「プログラミングに数学は不要」論を見た。 「プログラミングに数学は不要」は明確に嘘なんだけど、「数学が出来なくても出来るプログラミング」の領域はそんなに狭くないと思ってます。「数学」がどこまでを指すかによって、その広さは結構変わるとおもうけど。
ウマ娘のはなし。 新しいSSRサポカが「平均値は高くないけど分散がすごい高い」タイプで、「想定される試行回数に応じて最善サポカが変わる奴だ!」ってちょっと喜んでたけど、基本的にサポカもイベントも練習も運ゲーで、運ゲーが大量に重なる場合は平均値が高いものを純粋に選べばよかった……。
身長168cmなんだけど、「168cmです」って伝えたら、「168とか169くらいの人は絶対170cmって答えるから、168cmって答える人は絶対もっと身長低い」って言われたことがあって、どうすりゃええねん、ってなったことあるなあ。
「あ、少年革命家ゆたぼんが小学校に登校してる!」 「…………じゃあいいじゃねえかよ」 twitter.com/alisa___ris/st…
初音ミクとかの楽曲作ってる人は脳内イメージが最初からおじさんだから、生放送とかしてても困らないんだけど、VOICELOIDの実況者さんは脳内イメージが女の子から来てるから、生声配信とかしてると困っちゃうし意図的に避けてる。ニコニコで言うといわしさんとかたいたぬさんは美少女じゃないと困る。
バレンタインと言えば、 「女子から貰えるチョコの数を最大化したい。女子は一番好きな生きてる男子にしかチョコをあげないので、最大K人まで男子を暗殺して貰える数を増やしたい。女子の好意ランキングが与えられるとして、最大いくつチョコが貰えるか?」 って問題を納品して没になったことがある
Vtuber周りのあれこれを見ながら、自分がキズナアイ登場時に夢見ていた、「バーチャル空間上にキャラクターを創造する新しい形」としてのVtuberというのは、とっくに死んでいたんだなあ、と感じている。今はVtuber=絵が動く配信者だけど、昔はそうじゃなかったよね。(続)
初期Vtuberの多くは動画スタイルだったが故に、「キャラクターの方向性は運営チームで決める」ってことが可能だったはず。当然我々からは、「中の声の人」と「台本を書いている人」のどっちの意志で喋る内容が決まっているか分からないし、だからこそ声の人が同一にならなかった。(続)
例えば初期から活躍した猫宮ひなたちゃんなんかは、「FPSがプロ級のVtuber」として活躍していたのだけど、おそらく「声の人」と「プレイヤー」は別の人。でも「猫宮ひなた」というキャラクターをどちらも構成する要素で、多少の批判はあれど、「猫宮ひなたのプレイ」として受け入れられていた(続)
決定的な出来事として「にじさんじの誕生」を挙げる人が多いし、「3Dフルトラッキングでの動画制作」がメインだったVtuber文化を「2Dの画像を動かす生配信」をメインに変えていったにじさんじの影響は実際めっちゃ大きい。ただこれは必然の流れだったかなと思ってる。楽だし。(続)
個人的に注目していたのが、今は亡きゲーム部プロジェクト。彼らは全員ゲームがプロ級に上手いのだけど、それを生放送で違和感少なく再現してみせた。動画による物語と、プロのプレイに声を添えたゲーム実況。「新しいキャラクターの作り方」としては、めちゃめちゃ先を言ってたと思う(続)
そんな「キャラクター」としての立場をしっかり作ってたゲーム部プロジェクトが、声優さんに対する労働問題で炎上。結局全員が声優交代になったんだけど、「声優が違えばもう別の人」という流れを作った原因の一つだと個人的に思ってる。最もキャラクターが分離したVtuberの一つだと思うんだけど(続)
同様にキズナアイも4人に分裂して炎上したりとか、完全に「声の人が変わったら別人」って流れが出来て、中の人を「魂」って呼ぶようになったりとかして……その時点で、もう「新しい形のキャラクター」としてのVtuberは死んでいて、「絵が動く配信者」になっちゃってたんだなあ、と今更ながら思う(続
もちろん「絵が動く配信者」にも価値があるし、需要もあるし、だからこそホロ・にじがここまで伸びてるんだけど、自分が一番見たかったのはそれではないんだよなあ……。 色んな形があったと思うけど、例えば中の人への依存が小さく、でも交流が出来るキャラクターとか。(続)
結局「2次元だろうと3次元だろうとキャラクターが動いてる動画/生放送」が全部Vtuberとしてまとめられるようになってしまうと、自然と「キャラクターと声優の同一視」が行われる環境が出来てしまったので、キズナアイ登場時以上に、新しい形のキャラクター生成が出来ない環境になったと思う。残念。
会議から帰ってきたら伸びててびっくり。「死んだ」は「1人もいなくなった」の意ではなく「受け入れられやすい土壌が失われた」くらいの気持ちで言ってたけど、いい過ぎでごめん。まだそれなりにいるし追っかけてもいます。
めっちゃ共感してくれてる人いてありがたいけど、結局「黎明期に色々妄想したけど期待した所と違う形に纏まったね」ってだけの話だと思うし、ただのおじさん1人の考え方くらいに見て欲しいかな。今流行りのタイプのVtuberが好きな人はそのまま好きでいてほしいし、気にしないでいいからね。
今のVtuber文化を否定したいわけじゃない、というのは重ねて言っておくね。生まれ持った外見の差に影響されない自己表現の手段が増えた、とかはとても良い話なので。 今は声には依存しちゃうけど、「誰が喋っても同じ声になるボイチェン」みたいなのがもし出来たら、また話が変わったりするのかな?
もう1個追記。「Vtuberという名前を使わなければ良い」みたいな話がちょこちょこあるけど、例えばにじさんじなんかは「バーチャルライバー」って肩書きでやってて、Vtuberと自ら名乗ってる訳では無いのよね。「Vtuber」というクラスタリングをしてるのは視聴者側なので、そこは制御出来ない。
だいぶバズってるのは、今のVtuberも昔夢見たVtuberも、大きいインパクトがあるからだと思ってるし、どっちもバカにするもんじゃないよ!下らなくないよ! あと死んだとか言ったのはマジでごめんなので、「そういうVだ!」って人は自薦他薦含めてこのツイートにリプつけて宣伝していいよ!
たまに引っかかってる人がいてなんだろうと思ってたら、「絵が動く配信者」が揶揄と捉えられているらしい。そんな意図はないし言葉にそういうニュアンスもないと思うので不思議なのだけど、定型句だったりするのかな。だとしたら申し訳ない。顔移さず表情・リアクション表現出来るのはデカい。
自分がバーチャルキャラクターの可能性に最初に期待を持ったのは、2002年リリースの「伺か」。デスクトップ常駐型アプリケーションで、勝手に喋ったり色々してくれる。つっついても反応する。 ↓は推しゴーストの「ロスト・ユー・サムウェア」。久々に起動したらなんかセーブデータ飛んでて泣きそう。
国税庁さん????
停電の人でライトないひと、携帯ライトをペットボトルで拡散させると良い感じだよー
Youtuberをみんな見るようになって、情報を纏める人がテキストではなく動画という形で情報を纏めるようになり始めたので、インターネットが以前より不便になったように感じてる。 検索性が低い・見るのに時間がかかる・必要な情報を切り出しにくい、などなど、色々ダメな要素が多い気がする。