畠山重忠が滅んだあと、島津氏は畠山の一族や郎等を招き入れました。重忠の郎等・本田近常(重忠の乱でともに戦い自害)の子孫も島津に仕えています。 島津氏の祖・忠久と畠山氏に縁があったといわれます。その後、鉢形など畠山の所領の一部が島津のものとなったとか。 #鎌倉殿の13人
りくに入れ知恵をされ動く時政という図で展開されていますが、時代考証の坂井先生は 「『吾妻鏡』編纂者は時政を擁護するため、牧の方(りく)を事実以上に悪役に仕立てたのではないか」 と書かれています。 #鎌倉殿の13人
#仁田忠常 みんなに頼りにされ、信頼もされ、笑顔を絶やさず人に心配をかけない真面目な人。そういう人ほど一人で抱えて思い悩んじゃうよね。 そんな人がたった一度相談しようとした時に、手を差し伸べられなかった。タイミングが悪かったとはいえ、自分が義時だったら生涯引きずるな… #鎌倉殿の13人
オープニングに名が出るだけで恐れられていた、あの善児が「できねえ」。 その生業もあって、人に好かれることがない人生だったのかな。 でもトウを育てる間に善児の中で何かが変わって、無邪気に慕ってくる一幡を見て、人間らしさを取り戻したのだろうか…… #鎌倉殿の13人
比企の乱に関する二作の違い ●『吾妻鏡』 頼家が病床に比企能員を呼び、北条追討の密談をする。それを政子が障子の陰で聞いて父へ知らせる ●『愚管抄』 頼家は広元邸で倒れ、そこで伏せっていた(政子が障子の陰で聞きようがない) また、頼家は一幡への家督相続を決め、出家している #鎌倉殿の13人
下野国(栃木県)で処刑された全成。 伝説では、その首は全成の所領だった駿河国阿野庄(静岡県沼津市)まで飛び、松の木にかかったといわれます。 その「首かけの松」は虫の被害で昭和に切られましたが、一部は #大泉寺 に残され、松の跡には切り株に模した記念碑が建てられています。 #鎌倉殿の13人
捕らえられた念仏僧は14人。政所の橋あたりで袈裟を剥ぎ取られ、衣を焼かれたといいます。 吾妻鏡には、その中の称念という僧が政治を批判した上で「私の衣を焼くことはできないでしょう」と言うと、確かに彼の衣の火は消えて焼けなかったという話が記されています。 #鎌倉殿の13人
三浦義澄と安達盛長が死去した正治2年は、義澄の叔父 #岡崎義実 も死去しています。 義実は亡くなる3ヶ月ほど前、自らの困窮を政子に訴えます。「息子(佐奈田与一)の菩提を弔いたい。残るのは僅かで子孫の安堵も難しい」(意訳) 政子は領地を与えるよう指示。 nhk.or.jp/kamakura13/cas… #鎌倉殿の13人
連署状に対し弁明しなかった景時は、一之宮(神奈川県 #寒川町)へ下向します。 その寒川にある梶原景時館趾には、傍らに「梶の木」が植えられていて、ぐっときました🥲   現在の「一之宮の梶原さん」は、つぶらな瞳で訪れる人を出迎えてくれます。愛のこもったグッズも☺️ #鎌倉殿の13人
景時は私欲があったわけではないから、忠義をもって尽くせば伝わると思っていたんだろうな……。 私欲ばかりの御家人たちより、頼家が自分を選んでくれると思っていた。弁明もする必要もないと思っていた。   景時ほどの人物が涙ぐむなんてよほどだよね…… #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 関連ニュース】 「義時ら描く浮世絵発見」 歌川芳藤作の富士の巻狩図が見つかったというニュースが! 見つかったのは、田方農業高校同窓会事務室ということですが、同校を創立したのが、#仁田忠常 公のご子孫とされる方なのだとか😳絵図には仁田忠常の姿もあるそうです #伊豆日日新聞
【お知らせ】 #日本歴史時代作家協会賞 の新人賞候補作に、小栗さくらの『#余烈』(#講談社)がノミネートされました! 候補に上がったこと自体とても光栄なことで、お知らせを聞いて本当に驚きました。結果は少し先なので、次回作を練りながら待ちたいと思います rekishijidaisakka.hatenablog.com/entry/2022/07/… #小栗さくら
