「自殺する」 「ムカつくやつ全員殺して自分も死ぬ」 「ホームレスになって道端で生きる」 「泥棒になる」 「社会を憎んで、無差別テロして暴れる」 「特定の政党や政治家を恨み、殺しに行く」 など、人によって、答えは様々だと思います。ただ、どの答えも平和的な未来には繋がらないはずです。
「なんで誰も助けてくれないんだ。もう死んでやる」とあなたは叫びます。 しかし人々は言います。 「死ぬなら迷惑かけず勝手に死ね」「社会の足手まとい!消えろ」「お前が無能なのが悪いんだよ」 さあ、この時、あなたならどうしますか? 考えてみてください。
こういう追い詰められた無敵の人がたくさんいたら、みんなが安心して過ごせません。 外に出れば、「無差別テロを起こせる無敵の人」が何人も歩いています。 不安で、仕事に集中できません。 みんなが安心して過ごせないと、『面白いゲームを作ろうかなー』とかみたいな技術発展も起きなくなっていくし
治安の悪い息苦しい国になっていくんです。経済も低迷する悪循環になります。 文明の発展って、心に余裕があって初めてできるものだからね。 じゃあ、そもそも弱者が現れないようにしたら?って思う人もいるかもですけど、絶対に弱者は現れます。
なんの分野でも、ヒトが100人競争すれば、平均以下の人が50人います。 その50人のうち10人は「平均と比べてすごくできない人」扱いされるでしょう。 統計的な事象なんです。弱者かどうかなんて、平均からの差でしかないんですもん。 「社会的弱者」は絶対にいなくならないのですし、
病気や事故で明日僕やあなたが『無敵の人』になる可能性もあります。 ここで大事なことは、事件を起こした弱者を責めても、状況は変わらない。ってことです。 去年の、京王線のジョーカー模倣犯もそうでしたけど、なにも持たない無敵の人に、いくら世間が個人攻撃をして『そういうことはやめろ』って
もう統計的な事項だから、避けれません。 大事なのは、1万人も追い詰められた弱者を、生まないようにすることです。 だから、国が、弱者になってしまった人を、助けてあげるんです。 そのために、いわゆるセーフティネットが整備されることになっています。 そもそも、人間は群れを形成して生きる
言ったところで、何の効果もありません。   このような、「誰にも助けてもらえない追い詰められた弱者」が例えば0.01%いたら、 日本人1億人の中で1万人も無敵な人がいることになります。 追い詰められた無敵の人が1万人いたら必ず何人かは、無差別テロしようってやつが出てきます。それは
誰も安心して暮らせませんし、余裕のある生活はできません。誰もリスクを取らなくなりますし、全員が保守的になって技術発展や生産が阻害されてしまいます。 社会に余裕がある限り、働けなくなった人も助けるのが、人間という社会的動物の生存戦略なんです。 ~ここから、少し政策の話になります~
生き物です。私たちは1000人を超えるような大きな集団を作り、役割分担をしながら助け合って生きています。その集団が高いパフォーマンスで機能し続けるためには、できない人をできる人が助けてあげることが不可欠です。「怪我や病気で仕事をできなくなったら、その瞬間に見捨てられてしまう社会」では
『社会に余裕が無いから仕方ない』という人もいるでしょうが、そんなことはありません。 今の日本には、1億2千万人が生きていけるだけの食料も衣類も家電も、物理的に存在しています。 モノが飽和して、あふれているのに、 『あの弱者を助けることはできない…』となることはありえません。
いまはただ、弱者をうまく助けられない制度になってしまっているだけです。 つまり、『国家という分配システムの不具合』で、無敵の人が大量に表れてしまっています。 運営側のプログラムにバグがあるだけなんです。 その原因がどこにあるか?を考えていくと、
