神立尚紀(@koudachinaoki)さんの人気ツイート(いいね順)

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靖国神社で正午の黙祷の直前、玉虫が飛んできて私の胸にとまった。東京の都心で玉虫なんて初めて見た。
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このシーン、戦死の状況設定や服装(階級章は生前の少尉でいいか死後進級の中尉にするかなど)などNHK考証大森洋平師にご相談いただき、メール数行分だけお手伝いしました。ちょっとしたことですが、白昼夢とはいえここの設定が変だと台無しになるので…。#カムカム twitter.com/asadora_bk_nhk…
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知人の小学生の息子が、旧日本軍機にやたら詳しく、零戦や隼は何型まで区別できたりするのに、米軍機や英軍機はグラマンもB-29もP-51もスピットファイアも全部まとめて「敵機」という括りで、その育て方に好感を持った。
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4/7は戦艦大和が沈んだ日。よく大和は「戦闘機の護衛もなく裸で進撃させられた」と言われるが、それは半分嘘。早朝から敵機が来襲する直前まで二〇三空と三五二空零戦隊が「大和」上空直衛に飛んでいる。写真は最後の上空直衛の指揮官となった三五二空分隊長植松大尉が当日使用した航空図(部分)。
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稔さん、設定上は学徒出陣の海軍兵科予備学生4期(NHK考証大森洋平師の御父様と同じ)で、1945年8月11日、南九州洋上にて戦死、ということになっていました。戦死時の階級は服装に直結しますし、画面に出てこなくてもそのへん設定をちゃんとしておかないと不自然になるのです。 #カムカムエヴリバディ twitter.com/asadora_bk_nhk…
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というわけで、8/11は #カムカムエヴリバディ 稔さんの設定上のご命日ですね。 twitter.com/koudachinaoki/…
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零戦で訓練中の望月少尉が歴戦の飛行隊長日高少佐に質問した。「もし敵機に後ろにつかれたらどうすれば宜しいですか」日高少佐「操縦桿をぐりぐり動かせ!」「操縦桿をぐりぐり動かすとどうなるんですか」「どうなるかわからないだろう?だから敵機もついて来られないんだよ」…私の好きなエピソード。
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未知の著者だが出版の素人ではないし、善意で無償使用というのは通らない。献本したのに礼状がなかなか来ないと思ってるかも知れないけど、代わりにいずれ内容証明と請求書が届くのでしばしお待ちを。
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思い出すのは、阿川弘之先生が旧知の進藤三郎少佐が亡くなったことを文藝春秋の巻頭随筆に書かれた時。私の本から僅か数行引用するために速達で手紙を下さり、電話で承諾申し上げたら、随筆中にも引用の旨きちんと書いて下さった。人の作品を平気で剽窃する輩が多い中、偉い人はやはり違うと感服した。
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昭和50年代までの戦争映画には、本物の元海軍軍人が、演技指導がてらエキストラ出演までしていることがある。これは「零戦燃ゆ」に軍令部参謀役で一瞬出演した本物の元零戦搭乗員、神雷部隊桜花隊分隊長湯野川守正大尉(戦後空将補)。こういうのを見つけるのも楽しみの一つ。 gendai.ismedia.jp/articles/-/706…
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テレビの人って自分で取材や勉強をせずに「わからないことは聞けばいい」という姿勢の人が結構いてそれはある意味正しいのだけど、「下士官」を「げしかん」と読んだり「ガ島」を「がしま」と読んだり「陸攻」を「戦闘機」と言ったりするのを聞くとせめて本の何冊かぐらい読んでからにしてね、と思う。
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阿川弘之先生の、引用に対する筋の通し方は本当に見事で尊敬の念を新たにしたのだけど、考えてみたらこれは当然のマナーであり、それが出来ない輩が老大家からそのへんの作家、ジャーナリスト、マニアに至るまで多すぎるってこと。
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海軍兵科予備学生4期のうち生存者は戦後昭和20年9月5日付で中尉(いわゆるポツダム進級)していますが、稔さんは8月に戦死した設定のため戦死時階級は少尉、死後進級で中尉になっています。なので「白昼夢に出る時は少尉、遺影に飾るなら写真館で桜を一つ修正で加えて中尉」のように具申しました。
