小山高生(@koyamatakao194)さんの人気ツイート(新しい順)

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#アニメのT王チャンネルからのお知らせ いつもご視聴いただきありがとうございます。 4月に再開したばかりですのに恐縮ですが、本日の第45回の更新をもって暫くお休みさせて戴きます。 実は小山高生、4月17日夕刻、ガス壊疽(えそ)により、緊急入院、緊急手術となり、右足親指周辺を失いました。
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飯塚昭三さんの訃報に接し、合掌するのみです。 私と飯塚さんと言えば、『アイドル伝説えり子』の田村 項介さんです。 Wikipediaには項介とありますが、この字だったかなあ。違うような気がするんだけど。 悪の伯父役を見事に演じてくださいました。敵役は憎ければ憎いほど主人公が活かされます。
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近年は体調を崩し、思うような文筆活動は叶いませんでしたが、たくさんの方々のお力添えで恵まれた脚本家生活が送れたことは幸せでした。享年54歳。まだ若く悲しみに堪えません。 生前ご厚誼を賜りました皆様にはご報告と共に、故人に代わりまして心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
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(主な作品) TV作品 『ドラゴンボールZ』『勇者特急マイトガイン』『セイバーマリオネットR』『VS騎士ラムネ&40炎』『アキハバラ電脳組』『超魔神英雄伝ワタル』『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』『スーパーロボット大戦OG ディバイン・ウォーズ』「ウルトラマントリガー』
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(シリーズ構成も担当) 『破邪巨星Gダンガイオー』『神無月の巫女』『京四郎と永遠の空』 漫画原作 『少女奇談まこら』 植竹、おつかれさまでした。悲しいよ。 ご冥福を心からお祈りいたします。合掌。
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訃報 愛すべき門下生のひとり脚本家の植竹須美男が2月15日急逝いたしました。10日に緊急搬送され、奇跡の生還を祈りましたが、薬石効なく不帰の客となりました。残念至極です。 彼が専門学校を出て私の元に来てからもはや30年以上の時が流れました。
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本日三鷹のタツノコプロの会議室で、来春1月4日18時半からの3時間半スペシャル『Z世代が選ぶ!昭和アニメのスゴイ声優50』(テレビ朝日)で使われるコメント収録に出かけてきました。私は八奈見乗児さんのコーナーを担当しました。 さて、本番ではどれだけ収録分が残って方されますか? 楽しみです。
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私事で恐縮ですが 7月2日23時01分 初孫(女児)が誕生いたしました やっと本物のジジイになれました 感謝感激則巻アラレ❣️
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今日はエリザベス女王の誕生日でもあり、大好きなおぢさんの誕生日でもあります。4つ違いでした。 おぢさんの名は芦田豊雄さん。 随分と目をかけて戴きました。とても優しいおぢさんでした。 私が49歳で直腸癌を患った時いきなりジープに乗って現れ、一言残して去っていきました。 #芦田豊雄さん
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1973年竜の子入社2年目。『けろっこデメタン』の脚本を2本執筆した私は『新造人間キャシャーン』の第4話を割り振られた。 企画文芸部の担当は総務部から移ってきた落合茂一さん(のちにキティ・フィルムで『うる星やつら』などの高橋留美子原作アニメを企画、プロデュース)だった。 #キャシャーンの4話
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私たち脚本家(私だけかもしれませんが)は、アンラッキーな事情で早くに終了してしまった作品ほど可愛いものはありません。「バ○な子ほど可愛い」という親心に似ています。 『手塚治虫のドン・ドラキュラ』『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』『OKAWARI-BOY スターザンS』が該当作。そのうち書きます。
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本日(3月1日)、竜の子プロ(当時)入社満50周年を迎えました。業界棲息50年です。 それを記念して初めは音声にて、YouTube配信をすることとなりました。3月23日スタートです。ほぼ74歳、YouTuberデビューです。お相手はアニメ史研究家のデータ原口(正宏)さん。70年代〜90年代のアニメの裏話を語ります。 twitter.com/koyamatakao194…