#鎌倉殿の13人 第25回 ・冒頭ナレから死の予告 ・平家の赤で一面のほおづきデコ ・強制的な赤子抱っこ ・何かを察し…ていない比企の尼 ・鎌倉殿の資格=女好き ・とっさに出た「佐殿」の呼び名 ・挙兵時に観音様を手放した頼朝を、迎えにきたように鳴る鈴の音 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
源頼朝が亡くなる前3年の『吾妻鏡』は欠巻となっています(初めから作成されてない説も) 吾妻鏡における頼朝の死の記述は、建暦2(1212)年2月に、相模川橋の破損について書かれた部分にあります。 内容は、「頼朝が相模川橋の落成供養の帰りに落馬し、ほどなく亡くなった」というもの #鎌倉殿の13人
蝉の抜け殻を集めるのが好きだった冠者殿。大姫の死とともに、後ろで命を終えたような蝉の声が……。 大姫が冠者殿の元へ飛び立ったのがよく感じられた…… #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 第23回 ・富士の巻狩りは接待の香り ・器用だけど空気を読みきれない金剛 ・不器用だけど大人の思惑を知る万寿 ・動かない鹿、ご用意しました ・矢が外れると思って射ておきました ・頼朝が女好きで良かった(?)初めての回 ・偽の美談が残ってしまう曽我兄弟…… ・蒲殿を助け隊🥲
こんなに悔しい「美談」もないよなぁ。 命をかけて目的を果たした!って思ったのに、討つべき人は生きて目の前にいて、自分たちの行ないは歪んで美しい「別のもの」として語られていく……。 一方、曽我兄弟も時政を騙して頼朝を討とうとしていたわけで、因果応報ともいえる #鎌倉殿の13人
「吾妻鏡」曽我兄弟仇討ちの流れ 兄弟が館に忍び込み、工藤祐経を殺害 →同宿の吉備津宮の王藤内も殺害 →居合わせた遊女たちが悲鳴をあげる →曽我兄弟「仇をとった!」と声をあげる →駆けつけた海野幸氏らが傷を負う →兄は仁田忠常に討ち取られ、弟は捕らえられその後梟首となる #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 22回 ・八重は楽しかったし満足していた🥲 ・初対面感のない頼朝と後白河 ・姉上にはよく首を絞められていた(小四郎談) ・征夷大将軍ー! ・全成:私の占いは半分しか当たらない ・すぐ手を出そうとする頼朝 ・比奈「(小四郎は)薄気味悪い」 ・幼い金剛の漢気🥹 ・曽我兄弟の仇討ち序章
ああ……八重さんが真珠ケ淵で入水し命を落とした伝承が、こんな形で……。 眞珠院にある八重への「梯子供養」は、梯子があったなら救えたのに……という里人の思いの形だったとか。 今こそ梯子がほしかった…… #鎌倉殿の13人
#藤原秀衡 は自分の死後に、国衡(庶子)と泰衡(嫡子)という異腹の兄弟に不和が起きないよう、泰衡の母を国衡に娶らせました。 形ばかりではあっても複雑😳 そういえば、安徳天皇の母・建礼門院も夫の高倉上皇が若くして亡くなると、その父・後白河院への再嫁案が出た話があったなぁ #鎌倉殿の13人
【24年大河ドラマ「#光る君へ#吉高由里子 さんが主演】 なんと!紫式部!!😳 予想外のところきた! 「大河ドラマ第63作「光る君へ」に女優の吉高由里子が主演すると発表した。大石静氏が脚本を手掛け、平安時代の #紫式部 の物語を描く」 sponichi.co.jp/entertainment/…
#鎌倉殿の13人 壇ノ浦の戦い古戦場が一望できる場所としておススメなのは、山口県下関市の「火の山」。 義経軍が集結した満珠・干珠の島から、平氏が本拠を置いた彦島までぐるりと見渡すことができます! 歴史ある和布刈(めかり)神社は、当時から戦いを見守っていたのですね……
安徳天皇が祀られている #赤間神宮 。 現在の建物は、竜宮造りでとても鮮やか。 拝殿には水が引かれていたため、地元の方に聞いてみたところ「竜宮造りも、水を引いたのも、『波の下の都』をイメージしています」とのことでした🥲 そんなの泣くしかない…… #鎌倉殿の13人
下関の「壇ノ浦古戦場跡」には、八艘飛びをする義経と、碇を手にした平知盛の像があります。 大河ドラマ『義経』で義経を演じた #滝沢秀明 さんの手形や、同ドラマで平資盛を演じ、今回「宗盛」を演じている #小泉孝太郎 さんらの手形もありますよ。 見応えある銅像! #壇ノ浦の戦い #鎌倉殿の13人