神立尚紀(@koudachinaoki)さんの人気ツイート(リツイート順)

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戦後、旧軍人が戦犯呼ばわりされ、その子供さえ酷いイジメを受けていた時代があった。当事者が大勢いるのに息を潜めざるを得ない状況。当事者名儀の出版物も、多くは作家の筆によるものだった。戦記漫画、映画も荒唐無稽なものが多かった。彼らがまともに口を開くようになったのは戦後50年を経た頃だ。
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阿川弘之先生の、引用に対する筋の通し方は本当に見事で尊敬の念を新たにしたのだけど、考えてみたらこれは当然のマナーであり、それが出来ない輩が老大家からそのへんの作家、ジャーナリスト、マニアに至るまで多すぎるってこと。
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「8月15日に特攻隊として米軍空母に突っ込む予定だった(が運良く生き残った)父親」というフレーズを昔からよく聞くけど、どこの部隊の誰なんだか、人数が多すぎないか。この日特攻出撃を命じられた搭乗員はおそらく全員の氏名階級所属部隊がわかる。この種の話の大半は誇張が含まれていると思う。
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落下傘降下する敵を撃った零戦搭乗員のことを書いたら、読者から「日本人がそんな武士道に反するようなことをするはずがない」と抗議の手紙が来たことがある。でもそれは平和が続いた戦後の価値観にすぎない。当事者が語り公式記録にも残っていることを、思い込みで否定するのはいかがなものかと思う。
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ちゃんと裏とって報道しろよ。当時合法かつ市販されていたヒロポンを覚醒剤と言い換えたキャッチーな見出しに悪意を感じるし裏もとれてない。 特攻隊の『覚醒剤チョコ』最後の食事だったのか...記録には残されず「食べた瞬間にカーッときました」食料工場の女性や軍医の証言 mbs.jp/news/feature/k…
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戦艦ミズーリに体当たりした零戦搭乗員の遺体を艦長が水葬にふしたエピソードが今更ながら流れてきたけど、ぶら下がっているリプが私が見てもナイーブに過ぎると思う。これは耳あたりのいいレアケースなので語り継がれているだけで、日本の搭乗員の骨をアクセサリーにして土産にした話などざらにある。
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この結婚写真、ちょうど78年前の昭和19年12月16日、京都平安神宮での撮影だが、新郎が写真である。丁度この時刻、新郎の零式観測機搭乗員・大西貞明少尉はフィリピンで激戦中。敵機グラマンに向かって「今、俺の結婚式の最中である。今日だけは俺を撃つな!」と叫びながら戦っていたのだという。
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兄角川春樹氏がコカイン密輸で逮捕されて(のち実刑)29年。こんどは、あの時兄に代わって社長になった歴彦氏が贈賄で逮捕ですか。大手と言われる出版社の代表を務めた兄弟が2人も逮捕されるのは前代未聞じゃないか。春樹氏の事件は取材していたから歴彦氏も無関心ではいられない。 twitter.com/yomiuri_online…
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93年の春樹氏のコカイン密輸は、日本雑誌協会の空港パス、空港腕章を持つ部下カメラマン(税関の先へ入れる)を使い、運ばせて本人は手ぶらで出てくる手口で、そのため当時雑誌協会に所属し空港取材をしていた私たちも大迷惑をしたのだった。未だに思い出すとはらわたが煮え繰り返る思いがする。
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恒例のクールビズ批判の季節。2005年小池百合子が突如言い出したクールビズが夏物を仕入れたばかりの洋服業界を直撃し、実家の服屋は在庫の山、裏地屋や糸屋やボタン屋も瞬時に立ち行かなくなり、私を子供の頃から可愛がってくれたボタン屋さんが自死した哀しい記憶が甦る。以来百合子は不倶戴天の敵。
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ある特攻隊員の日記に残されていた猫の「ミー」のスケッチ。犬とともに基地で飼われていて、可愛がられていたみたいです。
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ちょうど77年前。「自衛のための戦闘は可」とされていた昭和20年8月18日、関東上空に飛来した米軍爆撃機B-32を横須賀海軍航空隊の零戦、紫電改が邀撃、小町定飛曹長、坂井三郎少尉、大原亮治上飛曹、多胡光雄大尉らが命中弾を与えた。米側の射手が一名、機上戦死。これが日本海軍最後の空戦になった。
