大学院生へ 大学院生である前に、この時間は自分の人生の時間です。この自覚は自分を守ります。人に気を使えるその想像力は自分のことにも使うことができます。 「大切な決断を迫られたとき、真っ先に自分を優先できること」 それはワガママでも無責任でもなく権利です。
大学では学問するので、頭が良いことの定義は素朴で基本的である。 ・わからないことを小さく区切って質問できる ・わかる、わからないの意思表示が明確なコミュニケーションができる ・人と情報交換できる ・本当に理解していることを積み上げていける そして何より、興味をもっていることが明るい。
数学科の学生は ・専門家が言ったから正しい ・本に載っていたから正しい みたいな方法では前に進めない世界で4年も過ごすんです。 「わかることについて責任をもって話すこと」 そういう正直さ溢れる技術がそこで身につきます。単位や成績が気になっても、「考えるという財産」を蔑ろにはできません。
大学院生へ 何度でも言います。休むと決めたら休むことです。 「研究してない自分を気にして気持ちが疲れる」 「休日、思いきり休めばいいものを、何もしてないことを気にして気持ちが疲れる」 こういうのはやめましょう。本当にムダです。ちゃんと休むことも研究者の仕事です。
大学院生へ 成果が出ないと焦りますよね。ただ、そんな経験も「研究の喜び」のひとつなんです。 「成果でしか自己肯定感を上げられない」 そんなの寂しすぎます。心にケガをしそうで心配です。そういう次元で大学院生することなんてないんです。喜びに正直に研究者したらいい。学問ではケガしません。
大学院生へ 学問ではケガしません。心をケガするのは、人に気を使い、人に管理されて疲れるからです。 睡眠時間の話はしていません。「研究してない自分」を気にせずに、空っぽになってちゃんと休んでいますか? 研究者の自由の一つに 「成果の有無に関わらず、堂々と眠ってよい」 というものがあり
大学院生へ 上手に休めていますか? 「研究してない自分を気にして気持ちが疲れる」 みたいなことは本当に無駄です。睡眠も空っぽの時間も、研究のうちなんです。室内も屋外もいつも明るくて、忘れがちですが 「暗くなったら寝る」 「眠くなったら寝る」 「疲れたら寝る」 潔く寝ることは大事ですよ。
一つ数学科の大学院入試のおもしろい話をしたいと思います。皆さん、院試対策を万全にして試験に臨むことと思いますが、徹夜で試験を受けるのは禁物なんです。というのも、次の日に口頭試問があり、試験で解けなかった問題が聞かれます。つまり、一日目の試験の後にもう一回戦、解答作りが始まります。
何度でも言いますが 「わからないことにわからないと言える」 これが数学科にある優秀さです。4年生になり研究室に配属され、ゼミであやふやな態度をとってみようものなら、... それは数学を共有する仲間に対する最低限度の誠実さなんです。できる限りの準備をしてありのままを話す姿がcoolなのです。
っていて、それが安全安心な議論を支えるものだと知っている。 彼らはそれぞれの頭に、そして心の中に同じ数学を思い浮かべながら、焦点を合わせ、数学を理解し深めようとしている。納得に正直であること、論理に飛躍がないこと、そして仲間と数学を共有できることへの喜びをもって、その時間を過ごす
のである。 「議論では誰も傷つかない」 これを当たり前だと思って過ごす時間は特別である。 学年、年齢、立場、... そういうものをすべて超えて、そこに集まる各々が数学に集中し合う時間が確かに存在する。 「それが日常的だって?」 そう、それは数学科のもつ特別さ、優秀さの一つである。
数学科の学生は「誰も傷つかない議論」を日常的に行っている。 1. わからないときに「わからない」と言える 2. 待ってほしいときに「ちょっと待って」と言える。 3. 間違ったら「間違った」と素直に言える 4. 間違っていると思ったら指摘できる 1から4は参加する全員が「当たり前で、お互い様」と思
