マイナカード自主返納の話、TVのニュースで流れてきたからウッカリ観ちゃったが、「今後この動きは拡大しそうだ」とか言ってて、煽る気マソマソやな、とイヤな気持ちになった。「今後増える」とTVで言ってたら「じゃあ自分も」と流される奴がちょっとは出てくるだろう。
Twitterのプラットフォームとしての強みって、たとえば災害時やバルス砲みたいな突発的なアクセス増に対応可能な堅牢性だったりするので、マスクはその辺をかなりおろそかにしてないかな。
やっぱりSNSが普及して、その辺の素人でも専門家の意見を直接聞けるようになったことに相当の危機感を持っているんだろうな。これまでは専門家の意見を手前味噌に丸めたり都合の好いことを言ってくれる人の意見だけを拡散していたのに、専門家が直接意見を伝えられるようになった。
ぶっちゃけ、国民が新聞よりも専門家の意見のほうを信じるようになると困るんでしょうね。
「厳しく評価」ってのは科学的事実を無視して風説の流布に荷担することではないだろう。おまえはIAEAや各国の検証委員会より厳密な評価が可能な知識や検証能力を持っているとでも言うのかよ。
メディアやライターを通すと途端に本当のことがわからなくなるの、勘弁してほしい。読者の確認コストがハンパない。
あの国、父親がチャイルドマレスターの嫌疑を掛けられただけで社会的に抹殺されて自殺するような極端な社会なのに何故リスクを犯すんだろう。
親に内緒で、とかじゃなくて、親がノリノリで娘を仕上げて送り込んでくるという、なんでポリコレ大国で親が性虐待でバンバン捕まってるアメリカで根強い人気があるんだかサッパリわからん催しなんだよなぁ。
いや、幼稚園児だったかな?ガチで幼児に大人のセクシー美女の演技させるのよ。
ジョンベネ事件、あちらの風習だと少女の自然な魅力を愛でる方向じゃなくて、小学校低学年くらいの女児が大人びたセクシー衣裳にバッチリメイクしてウッフン演技をするという気持ち悪いものなので、多分本邦のロリはかなりガチで引くと思う。
結局大野知事は当初事情をほとんど知らず、下から上がってくる情報だけであんな対応をしたけど、騒ぎが大きくなって法クラが行政訴訟の可能性まで論じ始めて、青くなって情報を精査して対応を変えたということか。何ともお粗末な。
いやいや、戦前のネガティブイメージから一回共産党の評価は「確かな野党」「科学の党」として持ち直したんだよ。そしてその新たな評価を毀損したのは3.11以降の共産党の「不確かな野党」「非科学の党」としか言い様のない非行の故だった。 twitter.com/apj/status/166…
オレの子供の頃はまだ「あそこの兄ちゃん、アカやから」みたいな嫌悪感情が生きていたけど、今はその当時と同等レベルにまで退行しているよな。
ぬっちゃけ、あの連中は自分たちが世間からどんだけ嫌われているか自覚がないのかねぇ。
グラビアアイドルの水着撮影会という、世間的には至極健全なお色気イベントにまでキャンセルを仕掛けたことで、世間の認知としては「こいつら何にでもキャンセル仕掛けるやべー連中だ」という忌避感情が醸成される。諸々の愚策で党勢が左前なのに、この一挙でダメ押しをしてしまった。
プール撮影会にキャンセルを仕掛けたのはつくづく愚策で、グラビアアイドルは萌え絵よりも遙かにカジュアルに社会に受け容れられているし、そこにそっくり萌え絵を燃やされて恨み骨髄の勢力が乗っかるから、萌え絵叩きよりも遙かに多くの人々を敵に回した。
STSがなんで専門家たちの活動を背中から撃ったのかと言えば、その活動が反原発に不利に働くからだったよね。
原発事故でSTSが「仕事」を始めてから明らかになったのは、STSをはじめとする社会学者って基本的に左派の反原発で、その政治的立場のためなら平気で詭弁を弄するしダブスタのポジショントークしか口にしないということなんだよな。
原発事故の際に菊池さんたちが間違ったのは、こういう事態は科学コミュニケーションやリスクコミュニケーションの領分なのだから、専門家が出てきて仕事をするべきだと言ったことだな。ホントに専門家が出てきて「仕事」をしてしまった。 twitter.com/y_tambe/status…
このTWのポイントは「刻々人類側の知識が更新されて正解が変わる状況で」というくだり。未知のクライシス状況では一意に正解が決まらない。正解が確定するまで待っていたら確実に「間に合わない」。そういう状況で果断に科コミを実践できるかが問われる。思えば原発事故でもそういう場面はあった。 twitter.com/chronekotei/st…
原発事故やコロナ禍みたいな有事の際に、科学的知識を用いて社会の安寧に貢献し、それによってバッシングを受ける「受難」を忌避するような損得勘定で商売しているような科学コミュニケーターなんで有害でしかないですから。医師の応召義務みたいな責任関係、あらゆる商売に潜在しているから。
平時の科コミで「科学の楽しさ面白さを伝えます」みたいなふんわりした料簡で飯を喰ってる人間は、そんなの一朝有事の際には公共の福祉に益する為に「動員」されるのが当たり前なんだよ。科学で飯を喰うというのはそういう使命感や社会的責任と裏腹のものだ。
コロナ禍で、日本人の被害を大幅に食い止めた功労者たちの今の扱いを見れば、一朝有事の際に知識や情報で誇張なく万単位の人命を救う活動をすることには大きなリスクがある。そのリスクを負う覚悟のない者が平時の科コミで飯を喰うのはやっぱり卑劣じゃないのかな。
何だろうね、これは一般則なんだろうか。そうだとしたら理不尽すぎないかね。原発事故やコロナ禍で、不当に苦しむ人を一人でも減らそうと使命感から奔走する人たちはいつも理不尽な迫害を受ける受難と闘わなければならないのか。そういう問題なんだと思う。
原発事故の科コミで、単に理系教育を受けたというだけの立場の識者が使命感から啓発に努めたのに、科学コミュニケーターを名乗る立場の人間が背後から撃つばかりで役に立たなかったという話、こういう危機的状況においては現実的に事態を打開する役回りはリスキーで損だということなんだよな。