Goro Matsui Works(@GML2014)さんの人気ツイート(リツイート順)

251
うっかりしてた 2月25日は チャゲ&飛鳥の 「熱風」のリリース日 1981年 ドキドキしながら レコード屋に 駆け込んだ あの日の 松井五郎くんへ 2023年になっても CHAGEも ASKAも 元気に歌ってます そして君も まだ詞を 書かせてもらえてる ここが あの頃の未来か
252
夕方ふとTVから流れてくる 忍たま乱太郎の勇気100% 光GENJI→Ya-Ya-yah →Hey! Say! JUMP→NYC →Sexy Zone→ジュニア Boys と歌い継がれ 1993年の5月から24年 自分をこれだけ 励ましてくれる曲になるとは 思ってもいなかった
253
「A.B.C-Z 5Stars 5Years Tour」が リリースされる Moonlight walkerとWhippy スタジオで作り上げた歌が ライブでまた別のものになる オーディエンスの熱気が加わり 発見も多い 彼らがどんなパフォーマンスを してくれているのか楽しみだ
254
多くの人に 届かなかったからと言って その歌が この世界から 消えてしまう わけじゃない 誰かひとりでも 覚えてくれている 人がいたら その歌は 生き続ける その事を 信じないで 歌なんか 作れない
255
ほんとうに 偶然 街中で すれ違った 小さな子供が 勇気100%を 口ずさんでたりする その子は 意識なんかしてなくても それだけで 僕は頑張れるよ
256
光を放っている時は 人も集まってくるが 光量が衰えれば 人は離れていく そんな時でも 見ててくれる まなざしと 差し伸べてくれる 手なら 信じても いいんじゃないか
257
NHKラジオ深夜便の レギュラーゲストに なって3年目 その前の時間帯が Sexy Zoneの番組だ 2012年に書いた 「Lady ダイヤモンド」 メンバーの年齢も まだ12才~18才だった いつまでも歌える歌もいいけれど その時代に一番似合う歌もいい 眩しい時間の証のように
258
窓越しに 雨音が聞こえると 思い出す歌がある 「雨のパンセ」 田村ゆかりさんには 気がつくと 40曲も 書かせてもらっていた それは 自分の作品群で ひとつの階層になった 日々創作してきた中で 高いモチベーションに なったことは 間違いない
259
なぜかという 理由があるにしろ 敵意も悪意もない 使い方なのに 「お前」が だめとなったら 言葉の表現は すべて注釈が 要る時代が くるんじゃないか? それは やっぱり おかしい
260
2015年 タッキー&翼の 今井翼君から 歌詞について直接打ち合わせしたいと 事務所を通して連絡があった ジャニーズでアーティスト本人と 打ち合わせをすることは それまでなかったので驚いた 黒夢の清春君の曲 完成音源を聴いた時 凄くいいボーカルだと思った やっぱり気持ちって大事だ
261
FNS歌謡祭 「結界」 宮野真守くんも 水樹奈々ちゃんも それぞれに 書かせてもらった 軌跡があって それがこういった形で 交差する その点は 発火したように 美しく力強い パフォーマンスだった
262
1997年「moment」 XのYOSHKI君の作曲 レコーディングでは お逢いできなかった 西城秀樹さんは ほんとうにスターだった ご冥福をお祈りします youtube.com/watch?v=UjjbwQ…
263
いつかは みんな 夜空の 瞬きに なるとしても 時々 順番が 違うと 思って しまう
264
今年リリースされた歌たちは 少し不憫でしょうがない プロモーションも コンサートも中止が相次ぎ 聴いてもらえる機会が少ない 世の中が落ち着いたら 仕切り直しができればいいのにと 思ったりする…雨の夜
265
作詞ってなんだと 問われたら 言葉にはならない思いを 言葉にする事かな
266
魂について考える 心でもなく… 感情でもなく… 死んだときに 人間は 21グラム 軽くなると言う その重さが 魂の重さだと… 言霊は その重さに 含まれて いるのだろうか もしそうだとすれば 日々選ぶ 言葉の重さを 覚えて おきたい
267
「勇気100%」か... ふと未来を想像する まだいまは生まれてもいない誰かが その歌を聴いている姿を想像する その人はどんな気持ちで その歌を聴いているのだろう? きっと答え合わせができない歌もある でも一曲でも 未来に届く そんな歌が作れたとしたら それでよし
268
手は人の進化の象徴だ その手を洗うことが 命を守ることに繋がるなら いまはやりすぎなくらいでも いいのかもしれない そして自分を守ることが 誰かを守ることにもなる
269
1997年 西城秀樹さんの歌詞を書いた時 作曲とプロデュースをされたのが YOSHIKIさんだった 彼は海外にいたので 打ち合わせは電話だけだったが あのしなやかな声は 深く記憶に残った 手術をされるらしい 早く良くなって欲しい 彼の才能を 神様が見捨てるはずがない
270
作曲家としての玉置浩二は 美しい曲も多かったけど 挑戦的で難解な曲も随分ある 「意味は感性で 補完してくれ」とばかりに 浩二の表現力に触発されて 「言葉」の呪縛から 僕は自由になれたんだと思う
271
「その時」は いつだって 無我夢中で 走っている… 「あの歌」を なんのために 作ったのか またわかった 3年振りの 玉置浩二ショー 20代30代40代と 浩二と一緒に 作った歌との再会 「その時」の意味を 知るために 人は生きてゆくんだな
272
歌は 半分 行間で できている そこには 言葉にならない思い 声にならない思いが 潜んでいて それに気づいた人だけが 見えてくる風景がある
273
9年前の あの日 9年後の この空を 想像できたかな いままた この空を 見上げて 未来を 信じよう
274
大変な時こそ 助け合ったり 譲り合ったり できるといいな 歌も力になると 言ってくれる人が いるのなら そうなれる歌を 届けたい
275
関係が浅い内は 苗字にさん付けで呼ばれるが いつのまにか五郎さんと 呼ばれていることが多い 大友さんやマーチンさんは松井君 氷室君は松井さん 吉川君は松井さんと 五郎さんの併用 玉置は五郎ちゃん 思い返してみると 五郎と呼び捨てなのは ChageとASKAだけ