大学院に入学すると「成果を出さなければならない」という考えで頭がいっぱいになるかもしれない。ただ、そんなときに、指導教官の先生に 「もちろん、成果を出し論文をまとめなければ修了はできないよ。ただね、一回、『数学を研究すること』と『成果を出すこと』は分けましょう。」 なんて言われたら
数学科の大学院生や博士に質問して、ほしい答えが返ってこなかったからといって 「なんだ、そんなこともわからないのか」 と思わないでほしい。彼らは物知りというより研究者ですから、専門のことで頼るといいし、「秒で答えを返す能力」ではなく「一週間後にそれなりの回答をする能力」に長けている。
その上にある研究活動が求められる場所である。地頭が良いとか要領がいいとか、頭の回転が速いとか、知識をよく記憶できるとか、... そういうものをもっているかどうかではなく、それは道具であるというのである。自分自身にあるもので、自分がどう考えていくかという部分にいつも焦点があたっている。
大学院という場所はすごく潔い。 どんなによく本を読み、知識を集め鼻高々とそれを話しても、 「それで、私たちの知らないあなたの話を教えてください」 と言われてしまう。それではまるで空っぽを見抜かれるようである。研究する人たちの興味や問題意識を最大限評価しようというところがフェアであり
数学科の学生は、わからないことを認め、わからない自分も認め、疑問を一つずつ小さくしていこうとする。その態度には正直さが詰まっていて、だから疑問を抱えて過ごせるのだろう。 「確かな理解をもって知っていることを話し、わからないことにはわからないと言う」 それが数学科にある優秀さである。
数学科の新入生へ 入学前に大きな本屋さんへ行って ・微分積分 ・線形代数 と書かれた本を買ってみましょう。あまりの種類の多さに何を買っていいかわからなくなります。それでも、何も調べず誰にも聞かず感覚で選んでみるんです。その体験は数年後に美しく香ってきます。これは今しかできません。
学生「英語が苦手なんです」 先生「これ読んでごらん」 学生「え!英語の本。しかも、数学?」 〜しばらくの沈黙〜 学生「先生!これ知っています。知らない単語ばかりなのに、読めます!!」 先生「日本の数学科の大学院生は、だいたいこんな具合で洋書の専門書を読んでいるんだよ。」
大学院生へ 上手に休めていますか?これは自分の体験ですが 『休日、ただ思い切り休めばいいものを、何もしてないことを気にして気持ちが疲れる』 みたいな過ごし方は本当に無駄だと思います。休むことも研究のうちですし、空っぽの時間はなんというか「自動的に役に立つ」みたいなところがあります。
数学を勉強していると、いろんなミスをするものです。そして、ミスをしたからといって「数学に向いていない」と思うのは間違いです。例えば、数学に適正がある人というのは、 「ミスを指摘されても自分が攻撃されているとは思わない」 という特徴があります。そういう心の中にあるものが特別なんです。
数学をしていなくても、数学のある生活を送る人たちがいる。数学への親しみである。それぞれに数学観や考えがあって、誰とでも数学できるほど簡単ではない。だからこそ、「この人だ」という人がいれば大切にするとよい。良い仲間は本当に貴重である。あなたの数学が大きく育っていくことを願っている。
れはあなたの研究の支えになることだろう。 もし明るい人をみて眩しかったら、整理する時間をもちたいものだ。彼らから何か学べることがないだろうか。自分を知る時間をもつこともできるかもしれない。そして、もう一つ、感じの悪い優秀な人がいれば避けることだってできるのである。 競争の多い、そん
な世界であるが、「競わされていないか」と改めて考えることができる。科学を支えているのは、能力の高さではなく、自分の知ったこと、発見を共有できる心の豊かさである。子どもたちの 「いま、何やってるの?」 という素朴で純粋なきっかけの言葉を思い出す。窓の開いた人同士の共有の力がある。
あなたも同じように、将来、あなたの問題と出会うことだろう。そして、その問題の前で立ち止まり、集中し、そこで多くの時間を過ごすことだろう。あなたの周りにいる優秀な人たちも同じようにそういう時間を過ごすかもしれない。もしかしたら数学ではない道に進んでいるかもしれない。でも、忘れないで