「経済のために多少の犠牲は仕方がない」と言う人は他人を犠牲にすることが自分を守り得をする方法だと言っているに等しい。「全ての命と生活を守りたい」と願う人に「そんなことは不可能だ」と言う人は不可能と勝手に決めつけているだけ。大昔から諦めない人が現実と向き合い可能性を広げ続けてきた。
twitterの魅力は情報の伝搬の早さと個々人の考えの共有性の高さだと思うが、最近の根拠の明確ではない凍結や偏ったルール適応によってその魅力が半減していると感じる。本来の意義を失ったり魅力の半減したサービスは信頼を失う。しかもtwitter Japanは本社とは異なった姿勢を示しているようにも思う。
難病の潰瘍性大腸炎なんですよね?私の身近にも潰瘍性大腸炎の人がいて本当に辛い病気のようです。20歳そこそこの人でも大腸全摘を真剣に考えるほど。そんなによく効く薬があるなら、この病気で長い間苦しんでいる人々のためにも、ぜひ主治医に会見してもらって何を使っているのか公表して欲しいです。 twitter.com/wanpakuten/sta…
デルタ株はワクチン接種済みでも感染するし、1回接種の効果は低くなるから2回接種が必要だと言われているのに、いつものように自分たちの都合に合わせて現実を捻じ曲げる発言ばかりだ➡丸川五輪相 ボランティアは2度接種終わらぬまま大会突入も「1回目でまず一時的免疫を」 news.yahoo.co.jp/articles/bd44d…
複雑だったり難しかったりするわけではない。ただ何をすべきかが明確で、そのすべきことがきちんと行われているだけだ。徹底検査し陽性者を隔離する。給付金や補助金を迅速に配る。医療体制を整え重症患者の受け入れを準備する。感染拡大を抑えるためにルールを決め国民(住民)に周知する。シンプル。
検査を受けた人のおよそ半数が陽性とはすごい高確率。 twitter.com/tanutinn/statu…
大阪は新型コロナ対策を本気でやらなければいけない状況で住民投票にかまけて医療崩壊寸前まで感染が拡大しています。これは大阪に限ったことではなく、日本全体が今、急速な拡大で医療崩壊間近な状況だと思います。そんなときに何故?もっと真剣に政治をしてください。 #国民投票法改正案に抗議します
政府の政策を批判すると「対案を出せ」と言う人がいますが、それを考えるのも政治の役目。主権者の「こういう社会を実現して欲しい」「この構造的な問題を解決して欲しい」という望みを受けて国会にその声を運び、どうずれば実現できるか、問題解決ができるかを議論する場が国会。国会軽視はダメです。
新型コロナは短期間で解決できる問題ではなく、収束には数年かかるという話が聞かれるようになった。多分世界は感染が始まる前の世界とは違うものになるだろう。仕事も、教育も、娯楽も、人の意識も。いまだにオリンピックに拘り頑なに現実に向き合わない日本政府はその変化についていけるのだろうか。
日本の新型コロナ対策はどれもいい加減で結果を伴わないが、日本在住の外国籍の方々が1度日本を出ると帰国できない問題は、ひじょうに今後に悪影響をもたらすと思う。LinkedIn(世界最大級のビジネス特化型SNS)では、最近は日本政府や首相に対する怒りの投稿も見られるようになったと夫が言っていた。
「野党は何もしない」「野党は反対しかしない」「野党がだらしない」「(首相は)他に良い人がいない」「野党よりはまし」これらはメディアがまともに報じないからではないのか?社会がこれ以上破壊されてどうにもならなくなるとしても、日本のメディアは今の報道姿勢を変えるつもりはないのだろうか。 twitter.com/psy_kagami/sta…
世界中が感染者を1人でも減らそうと必死にあれこれ対策を講じている最中、感染者を1万人も増やすことが分かっていながらそれでもやると? twitter.com/kyodo_official…
日本のワクチン接種が進まないのは現段階では国のせいですね。地方自治体に丸投げし、大企業優先で企業接種も進めると言い、どんどん打てと言ったそばからワクチンが足りないから供給を止めるとは?そもそもワクチンはどれだけ確保できていて、それはどこにあるのか、納税者には知る権利があるのでは?
夫と領事館で投票してきました。今は日本に住んでいませんが、有権者個々人の1票には政治を変える力がある。それは日本の未来を変える力があるということだと思っています。変える力があるならば、未来に対して責任を負っているということ。少しでも生き易い、政府が国民や住民を守る未来を望みます。
なので外側から来た災難によって苦しんでいるということ以上にもともと日本社会の抱える多くの問題が限界に近かった。そして新型コロナで政府がまともな対策をほぼしないのに、いまだに支持率がまだ30%以上もある現実。いったい何をどう支持しているのか疑問だが、政策や実行力と評価が乖離している。
日本の検査はできる、できないの基準が本当にわからない。発症から4日したら?重症化したら?でも味覚や嗅覚異常だけで検査を受けている人もいる。大企業で感染者が見つかって軽症だとアナウンスされているが、なぜ検査ができたのか?明確な基準が無いのか?基準が無いままで検査数を絞っているのか?
権力を持てば持つほど誠実でなくても正直でなくても許されるという風潮は変えた方が良いと思います。本来は権力を持てば持つほど誠実に向き合ってもらわなければ、そしてその権力の責任を果たしてもらわなければ、組織も仕組みも社会も壊れていってしまいます。
日本にいた頃は大きい小さいはあっても地震は来て当たり前で、常に万が一に備えて生活していた。ドイツに来て2年以上経つが地面はピクリとも動かない。地震といい台風といい、本当に日本は自然災害の多い環境だと思う。そんな日本の環境では原発は常に危険にさらされていることをあらためて実感した。
あともう1つ、国民(住民)が素直過ぎること。政府が言うことに素直に従い、メディアが報じることを素直に信じ、周囲の人たちが言っていることに素直に頷く。素直さは素晴らしい反面、自分自身で考えないということでもある。自分自身で考えることを放棄しているとも言い換えられるこの状況は特殊だ。
日本では企業や店に対して客が暴れるということが近年目に見えて増えているように感じますが、ここドイツでは電車がダイヤ通りに来なかろうが、宅急便や郵便物がまともに届かなかろうが、まぁ仕方ないねという感じで暴れる人を見たことはありません。けれど政策などに対するデモは日常的に見かけます。
日本の企業は賃金をコストとみなし、削減に全力を上げ、非正規雇用が急激に増えた。一方で内部留保は過去最高。政府は消費税を上げ続け、将来は19%にという話も。どちらも市場で回るお金を減らしていることになる。労働者は消費者という視点が欠けている。これでは経済が縮小していくのは自明の理だ。
新型コロナに関してまだ分かっていないことは多い。分かったつもりになることは本当に危険。他国のメディアでは報道されていることも日本では遅すぎたり歪められていることが多く役に立たない。無症状でも後遺症があるなら集団感染していいはずがない。日本以外のメディアの最新情報を得る必要がある。
今、日本政府がやっていることが世界に伝えていることは、科学的な判断ができず、リスクを正確に見積もることもできず、対策が後手後手で仕組みも作れず運用もできない。準備期間があってもまともに準備もせず、必要なことにお金を使わず、分かり切ったリスクに丸腰で突っ込んでいく国ということだけ。
「おかしいことは分かっているが、自分は無力でどうすることもできない」と感じている人も少なくないと思います。社会の一員である以上誰も無力ではありません。少なくとも1票は持っていますし、周囲の人におかしさを表明することもできます。メディアに騙されている人々に正確な情報を伝えることも。