ポケットモンスター新シリーズの作画を貶めるために、中割り抽出、ロング絵の拡大トリミング等、悪質な切り取り方をしている画像が拡散されています。良識のある視聴者は「映像」を見て判断願います。tv-tokyo.co.jp/anime/pokemon_…
今週のNARUTO疾風伝で「3DCGを使って手抜きしている」等というあらぬ誤解が起こっています。これは都留稔幸(黒津安明)氏の作画技術が最高に極まってるために「CGのように見えてしまう」だけです。手抜きなどではありません。以下は都留氏が過去に手がけたアニメですがこれも作画です。
声優業界を舞台にしたアニメ、「ガーリッシュナンバー」の第2話の劇中アニメを松竹徳幸氏と吉成鋼氏が担当しましたが、案の定一部で「作画崩壊だ」という声が上がっています。
松竹徳幸氏はメダロットやテイルズオブシリーズのアニメパート等、シンプルなタッチで魅力的な絵を描くアニメーターとして有名ですが、ただシンプルであるというだけで一方的に「作画崩壊」だというのは、不当な貶め方だと言えるでしょう。
アクション作画においても、松竹徳幸氏は過剰なツメタメアクションではなく抑揚を控えた身体的アクションを得意とするアニメーターです。
そして気が早いですが、次週の「ポケットモンスターサン&ムーン」の作画監督はなんと毛利和昭さん!近年はポケモン劇場版の総作監が主でしたが、テレビで単独作監はレア!委員長は毛利さんと言えばこのカットですね!
この文章は押井守監督が実際に発言したものではございません。 かなり以前、2chに投稿された捏造文です。 デマに注意してください。参照↓ touzafusa.blog115.fc2.com/blog-entry-187… d.hatena.ne.jp/kanose/2007072… twitter.com/koromosi/statu…
こういう野球アニメでダイナミズムを重視した作画は『アパッチ野球軍』『侍ジャイアンツ』『緑山高校 甲子園編』などがありますが、源流ともなるとやはり『巨人の星』第83話「傷だらけのホームイン」における荒木伸吾さんによるこの作画でしょう。>RT
以前作画を語るスレでも話題になった、松竹徳幸さん作画監督の「魔法少女プリティサミー」(OVA版)のOPです。松竹さんのタッチが色濃く出ています。
信じがたい事ですが、若手最高クラスアニメーターの今岡律之さんと、ベテラン最高クラスの黄瀬和哉さんが「ひどい作画」「作画崩壊」とまで言われてしまう状況なのです。この方達の「正解」は一体どこに存在するのでしょう?#ゲーマーズ #ボールルームへようこそ
「忍ペンまん丸」湯浅政明さんによるエンディングアニメーションです。Amazonプライム・ビデオの配信では何故かOPと共にカットされています。
こういった人達をこの世から消滅させる事こそが委員長及び作画を語るスレの使命です。 #FateApocrypha #apocrypha #アポクリファ
作画的にはミュージックパートがよく話題に上がる作品ですが、本編部分も決して見劣りはしません。モブの一人ひとりがそれぞれの人生を歩んで来たかのように違う芝居をしながら通り過ぎて行きます。 「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」は当時の亜細亜堂の総力を結集させた映画と言えるでしょう。
モブの中にさり気なく芝山努監督が混じっています。
「きんぎょ注意報!」は演出も然ることながら、作画的にも若き日の中村豊さん石浜真史さん達も参加しています。安藤正浩さんの作画監督回もアクション寄りになっており必見です。
突如制作中止になったアニメといえば、「彼氏彼女の事情」幻の第24話を思い出します。今石洋之さん絵コンテ、高村和宏さん作画監督の布陣で本編の作画作業も始まっていたにも関わらず、原作と内容がかけ離れすぎていたためか急遽中止になった悲劇の回です。(画像は末冨慎治さんのレイアウト)
作画オタクの斯くあるべき姿です。
「アニメ史上最も作画がすごいシーン」というツイートが話題になっていますが、参考までに、ピノキオ(1940年)の終盤シーンです。
『ピノキオ』は若い作画オタクが観ても刺激的な映像を保証するでしょう。ビル・ティトラが担当したストロンボリ(人形劇の団長)のシーンの芝居にも注目です。
OPをサルベージ。絵コンテ・演出・原画(全カット)が岩倉和憲さんです(作監は相澤昌弘さん)。近年の岩倉さんはキャラデザ・総作監が主ですが、いつかまたこういうバリバリのアクションも見たいです。
すべての会社が「『鬼滅の刃』レベル(のクオリティ)を目指す事」が、「『鬼滅の刃』のような見た目のアニメを量産させる事」に繋がらない事を祈ります。それではアニメーションの多様性を失いかねないです。
(『鬼滅の刃』が映像クオリティとして優れているのは前提として)今期で言えば『王様ランキング』がクオリティ面では『鬼滅の刃』に負けずとも劣らない、純粋にアニメーション作画的には『鬼滅』以上に高度なアプローチを行っている稀有な作品だとと委員長的には思います。しかしどんなに優れた事を
していても『鬼滅の刃』のようにまで撮処理等で画面をうるさくさせないと「観客がクオリティが高いと思われない」「『鬼滅の刃』のような見た目じゃない画面のアニメは全てクオリティが低い」という価値観に世間が染まる事を委員長は危惧しています。
元に視聴者の価値観の狭さがアニメ作画の多様性を失わせる自体は起こっています。かつては各話作画監督ごとに個性が発揮され、毎回違った楽しみ方が堪能できました、しかしそういった作画監督ごとに違いや個性はインターネット言論の発達により視聴者から「作画崩壊」のレッテルを貼られ、
「制作上のエラー」だと断じられ、結果、キャラクターデザインの忠実さのみが価値基準であるかのような事態になり、結果、1話数におびただしい数の「作画監督」が設定画の表情に合わせる事だけに注力した世の中になってしまいました。