#鎌倉殿の13人 第14回 ・よいお顔立ち ・義高と大姫、守りたいこの笑顔 ・千人分の武働きができそうな巴御前 ・可愛すぎる安徳天皇(滝涙) ・笑われても、やめないでピュア義仲 ・重要:三種の神器の奪還 ・鼓判官による自己異名解説 ・全成 “呪詛の座は譲らない“ ・義時→八重の敬語が消えた尊み
#鎌倉殿の13人 とランチパックがコラボ!】 13人にちなんで、「13種類の野菜」が入ったチキンカレーのランチパック!美味しそう✨ 静岡県や東京都内などでは昨日発売しているとのことなので、私も探してみます😄 ほか愛知県、関東圏の山崎製パン取扱店や量販店で販売しているそうですよー!
五徳はこのあと織田に戻るのですが、再婚することは無かったそうで、ドラマの通り「岡崎殿」と呼ばれていたようです。 信長の死後は兄の庇護を受け、のちに秀吉への人質になったということなので、また後で出てくることもあるのかな。 #どうする家康
#鎌倉殿の13人 22回 ・八重は楽しかったし満足していた🥲 ・初対面感のない頼朝と後白河 ・姉上にはよく首を絞められていた(小四郎談) ・征夷大将軍ー! ・全成:私の占いは半分しか当たらない ・すぐ手を出そうとする頼朝 ・比奈「(小四郎は)薄気味悪い」 ・幼い金剛の漢気🥹 ・曽我兄弟の仇討ち序章
後妻(うわなり)討ちについて 「政子が亀の前の家を打ち壊した一件も、『うわなり討ち』の伝統的な流れの中に位置づけられるものであろう。政子が乱暴だったのは事実であろうが、政子だけが乱暴だったわけでもない」 (野村育世先生「北条政子ー尼将軍の時代ー」より) #鎌倉殿の13人
桶狭間で家康を守った時も、今回の榊原康政(小平太)を助けた時も、瀬名たちが無事に川向こうから家康のもとに戻った時も、サッと我が身を前に出し槍を構え守ろうとする本多平八郎忠勝見ました!? (面倒見の良いツンデレですね) そのうち康政と仲良く競い合うだろうから楽しみにしてる #どうする家康
#鎌倉殿の13人 第23回 ・富士の巻狩りは接待の香り ・器用だけど空気を読みきれない金剛 ・不器用だけど大人の思惑を知る万寿 ・動かない鹿、ご用意しました ・矢が外れると思って射ておきました ・頼朝が女好きで良かった(?)初めての回 ・偽の美談が残ってしまう曽我兄弟…… ・蒲殿を助け隊🥲
下関の「壇ノ浦古戦場跡」には、八艘飛びをする義経と、碇を手にした平知盛の像があります。 大河ドラマ『義経』で義経を演じた #滝沢秀明 さんの手形や、同ドラマで平資盛を演じ、今回「宗盛」を演じている #小泉孝太郎 さんらの手形もありますよ。 見応えある銅像! #壇ノ浦の戦い #鎌倉殿の13人
信長は、長政だけでなく、松永久秀や荒木村重に裏切られたときも、はじめは信じないんですよね。 意外と信じやすいところある。 「松平記」「三河物語」など徳川方のお話では、信長は家康に知らせることなく自分は退却したことになっています。 #どうする家康
景時は私欲があったわけではないから、忠義をもって尽くせば伝わると思っていたんだろうな……。 私欲ばかりの御家人たちより、頼家が自分を選んでくれると思っていた。弁明もする必要もないと思っていた。   景時ほどの人物が涙ぐむなんてよほどだよね…… #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 第41回 ・起請文は吐けば良し ・俺の指を使え(?) ・二階堂に戻ります!(もはや清々しい) ・強すぎる大江広元(甲冑なし) ・我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ ・我こそは忠臣・和田義盛の妻、巴なるぞ! ・よみがえる、木曽義仲との別れ…… 巴に二度も生きのびろというのは酷なのよ……
「吾妻鏡」曽我兄弟仇討ちの流れ 兄弟が館に忍び込み、工藤祐経を殺害 →同宿の吉備津宮の王藤内も殺害 →居合わせた遊女たちが悲鳴をあげる →曽我兄弟「仇をとった!」と声をあげる →駆けつけた海野幸氏らが傷を負う →兄は仁田忠常に討ち取られ、弟は捕らえられその後梟首となる #鎌倉殿の13人