きます。) 今から説明しますね。 当たり前ですが、お金は国が発行したものです。 一万円札を作っているのは国なのに、国が『一万円札が足りない』となるわけがないのです。 あーもう全部説明してしまいますね。 そもそも国家というのは、 暴力の独占によってなりたっています。 警察とか軍とか
ぶっちゃけると 社会全体が、税を財源と勘違いしてしまっているからです。 これはとんでも説でもなんでもなく事実です。 いまのような信用貨幣という種類の通貨を使う場合は、税が財源じゃないんです これは僕の個人の意見とかではなく、経済学でのただの事実です (軽く参考文献を貼っときます)
ですね。 国が暴力を元に、 『~~したら逮捕』とやるから、法律ができるわけです。 国はむかしはこれを使って、直接的に商品貨幣を集めるやり方で、税を集めていました。
例えば、 『金銀や、米や、塩や、労働力をよこせ、さもないと逮捕する』 のような形で、直接商品を集めていたんです。 でもある時から、貨幣のあり方は変わりました。 『この『円』って書いた紙を、毎年国に払え、さもないと逮捕する』 という形に税が変わったんです。 これはいわゆる債券として説
は同じです。 一万円札は、 (国の)債務『円を税として受け取ったら、逮捕しない義務』 債権『逮捕しないでもらえる権利』 1万円札=『国に払えば、脱税で逮捕されない券』 ということになります。 日本人からすれば、逮捕されたくないので、1万円は、税を払うために価値を持ちます。
例えば僕が書いた肩たたき券は債券です。 債券は債権を書類化したものです。 肩たたき券の発行のときは、 債務『肩たたき券を持つ人に、肩たたきをする義務』 債権『肩たたきしてもらえる権利』 債券『債権の証明書。僕のところに持ってくれば、肩たきしてもらえる券』 ということです これと日本円
つまり、1万円札を作るたび、国には債務が生じるので、通貨発行するたびに、国の債務は増えます。 この債務は、国家の暴力の独占に基づいているので、債務不履行になるわけがありません。 でも、世の中では債務と借金の区別がつかない人が多いため、『日本の借金はやばい』と表現されてしまいます。
100人に孫悟空が混じっていて、 『おめえら、オラの名刺を、税として毎年10枚オラに渡さねえと、ぶっ殺●ぞ』と言われたら、名刺は価値をもちます。 悟空は強くて暴力の独占状態なので、逆らえません。 『オラの名刺を出せ。税はらえ』と言われても、最初はだれも名刺を持っていないと思います。
悟空に名刺を発行してもらうのが先です だから悟空は名刺を自分で発行します。そして 『オラの名刺と、お前が獲った魚、交換してくれる?』 『だれかここにダム作ってくれたら、オラの名刺やるよ』 と言ったりして、名刺を配ります。 これが政策です。 悟空は名刺を税で集めて、政策をしていません。
中央銀行の独立性もあるせいで、よりややこしくなってますが、 国債とかの話はこれでも見てください。 →僕の動画youtube.com/watch?v=zOe0Go… とにかく、自分の国の通貨は、債務不履行になりません。 もっとわかりやすい例を出します。 無人島に100人で漂着したのを想像してください
あくまで税は、悟空の名刺に価値を持たせる手段です。 このような感じです。 現実の日本も、本来は、税で運営されているわけではありません。 国の債務が1000兆円とか超えてるのも当たり前です。というか、それが税で運営されるわけじゃない証拠ですね。
金本位制の時代の 円 は信用貨幣(債券)でしたが、 『税で払えば逮捕されない券』でもあり、 『金と交換できる券』でもあったせいで、ややこしくなってしまっていました。 2個も使い道はいらないので、『金と交換できる券』要素はなくなり、現在の形になりました。 このあたりで、主流派だった
年収600万以下がお荷物なんて大間違いです。 お金はあくまで、価値を媒介する便利アイテムです。 悟空の名刺がたくさんあっても、人はおなか一杯にはなりません。 年収600万以下がみんな仕事をやめたら、日本の物理的な食料・モノ・サービスの量が激減し、日本人の生活水準は驚異的に下がり、