カードの引き落とし額がすごいことになっててびっくりして「誰かに使われてる!情報が漏れてる!」と夫に言いつけて一緒に明細確認して「わたしだった😇」となるまでが毎月のルーティンです。
ロイホに来たらポテトがきびなごに変わっていた。 一生このままでも嬉しい。
昔っから激美女でダイエットと筋トレを常に行ってる子がいてね。その子の前に私のおデブな体を晒すの嫌だなって思った時期があったの。そしたら「なんとも思わない。私は私で、私の美しいを追求してるだけで冴子は冴子で完璧だと思ってる。人のことデブとかいちいち思わない。」と言われたの。かっこよ… twitter.com/i/web/status/1…
「筋トレはじめてちょっとお尻の形が整ってきたね」と夫に言われたから、調子に乗って朝からハッシュポテトを大盛りご飯で食べてしまいました。俺を殴れ
汚い話をします。パリジェンヌの間で白滝をパスタの代わりにするのが流行っていると数年前にテレビで見て速攻で真似したの。私はよく食べるから、白滝を3袋使ってキノコオイルパスタ風にしたのね。それはそれは美味しかった。半日後、そのまま出てきたんだ。本当にそのまま。こんにゃくってすごいね。
遠足の日は父がお弁当をつくってくれた。ドラクエ好きな私のために桜でんぶでスライム作ったりグミを竹串に刺してそろばん作ってくれたり。夜中帰宅して作ってくれた。ある年の朝、父がリビングで力尽きており、台所にはまだ作りかけのお弁当が置いてあった。
「お姉ちゃんはお金が貯まるけど俺は借金があるからこれが無くならないとお金が貯まらない。」とマイナスの概念も理解できたしお金の重みもよくわかったようでとてもよかった。もしもやってしまった時はオススメですぜ
もちろん上司の粋な計らいで「送別会ができないからとりあえず。」と。泣いて喜んだ。彼はミーティング時に他社が用意してくれたランチが大食いの私には足りないと思うと横からそっとサンドイッチを恵んでくれたり、出張に行けば美味しい店で大盛りを頼んでくれた。今もずっと慕ってる。食の恩は深い。
仕事で大変お世話になって、仲良くなった女性がいる。お互い会社や立場は違うけど、すぐ仲良くなってね。初めてご飯を食べに行った日は飲みすぎて感極まって泣いて握手したりした。たまにLINEしたりして生存確認してけど、「ちょっと入院するね」を最後に連絡が途絶えた。最近、
わたしゃ、公立の学校とトイレットペーパーが税金で賄われてるなら、生理用品もそれで賄われても全然いいのではと思っているよ。生理って生理現象ですから。
午後は久しぶりに近所のスタバに来たけどなんかみんな勉強してて「みんな頑張れー!!」という気持ちとワークスペース専用スタバあったらお茶したい人と棲み分けできるのにな…と思ったりなどした。
マツケンサンバが頭から離れなくなってしまった。今日はこれを周りの人に伝染させるのが私の務め。
補足:お店の人はちゃんと直ぐ目の前でパンさげてくれてまーす!!
と一言言ったの。たった一言。それからなーんにも言わなくなってさ。馬鹿にされてたんだなと思った。なんてことない思い出なんだけど未だにフッと思いだすの。私相当悔しかったんだろうなって思うし、上司に感謝してる。
以前、子供にワキガのことどう伝えてるかってご質問あった時に「小さい頃からそのうち毛が生えたり汗の匂いがキツくなったり、わけもなくイライラしたり、ニキビできたりするけど大丈夫だからね、一緒に解決しようね」とお話してるよって書いたのね。これ、我ながらすごくいいなって思ってたんだけど、
上の子のほんとに産まれて間もないホヤホヤ新生児期のアルバムに載せなかった写真のデータを紛失してしまって、手元に1ヶ月目からのデータしかないっていう大やらかししてさ。家族のデータ分けてもらったりしたけどほんとにホヤホヤのものって少なくて…でも昨日友達に初めてそのこと打ち明けたら→
元上司がトイレでわたしの顔見るなり「今日の眉毛の色はシャドウに合ってない。こっちにきなさい」と言って濃いめに描き直してくれた。全体のバランスとかさ、色の相性とかさ、パッわかる目持ってる人羨ましい…。
その昔、すごくお世話になった方からゴリゴリのネットワークビジネスの勧誘を受けましてね。後日また会おうって言われてとても困っていたら、別のネットワークビジネスゴリゴリ稼ぎ民の後輩氏が「俺がその人勧誘してきます。代わりに行かせてください」と名乗りを挙げてくれてすごく良かった。
今コーヒー飲んでたらむせちゃって、でも目の前に絶対に汚しちゃいけない書類があって頑張って飲み込んで口を閉じてむせたんだよ。そしたら鼻から噴いちゃって結局書類は死にました
関係者から「末期の病だった」聞いたけど、彼女からの連絡を待ってるの。こっちから連絡しない。知らなければずっと彼女は、私の世界では生きてるの。
駅でよく話すおばあちゃんがいてね。すごく話しかけてくれるから「お話好きな方やなぁ」と思ってたんだけど、1年前にご主人が亡くなったんだって。それから毎日遺骨を抱いては大泣きして暮らしていたけど、ある日涙の落ちた遺骨が桜色になったんだって。それを見て
そのとき初めて無理して作ってくれていたことに気づいた。幼い私はお激務を終えてからのお弁当作りが大変なものとは思っていなかった。人生って幾つになってもそういうとこある。自分を犠牲にした優しさほど、気付きにくい。残りの人生、できるだけ目を凝らして生きていきたい。
初めて彼氏ができたのは、中学二年生の時だった。サッカークラブに所属するスポーツ万能頭脳明晰な男の子だった。 ある日、青山くんが手を繋ごうとしてくれた。でも多汗気味の私はそれを拒んだ。 「手汗がひどいから、手は繋ぎたいけど恥ずかしくて繋ぎたくない…」
子供が行ってた保育園はね、困ってる子にすぐ手助けするの。全員特別扱い。白米が食べられない子にはふりかけを、食べられない具がある子は取り除いて、お散歩に行きたくない子は職員室で先生と過ごすとか、もちろん「やってみよう」の声かけはあるけど無理強いはしない。みんながそうやって
ネットに入れればなんでも洗えると思ってるヤツだいたい友達