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大切なことを忘れていた。 天野さんが描き上げてきたキャラデザを見た吉田竜夫社長は、企画文芸部の部屋にやってきて次のようにポツリと呟いた。 「負けたよ」 天野さんのキャラデザを認めた世紀の瞬間だった。 あの天才吉田竜夫が天野喜孝の画力を認めた。 出藍の誉れとはこのことだ。
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キャラデザを見て、私たち企画文芸部は仰天した。 「この企画は大当たりか、大外れだな」 それだけ奇想天外な企画書は日の目を見ることもなく3年間代理店のお蔵で眠り続けた。 3年後目覚めた企画は『タイムボカン』と化粧されてボカーンと発進した。 大河原邦男さんのメカデザインも破天荒だった。
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3年にわたるお蔵入りを経て、主人公ペアの名前がトップアイドルの(野口)ゴロウちゃんと(天地)マリちゃんが丹平ちゃんと(桜田)淳子ちゃんに変わった。 丹平ちゃんの由来は放映開始前に退社したせいなのか、脚本も一本書いているのだが、全く記憶にない。 しかし、作品は大当たりシリーズと大変身した。
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『タイムボカン』は私が竜の子に入社した1972年秋に企画書が仕上がり、先に広告代理店に提出された。放映は私が退社した1975年10月。 ミニカーを使った企画をとスタートして、映画『グレートレース』やタイムマシンを使ったものという要望から『タイマー大混戦』という企画書が相模湖畔で仕上がった。
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この企画書を読んだ吉田竜夫社長はキャラクターデザイン室の天野喜孝(当時・嘉孝)氏に厳命した。 「天野君、このキャラデザを仕上げるまで出社しなくていい」 こんなことを言われた彼は大喜び。10日ほど雲隠れした。そして出来上がったのがあのマージョ様たち三悪を始め、丹平、淳子ちゃんだった。
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ただ名前をつければ良いというものではない。鳥海部長には拘りが重要だった。 「そのキャラにはその名前がついた理由があるはずだ。偶然ついた名前のはずがない‼️」というポリシーがあった。名前を提案する場合、その理由づけが必ず要求された。 たとえば情報部長サグレー。情報を探るのが任務だ。
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悪を産み出すロボット製造部長はアクボーン。悪 生まれ=アクボーンという出鱈目イングリッシュ。 軍事部長バラシン。バラすからバラシン。 上月ルナは南十字星に対してローマ神話で月の女神のルナ。宇宙用語繋がりになるのだが、南 譲二が東 鉄也に変わってしまったので、全く関連性がなくなった。
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こんな調子で作業は進むのだが、半日かけて1人の名前も付けられない時もある。まさに産みの苦労。2泊3日かけて、あーでもない、こーでもないと設定作り。最後の1泊2日はほぼ完徹で手分けして企画書をまとめ上げたものだ。 実はこの企画の前にアップした企画があった。3年お蔵入りしたタイムボカンだ。
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しかし、企画書を何度出しても放映が決まらないという業界の中で、必ず放映されるという楽しみが何物にも代え難い喜びだった。 1973年の年明けと共に「キャシャーン」の企画書を上げるため、企画文芸部は鳥海尽三部長の運転するスカイラインに同乗して国分寺から相模湖の常宿「湖畔亭」に移動した。
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3泊4日の籠りだ。メンバーは部長以下陶山 智主任、酒井あきよしさん、私、そして私の後に入った落合茂一さん(のちにキティで『うる星やつら』企画)の5人。 この段階で企画についていた仮題は『ネオロイダー ジョージ』だった。 宿命の父子の名は南 光太郎博士と南 譲二。南十字星から命名した。
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投宿すると、まず、登場人物のネーミングから討議する。 名前が決まらないとキャラクターが動き出さないからだ。担当が司会し、まとめていく。 今回は既に部内で主人公とヒロイン、悪の総統の名は決まっていたので楽に進捗。 竜の子はほとんどオリジナル作品なのでネーミングが最も重要な作業だった。
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『新造人間キャシャーン』は『けろっこデメタン』の後番組として企画された。 『ハッチ』『モック』『デメタン』と3年続いたメルヘン路線から一気にSFアクションものへの転換は狙いとしては評価されるはずだ。 が、10月スタート。準備期間は短かく、急ぐ必要があった。 #新造人間キャシャーンの秘密
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マル秘情報。 私のYouTube、主題歌があるのです。 作詞、作曲、歌唱 なんとタイムボカンシリーズでお馴染みの 山本正之さんです。 楽曲は既に完パケです。乞う、ご期待‼️ スタート前に先行披露するつもりです。