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敬礼のシーンがあると見えるので士官のシャツの袖口はダブルカフスに!と私からも大森さんからも現場サイドに念を押していましたが、今回は袖口が映る場面はなかったですね。でもそこまでやっておかないと、万一見えてしまうと画竜点睛を欠いてしまうのです。#カムカム
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この時期、テレビの戦争番組を見るたびに思うのだけど。「知られざる○○の真実」とか「新たに発見されました」と謳ってるのは、大抵既知の事柄で、番組制作者にとって新発見なだけ、ということが多い。しかも結論ありきで立体的に見ないから、「新発見の資料」の読み込み方が間違っていることも屡々。
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戦後、旧軍人が戦犯呼ばわりされ、その子供さえ酷いイジメを受けていた時代があった。当事者が大勢いるのに息を潜めざるを得ない状況。当事者名儀の出版物も、多くは作家の筆によるものだった。戦記漫画、映画も荒唐無稽なものが多かった。彼らがまともに口を開くようになったのは戦後50年を経た頃だ。
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この結婚写真、ちょうど78年前の昭和19年12月16日、京都平安神宮での撮影だが、新郎が写真である。丁度この時刻、新郎の零式観測機搭乗員・大西貞明少尉はフィリピンで激戦中。敵機グラマンに向かって「今、俺の結婚式の最中である。今日だけは俺を撃つな!」と叫びながら戦っていたのだという。
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落下傘降下する敵を撃った零戦搭乗員のことを書いたら、読者から「日本人がそんな武士道に反するようなことをするはずがない」と抗議の手紙が来たことがある。でもそれは平和が続いた戦後の価値観にすぎない。当事者が語り公式記録にも残っていることを、思い込みで否定するのはいかがなものかと思う。
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Amazonレビューの中傷で「この著者は嫌いだから本は読まないが」と堂々と書く馬鹿がいた。買わずにレビューが書ける仕組みがそもそもおかしいが、その時はふとした糸口で容易に本人特定ができ、Amazon経由で警告したら止んだ。あまりに理不尽なものは出版社からAmazonに伝えれば削除されることがある。
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ゴーグルを作っているメーカーの人に昔は作れて今の技術では作れないものの一つがこの航空眼鏡だと聞いた。横須賀海軍航空隊で実験研究を重ね日満工業合資会社で製作。「最も優秀なる航空眼鏡として搭乗員の賞賛を得ている」と横空の資料にある。数社でライセンス生産、写真は昭和19年の第二精工舎製。
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毎年夏になると聞かれる「戦争の悲劇を忘れてはならない」「伝えていかなければならない」の大合唱が傲慢に思えて胡散臭い。まず知らなければ伝えることも忘れることもできないのだから「もっと知りたい」が先じゃないのか。それに、本当に伝えなければならないのなら、季節を問わず取り上げるべきだ。
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戦争映画に「考証」や「監修」は不可欠で、その良し悪し(とスタッフの聞く耳)次第で同じ制作スタッフでも詰めが甘くなったりすることがあるけど。日本の戦争映画で最強だったのは、昭和28年新東宝「戦艦大和」の「教導」に名を連ねる元副長・能村次郎大佐であろう。能村副長役は藤田進が演じている。
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「片道燃料」も嘘だし、大和沈没後に「初霜」内火艇の艇指揮が、とりすがる手首を日本刀で切り落としたに至っては大嘘。「戦艦大和ノ最期」の著書吉田満氏は創作を認め関係者に謝罪したが、本の記述は改められなかった。「負けて目覚める」という臼淵大尉の言葉も創作。古典的名作だが鵜呑みは禁物。
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文脈にもよるけど当事者に対して無神経な質問ではありますね。日テレはかつて池上彰と櫻井翔の終戦70年番組で、私が紹介した零戦搭乗員長田利平氏が、スタッフの、タレントファースト、取材相手は二の次の無神経かつ失礼な態度に激怒して体調を崩されたこともあった。もう少しデリカシーが持てないか。 twitter.com/tweetsoku1/sta…