「粗暴な男は苦手でな」 義経と景時の争いフラグ立ってますやん #鎌倉殿の13人
#どうする家康 第4回 ・将来信長に足蹴にされた光秀を不思議な顔で見そうな秀吉 ・岡田信長と北川お市兄妹の美の暴力 ・幼少お市をちゃんと藁の上に下ろすノッブの優しさ ・顔ペチからのビンタ ・とにかく秀吉が怖い ・好きゆえに優しい嘘をつくお市と、好きゆえに傷つけてしまう氏真の対比
#どうする家康 第九回 ・"色男"がもはや本名感ある忠世 ・“寺を丸裸に“……皆の頭をよぎる大坂の陣 ・捕まった正信の言葉、現代にも通じる説得力 ・家康より瀬名の方が動じない ・高すぎる海老すくいの頻度 ・歩き巫女・望月千代女と仙人・信玄 ・寺を元通り→約20年後、寺院再興を認めてるよ
#どうする家康 第5回 ・家臣内で(ヤバくて)有名すぎる正信 ・真面目なはずなのに何か笑える半蔵 ・「己は策がないくせに」はリアルでもあるある✊ ・毒入り菓子じゃなかった(毒に慣れた「麒麟がくる」勢🍵) ・巴ママも田鶴も「そんなつもりじゃなかった」 ・悲しみの「どうする瀬名ちゃん」回
宗時お兄ちゃんが生きてたらな……。 時政パパと義時の間に入って……くれたかもしれないし、余計引っかき回してたかもしれない #鎌倉殿の13人
オープニングに名が出るだけで恐れられていた、あの善児が「できねえ」。 その生業もあって、人に好かれることがない人生だったのかな。 でもトウを育てる間に善児の中で何かが変わって、無邪気に慕ってくる一幡を見て、人間らしさを取り戻したのだろうか…… #鎌倉殿の13人
#接客業であったすごい客 たこ焼き屋でバイトしていた頃。 年配の女性が来店されて 客「あの〜昨日の番号札5番なんですけど〜😀」 全店員「(昨日、あなたをずっと待ってた!😂)」 店長「作り直しますので少々お待ちくださいませ〜」 客「昨日のなのに、ないの?」 店員「(昨日のだから、ないの😂)」
源頼朝が亡くなる前3年の『吾妻鏡』は欠巻となっています(初めから作成されてない説も) 吾妻鏡における頼朝の死の記述は、建暦2(1212)年2月に、相模川橋の破損について書かれた部分にあります。 内容は、「頼朝が相模川橋の落成供養の帰りに落馬し、ほどなく亡くなった」というもの #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 壇ノ浦の戦い古戦場が一望できる場所としておススメなのは、山口県下関市の「火の山」。 義経軍が集結した満珠・干珠の島から、平氏が本拠を置いた彦島までぐるりと見渡すことができます! 歴史ある和布刈(めかり)神社は、当時から戦いを見守っていたのですね……
#藤原秀衡 は自分の死後に、国衡(庶子)と泰衡(嫡子)という異腹の兄弟に不和が起きないよう、泰衡の母を国衡に娶らせました。 形ばかりではあっても複雑😳 そういえば、安徳天皇の母・建礼門院も夫の高倉上皇が若くして亡くなると、その父・後白河院への再嫁案が出た話があったなぁ #鎌倉殿の13人
小栗さくらは本日より、伊豆の国市の 「#いずのくに北条PR大使」 に就任しました! 小さい頃から祖父と旅していた伊豆。 そして、歴史に興味を持ってからは、 北条や幕末ゆかりの地として #伊豆の国市 に通っていたのでとても嬉しいです! 過去ツイートもRTしたので、遡って見てみてくださいね☺️
#どうする家康 第6回 ・毎話強き戦国女子すぎて、自称サバ女など蹴散らす於大ママ ・当たらないと定評のある半蔵の飛び道具 ・「お前などには任せぬ!」「でしょうな!」 ・ドシリアス今川ターンとシリアスになりきれない松平ターン ・「そなたが命をかけるべき時は、いつか必ず来ます」それダメ……
長政が信長を裏切った理由は諸説あります。 一説として、信長との同盟を続けることで、浅井が織田の家臣団の一部と化し、大名としての独立性を失うことを懸念したことが挙げられています。 #どうする家康