タイプ・あ~る(@hitasuraeiga)さんの人気ツイート(新しい順)

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しかし「夢の中の自分が現実なのか?現実のほうが夢なのか?」という中国の説話『胡蝶の夢』を題材にした「みじめ!愛とさすらいの母!?」は、その後の押井作品で繰り返し描かれるテーマの原点となり、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を生み出すきっかけにもなったのである。
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この第101話、TV局側も放送に間に合わないと困るため仕方なく納品したものの大問題となり、押井守は局長室に呼び出されて厳重注意を受けた挙句、当時のスタジオぴえろの社長(布川ゆうじ)からも「お前いいかげんにしろ!」「二度とやるな!」とメチャクチャ怒られたらしい(視聴者からも苦情が殺到)
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『うる星やつら』第101話「みじめ!愛とさすらいの母!?」は、あたるの母を主役にしたオリジナル・ストーリーで「夢から目覚めるとまた夢だった」という状況を何度も繰り返す母の姿を描き、オチも何が何だかよく分からないまま終わる…という非常に不可思議なエピソードだった。
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そして漫画・アニメ・映画のパロディや立ち食いソバなど押井守監督の好きなものとかやりたいことを次から次へとブチ込んで様々なエピソードを作り続けた結果、ついに”事件”が起きてしまった。第101話「みじめ!愛とさすらいの母!?」がフジテレビから納品を拒否されたのだ。
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やがて『うる星やつら』は高視聴率を記録するようになり人気番組へと急成長していくのだが、当時の状況を押井守は「結果が全てで勝てば官軍」「視聴率が上がったらTV局もプロデューサーも何も言わなくなって演出のやりたい放題になった」と語っており、次第に原作を逸脱し始めたのである。
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なお、第19話・20話「ときめきの聖夜」を作る際はスケジュールが全然足りず、苦肉の策として作画枚数を減らしたのだがファンの評判は非常に良かった。押井監督曰く「ああいうしっとりした話はウケるんだよね。僕はもっとドライな話をやりたいんだけど、メガネをやると怒られる(笑)」とのこと。
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ちなみに当時、押井守監督の中では「アニメーションでも長回しや長ゼリフは可能なはずだ」との考えがあり、それを実証するために敢えてメガネに長ゼリフを喋らせた…という理由もあったらしい(この頃から色々小難しいことを考えてたんだなぁw)
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某雑誌で映画『#るろうに剣心 最終章 The Final / The Beginning』の特集を組んだ際、出演者たちに「好きなシーンはどこですか?」などのアンケートをとったら、多くの人がシンプルな回答だったのに一人だけ膨大なコメントを書いてきた土屋太鳳さん真面目すぎるw #金ローるろ剣祭
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押井守は当初、メガネをただのサブキャラ程度にしか考えていなかったが、千葉繁のクセが強い演技とアドリブによって、難解な長ゼリフを饒舌にしゃべり倒すキャラクターが出来上がったという。また千葉繁によると「メガネは押井さんの代弁者」とのことで、ある意味“押井守の分身“とも言えるだろう。
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さらに3クール目からは伊藤和典(それまでは制作進行をやっていた)が脚本家として参加し、押井守の演出もどんどん調子が上がってきた。やがて、原作では単なる脇役だったメガネのセリフが増え始め、第87話「さよならの季節」ではとうとう主役以上に目立つキャラへと成長してしまった。
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その後、「『うる星やつら』は自由に何でもやらせてくれるらしいぞ」との噂がアニメ業界で広まり、森山ゆうじや平野俊弘や西島克彦や板野一郎など凄腕アニメーターたちが続々と集まり始め、急激に作画が充実していった(同時にアニメーターの悪ノリもエスカレートしていったw)
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山下将仁の作画の何が画期的だったのか?というと、「金田伊功系アクションのカッコよさを残したままギャグに転用したこと」だろう。つまり金田アクションを『うる星やつら』に持ち込むことで、カッコいいアクションそれ自体を”ギャグ”として表現したのだ(当時、島本和彦も恐れていたらしいw)
