途上国ではどんな天災でも人々は政府の助けは宛てにしてないのよ。国が助けてくれる前提がないから自分達でまずは何とかして、そしてお互いに助け合う。生き残るために。私達もまず自分達のすべき事は全てして、そして生き残ってこそ国の支援も意味がある。やれること本当に全部やれてるかな?考えて!
捨てられる時に親に灯油をかけられた男の子。両手首のひどい熱傷拘縮の左手の手術を植皮をしながら前回帰国前にしたのだけれど、大分良くなっていてよかった。こちら側が治れば次回は反対側の手術。 この子に会うといつもギュッと抱きしめたくなるのよ。
今から2歳のこどもの火傷の手術。親に捨てられ今はお坊さんが引き取り育てている。捨てられる時母親に灯油をかけられて燃やされ両方の手首から先は火傷の拘縮で90度以上曲がり何も掴めない。話を聞いているだけで運命の過酷さに涙がでる。この子のために手術ができるなんて幸せな人生だと感じている。
中村哲先生の件で素直に思う事がある。日本政府もマスコミも同じく。死んで残念がったり後悔するなら、なぜ彼が生きてる間にもっと協力してあげなかったのか?と。それでも彼は孤高にアフガン人の多くが日本を信用する奇跡を成し遂げた。多くの人が協力できていたら彼の夢はもっと先に進んでいたのに。
アフガンでラストサムライ中村哲先生が逝く。彼は私にとっては北極星の様な存在だった。日本人は彼の人生を知るべきだと思う。そうすれば愛とは何かを知ることができるから。日本人は彼の夢を知るべきだと思う。そこには本当の国際協力とは何か?平和とは何かというメッセージが織り込まれているから。
多くの若い人たちは勘違いしている。能力は外から付けるものでなく、自分の中から目覚めさせ引っ張り出すもの。外にあるものは全てそのための刺激に過ぎない。全ては自分の中にあり自分にないものはいくら努力しても成果はでない。人生は一生かけて自分の中から才能を目覚めさせるその行程だと思う。
外国人と比べ日本人はこんなにも真面目でコツコツ働き少しづつ積み上げて頑張るのに適当にやってる外国になぜ抜かれて行くんだ。一つ確かに分かることがある。それは個人の個性や能力を封印することを当たり前とする社会だということ。皆と同じでなければならない、出る杭を打とうする社会だから。
先日支援を頂いている氷室京介さんのファイナルに招待頂いて東京ドームに行ってきた。コンサートの間中、大きな画面に写し出される彼の姿、表情、仕草。どれを取っても完璧にかっこよく美しささえ感じた。ああいうのは何だろうか?それがあの声と合わさったときひとつの芸術作品だと思った。