避ける生活を続けてくださっている人びと、あなたがたのおかげで「何度も波が来て、多くの人が感染しても、毎回必ずその波が収束する」のだと思っています、ぼくが言うのもヘンな話ですがいつも本当にありがとうございます
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説明うめぇなあ……こんな短い量でここまで的確に語れるものなのか。まとめがうますぎるのか
nhk.or.jp/gendai/comment…
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医者あてのツイート: 医局や学会などの制度を「宗教」とか「カルト」と呼称するの、単なるツイの言葉遊びだろうってことはわかってますが、大多数の「宗教といい関係を築いている人たち」や、一部のいわゆる「問題あるカルト宗教に悩んでいる人」たちから見ると決していい気分はしないと思います
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「ぼくは、仕事相手から感謝されることを自分のエネルギーにしており、たくさん働くにはエネルギーがたくさんいるから、感謝をより多く得られるように多くの手続きをこなして、得られる感謝をがんがん燃やしてきたが、その内燃機関ごと燃え尽きた結果、手続きにより出てくる感情にしらけてしまった」
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しかし、今回、疲労回復の過程で「他者の喜びを受け取る神経」みたいなものがマヒしたことで、あらためて気づいた。ぼくの毎日もまた、当然のように他者との小さな感謝のやりとりで動いていた。それが感じられなくなったとき、ものすごく世の中から浮く、というか沈み込む思いであった。
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過労からの回復過程で誰もがそうなるものなのかはわからないのだけれど、日常の行動原理のひとつである「誰かの感謝をエネルギーにして自分を駆動していた部分」が故障したのである。
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特にダメージがでかかったというか大きく変わったのはコミュニケーションの部分だった。目上、目下、同僚、他人、誰とやりとりをするにあたって、必要な手続きをこなすことはできるのだが、その手続きの末に相手が「ありがとう」「よかった」「うれしい」と感謝しても、自分の心がそれを受け取らない。