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山下将仁が初めて参加した第27話「面堂はトラブルとともに!」では『うる星やつら』に金田系アクションを大胆に持ち込み、奇抜なポーズや独特のタイミングでキャラクターを描き、アニメファンの間で話題となった(以降、山下は”暴走アニメーター”と呼ばれるほどの活躍ぶりを発揮する)
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しかし社内で「押井守を降板させるかどうか?」を検討していると、師匠の鳥海永行が「絶対に降ろしてはダメだ」「一度決めたんだから最後までやらせるべきだ」「俺たちにできるのは彼をフォローすることしかないじゃないか!」と強く主張し、結局チーフディレクターを続けることになったという。
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そして押井守の方も、会社側から「どうなってるんだ!」「真面目にやれ!」などと怒られる度に「うるさい!」「こっちも必死にやってるんだ!」と言い返し、「毎日がケンカだった。怒鳴り合いに近い(笑)」と当時を振り返っている。
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そんな状況で作った『うる星やつら』だが、放送当初の評判は最悪だった。ファンから「原作と違う!」「作画がひどい!」などの苦情が殺到し、会社にカミソリが入った抗議の手紙や罵詈雑言を録音したカセットテープなどが大量に寄せられ、とうとう押井守の降板話まで浮上する事態になってしまった。
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押井を含めた3人(早川啓二・小島多美子)で絵コンテを描きまくり、外部のプロダクションにグロスで作画を発注しまくり、ほとんど家にも帰れずスタジオで寝泊まりしていると冬になって寒くなってきたのでプロデューサーに「暖房を入れてくれ」と頼んだら、支給されたのは毛布1枚だけだったという。
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当時のスタジオぴえろは『太陽の子エステバン』と『まいっちんぐマチコ先生』に主力スタッフが投入され、デスクすらいない状態で『うる星やつら』の制作が始まった。困った押井守は自分で他の演出家を捜したり、北海道に帰っていた『ニルスのふしぎな旅』の元スタッフを電報で呼び戻すなど大慌て!
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高橋留美子の人気漫画『うる星やつら』が最初にTVアニメ化され放送が始まったのは1981年10月14日。しかし現場は大混乱だったらしい。なぜなら放送が決定したのがオンエアの1ヵ月前で、時間が全く足りなかったのだ。そんな時にチーフディレクターに抜擢されたのが、当時まだ若手演出家の押井守だった。
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何でいにしえのオタクたちは新作の『うる星やつら』をベータとかVHSとか昔のビデオデッキで録画しようとしてるんだよ。2022年やぞ😂
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『水星の魔女』について色々言われているようだが、「ファーストガンダムは”大人同士の会話は視聴者も分からなくていい”というスタンスだった」という意見を見て、「相手が子供だからといって、わざと分かりやすくする必要はない(子供をナメてはいけない)」という富野監督の言葉を思い出した
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声優の近石真介さん死去とのことで、失礼ながら初代のマスオさん役だったことを初めて知りました。洋画の吹き替えのお仕事が多かったようですが、調べてみたらOVA『老人Z』で長谷川良彦(メガネの男)を演じていたんですね(主人公と敵対するキャラですが冷徹な言動がとても印象的でした。合掌)
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#学校じゃ教えてもらえない映画やアニメや漫画で教わったこと選手権 ペーパードリップ式のコーヒー抽出器を発明したのはドイツ人の主婦(新谷かおる先生の漫画を読むとこういう豆知識がどんどん増えるw)
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なぜ押井守監督がアニメ『うる星やつら』で原作を大きく改変できたのかというと、「最初はクビになりかけたが、結果的に視聴率が上がって演出のやりたい放題になったから」「TV局もプロデューサーも”何でもいい”という雰囲気になっていた」「昔のアニメは無法地帯で、監督絶対主義に近かった」とのこと
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最後の「どうして!」という石神のセリフは堤真一さんによると「最初は”ここまでやったのに、どうして?”という叫びかなと思ったけど違うなと。初めて愛情というものが分かったんだなって…。人間の営みは数学的に進まないことを知ったんです」とのこと。改めて堤さんの演技すごいな。 #容疑者Xの献身