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昭和61年の5/4。東京サミットの最中、矢来町のマンションから迎賓館をめがけ迫撃弾が発射され、目標を飛び越え着弾した。6日には池袋駅で爆発物が見つかりパニックの中、機動隊が処理を行った。私はいずれの現場へも急行。翌日、中核派が「サミット爆砕」の声明。今やこんな時代を知らない人も増えた。
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5月27日は日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎司令長官率いる日本の聯合艦隊がロシアバルチック艦隊を破って118年。この日は終戦まで「海軍記念日」で国の記念日だった。由来のよくわからない連休ばかり増やしてないで、日本の独立自存を守った海軍記念日を復活させて休日にすればいいのにと思う。
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「支那事変」と書くとそれだけで、文脈を無視して怒り出す人がノンフィクションを生業にする人の中にもいるらしい。「支那事変」は当時、閣議決定された正式な呼称であり歴史用語だ。そういうこともご存知ないのか、イデオロギーのためなら気に入らない言葉を封殺し、ねじ曲げることをよしとするのか。
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やなせたかし氏に限らず、著名な方でも親や兄弟が特攻隊員ではなかったのに「特攻隊員だった」、あるいは零戦搭乗員ではないのに「零戦パイロットだった」などと、話を盛ってしまう人はかなりいた。悪意なき誇張も一人歩きすると話がややこしくなるから、なる早で芽は摘んだ方がいい。
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この時期、TVの戦争番組を見るたびに思うのだけど。「知られざる○○の真実」とか「新たに発見されました」と謳ってるのは大抵既知の事柄で、番組制作者にとって新発見なだけ、ということが多い。しかも結論ありきで立体的に見ないから「新発見の資料」の読み込み方が間違っていることも屡々。(定期)
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4/7は戦艦大和が沈んだ日。よく大和は「戦闘機の護衛もなく裸で進撃させられた」と言われるが、それは半分嘘。早朝から敵機が来襲する直前まで二〇三空と三五二空零戦隊が「大和」上空直衛に飛んでいる。写真は最後の上空直衛の指揮官となった三五二空分隊長植松大尉が当日使用した航空図(部分)。
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だから、当事者が大勢いた時代は考証が正確だった、というのは、挙措動作や言葉遣いなどの面では当たっているけれど、それ以外はほぼ当てはまらない。それは実際にその頃の映画を見て、漫画を読み、戦記本のいくつかをちゃんと読めばわかる。
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ひと昔前に聞いた話だけど。 NHK考証の大森さんが、調べ物を安易にインターネット情報に頼る若いディレクターたちを集めて訓示をした。 「物を調べるときはちゃんとした本を読みなさい、人と会いなさい。『インターネットは精神の大量破壊兵器だ』と、かのマイケル・クライトンも言っている。 (続)
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明日は海軍記念日だな、と思ってスマホで「こうこくのこうはい」と入力しようとしたら変換候補の筆頭に「広告の荒廃」と出た。これはこれで意味は通っているし間違いでもない。
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今日7/7は、B-29を邀撃するため開発された日本初のロケット戦闘機「秋水」が横須賀基地での初飛行に失敗、テストパイロット犬塚豊彦大尉が殉職して77年。20年近く前、目撃した元横須賀海軍航空隊の大原亮治飛曹長に墜落地点を案内してもらったことがある。七夕に、犬塚大尉の御霊安かれと祈りつつ。
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東京大空襲から78年。ある特攻隊員が日記に、新聞報道への不満を書き遺している。「B29を撃退なんてこともありえない。B29は用がすんだから帰るので、それを撃退などと太々しいにも程がある」「士気はもうとうに落ちてクサツてゐる」。それでも出撃しなければならなかった心境を思うと胸が詰まる。
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現役の取材者で私以上に本物の元特攻隊員(出撃して生還した人たちをふくむ)に取材したり会ったりした人はいないと思うけど、この記事にあるようなチョコレートを出撃前に食った人は一人もいないから。