神立尚紀(@koudachinaoki)さんの人気ツイート(古い順)

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兄角川春樹氏がコカイン密輸で逮捕されて(のち実刑)29年。こんどは、あの時兄に代わって社長になった歴彦氏が贈賄で逮捕ですか。大手と言われる出版社の代表を務めた兄弟が2人も逮捕されるのは前代未聞じゃないか。春樹氏の事件は取材していたから歴彦氏も無関心ではいられない。 twitter.com/yomiuri_online…
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93年の春樹氏のコカイン密輸は、日本雑誌協会の空港パス、空港腕章を持つ部下カメラマン(税関の先へ入れる)を使い、運ばせて本人は手ぶらで出てくる手口で、そのため当時雑誌協会に所属し空港取材をしていた私たちも大迷惑をしたのだった。未だに思い出すとはらわたが煮え繰り返る思いがする。
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9/22は元零戦搭乗員・坂井三郎さんのご命日。亡くなって22年。合掌ーー。 写真は空母インディペンデンス艦上で、VF-154「ブラックナイツ」の飛行隊長と、F-14トムキャットの前で互いの頭を叩いて「セイムヘッド!」と意気投合する坂井さん。 (後ろに大原亮治さんの姿も)
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定期おさらい。「一航艦」の読みは「いっこうかん」ではなく「いちこうかん」。同様に「一航戦」は「いちこうせん」、「一式陸攻」は「いちしきりっこう」。当事者と会って話せばそう読まないと気持ち悪い。某映画監修の際、そこだけ台詞の誤りを直し「いちこうせん」と再録音して貰ったことがあった。
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戦艦ミズーリに体当たりした零戦搭乗員の遺体を艦長が水葬にふしたエピソードが今更ながら流れてきたけど、ぶら下がっているリプが私が見てもナイーブに過ぎると思う。これは耳あたりのいいレアケースなので語り継がれているだけで、日本の搭乗員の骨をアクセサリーにして土産にした話などざらにある。
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落下傘降下する敵を撃った零戦搭乗員のことを書いたら、読者から「日本人がそんな武士道に反するようなことをするはずがない」と抗議の手紙が来たことがある。でもそれは平和が続いた戦後の価値観にすぎない。当事者が語り公式記録にも残っていることを、思い込みで否定するのはいかがなものかと思う。
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角田和男さんのような人格者ですら、 「空戦は回数を重ねるほどに強くなる。敵の搭乗員を生きて帰すと必ず次はもっと強くなって来る。だから撃つ」 と断言されていた。仏心を出すと恩返しどころか、強くなってまた味方を殺しに来るのだから、戦争という状況下でそれは正しい判断だと思う。
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気になるので再度。 「標的」→本来の意味は「訓練用の的」 攻撃の対象→「目標」 ーー近年特に目立つ誤用。 例)×特攻隊は敵空母を標的とした   ○特攻隊は敵空母を攻撃目標とした 少なくとも戦争モノのドキュメンタリーではきっちり使い分けたい。 (『考証要集2』大森洋平著 文春文庫より)
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11/22はボタンの日とか。2005年、小池百合子が突如言い出したクールビズが夏物を仕入れたばかりの洋服業界を直撃し、服屋は在庫の山、裏地屋や糸屋やボタン屋もあっという間に立ち行かなくなり、私を子供の頃から可愛がってくれたボタン屋さんが自死した哀しい記憶が甦る。以来百合子は不倶戴天の敵。
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21年前の2001年の12月は真珠湾攻撃60周年セレモニーで、作戦参加搭乗員の方々も交えてハワイに行った。丸山泰輔氏、原田要氏、別団体で阿部善次氏。日本の元搭乗員の人気は凄じく、行く先々でサインを求める長い列が出来た。原田要氏はミッドウェーで零戦に撃墜された米搭乗員と意気投合していた。
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戦後、旧軍人が戦犯呼ばわりされ、その子供さえ酷いイジメを受けていた時代があった。当事者が大勢いるのに息を潜めざるを得ない状況。当事者名儀の出版物も、多くは作家の筆によるものだった。戦記漫画、映画も荒唐無稽なものが多かった。彼らがまともに口を開くようになったのは戦後50年を経た頃だ。
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だから、当事者が大勢いた時代は考証が正確だった、というのは、挙措動作や言葉遣いなどの面では当たっているけれど、それ以外はほぼ当てはまらない。それは実際にその頃の映画を見て、漫画を読み、戦記本のいくつかをちゃんと読めばわかる。
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「紫電改のタカ」の「逆タカ戦法」、「あかつき戦闘隊」の「まぼろしの滑走路」などなど、昭和30年代、40年代の子供が熱狂した戦記漫画の世界だけど、今なら総ツッコミされそうだ。名作だとは思うけれど、そんな経緯を経て今日に至る時間の流れを無視して語ることは出来ないと思う。
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だから、昭和30年代や40年代には当時を知る制作者が大勢いたから考証なり描写が正確なはず、と決めつけるような、特にメディア関係者の指摘には、いちいち個別には対応しないけど、それは全然違いますよ、あなたたち何百人の当事者とその家族にインタビューしましたか?とやんわりと申し上げておく。
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ドラマはフィクション。 全否定しないことと全肯定はイコールではない。
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この結婚写真、ちょうど78年前の昭和19年12月16日、京都平安神宮での撮影だが、新郎が写真である。丁度この時刻、新郎の零式観測機搭乗員・大西貞明少尉はフィリピンで激戦中。敵機グラマンに向かって「今、俺の結婚式の最中である。今日だけは俺を撃つな!」と叫びながら戦っていたのだという。
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「支那事変」と書くとそれだけで、文脈を無視して怒り出す人がノンフィクションを生業にする人の中にもいるらしい。「支那事変」は当時、閣議決定された正式な呼称であり歴史用語だ。そういうこともご存知ないのか、イデオロギーのためなら気に入らない言葉を封殺し、ねじ曲げることをよしとするのか。
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ある特攻隊員の日記に残されていた猫の「ミー」のスケッチ。犬とともに基地で飼われていて、可愛がられていたみたいです。
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ヒトラーを日本に亡命させるため日本の潜水艦が昭和20年3月5日横須賀を出港し、ドイツに向かっていたとの10月21日付の新聞記事。まだ存在していた日本海軍は「事実無根」とコメント。「某海軍将校の告白」とあるが、今で言うフェイクニュースの類か。終戦直後、こんな噂が飛び交ってたんでしょうね。
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東京大空襲から78年。ある特攻隊員が日記に、新聞報道への不満を書き遺している。「B29を撃退なんてこともありえない。B29は用がすんだから帰るので、それを撃退などと太々しいにも程がある」「士気はもうとうに落ちてクサツてゐる」。それでも出撃しなければならなかった心境を思うと胸が詰まる。
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恒例のクールビズ批判の季節。2005年小池百合子が突如言い出したクールビズが夏物を仕入れたばかりの洋服業界を直撃し、実家の服屋は在庫の山、裏地屋や糸屋やボタン屋も瞬時に立ち行かなくなり、私を子供の頃から可愛がってくれたボタン屋さんが自死した哀しい記憶が甦る。以来百合子は不倶戴天の敵。
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行きつけの歯医者さん、天井の一式陸攻に加えて、護衛の零戦二一型が増えてました。これで安心☺️
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5月27日は日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎司令長官率いる日本の聯合艦隊がロシアバルチック艦隊を破って118年。この日は終戦まで「海軍記念日」で国の記念日だった。由来のよくわからない連休ばかり増やしてないで、日本の独立自存を守った海軍記念日を復活させて休日にすればいいのにと思う。