大久保ヤマト(@mousou_roku)さんの人気ツイート(リツイート順)

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味方の多くが討たれる中、結城弥平次が奮闘していると、彼の兜に「JESUS」とあるのを認めた敵将の三木判太夫が、戦闘を止め、自らの虎皮の衣を弥平次に着せてさらに馬に乗せて健闘を称え、友誼を深めたという(フロイス『日本史』第一部七八章)。
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#エアコミティア137_歴史 【可児才蔵】小牧長久手の陣で敗れた大将の豊臣秀次は、徒歩で退却するほどの混乱ぶりであった。そこを馬で通っていく才蔵を見るや「その馬を貸せ」と命じたところ、才蔵は「雨の日の傘でござる」と言い捨て逃げていった、という逸話が『小牧陣始末記』に紹介されている。
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【仁田忠常の人穴探検】1203年、忠常は、頼家に命じられ、富士山麓にある人穴と呼ばれる洞穴の探索をしたことがある。彼に従った者のうち四人が死んでしまうほどで、「やればできる」というには危険すぎる任務であった(吾妻鏡、建仁三年六月三日・四日条)。
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【いい風呂の日(11/26)】 源義朝「よくねーよ!」 ※義朝は、逃亡中に立ち寄った家人の屋敷で風呂に入った時に襲撃され、帰らぬ人となった。
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※このころの武士は、特殊な鍛練を積んでおり、心身ともに常人の範疇をはずれているので、良い子は絶対に馬で崖を駆け下りたり、馬を背負ってみようとしてはいけません、念のため。
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寒いですね。
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由布惟信(雪下)。
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■宇治川先陣杯(障害競走) 1:イケヅキ(◎先行) 2:スルスミ(○逃げ) イケヅキ鞍上は佐々木高綱、対するスルスミは梶原景季が騎乗。佐々木は一着(先陣)が獲れなければ討死の覚悟で臨んでいます。満々とした水量と速い流れを誇るこのコース、まもなくファンファーレ(矢合わせの鏑矢)です。
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【金子十郎】『源平盛衰記』は、衣笠城を果敢に攻める金子十郎に感じ入った三浦大介が、酒を振る舞い激励し、十郎もそれに応えて、今度は腹巻を被って更に力闘する。その猛勇に大介も驚き、和田義盛に命じて射倒させたが、弟の余一が救出したので、金子兄弟がこの日のMVPだったと記す。
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今年の大河の御曹司には敵わないけど、自分の線でも描いておく。
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二条城のマンガ。松平信道がかっこいいということが一番見て欲しい所。kojodan.jp/castle/13/memo…
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俺もあげちゃお、巴と義仲。『鎌倉殿の13人』の作劇スパンだと、板額もちょっと出てきたりしないかな。
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#過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せて5rtを目指せ 鎮西八郎。これは沢山見て欲しいですね。
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鎮西八郎源為朝
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【悪源太】『平治物語』では、待賢門合戦において、源義平が平重盛に勝負を求め、紫宸殿の左近の桜・右近の橘の間を執拗に追い回す場面があるが、記述の大内裏の構造は平治の乱の当時と異なると考えられ、実際にあったかは不明である。この場面を思い出す度、徒歩の郎従は大変だったろうなと思う。
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明日からです。 いらしてくださる方には、先んじて厚くお礼申し上げますが、その際はくれぐれも、感染対策、ご自身の体調への注意をなさってください。 よろしくおねがいします。
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鳥居強右衛門は、武田軍が包囲する長篠城から、信長・家康の救援を得るため使者となる。信長の快諾を取り付けるも、帰路武田軍に捕まってしまう。救援はないと言えば許すと誘われたが断固拒否して使命を果たし、武田軍は彼を磔にした。忠勇に感動した落合左平次は、その様を軍旗にしたという。
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【斎藤実盛】篠原の合戦において、平家方の実盛は、錦の直垂を着ることを願い出、髭を黒く染め、若々しく装い、良き敵を求めて討死した。その首を見た木曽義仲は、幼時にわが身を匿ってくれた恩人の実盛であったと知り、悲しみに暮れたという(平家物語巻7「篠原」、「実盛」)。
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【おしらせ】添付画像にある日程で、イラストの展示してもらうことになりました。近くの人はいらしてみてください。よろしくお願いいたします。
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【節分】江戸時代、大晦日と節分の日には、「厄払い」と呼ばれた者が東方朔、浦島太郎、三浦義明を織り混ぜた文句を唱えて家々を回って、長寿と健康を祈願する風習があり、落語の「厄払い」、歌舞伎の「助六」にその場面が出てくる。
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【金刺盛澄】源頼朝に従うのが遅かった盛澄は不興を買い囚人となっていたが、秀郷流の弓術を流鏑馬で披露して免罪を請うた。頼朝は暴れ馬で行うよう命じ、盛澄が全中で応えると、今度は更に小さい的で挑戦させられ、それも全中すると次は的をのせた串を射よ言われ、これにも応えて赦しを得たという。
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#真夏の芸術納涼祭2021 納涼ということで、オカルティックなのを。