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自らの不幸を自らで改善する気がなく、誰か私を幸せにして!と言うマインドの毒親は、手っ取り早く子供を利用します。子が幼い頃は子を道具として利用し、子が成長すると「あなたは私を幸せにしなさい」と子に強く要求します。その際には親孝行とか、そういう誰も否定できない強い言葉を悪用しながら
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人生の序盤に、毒親から自尊心を叩き潰されてきたため、何をするにも「私には無理だ」と思い込み、挑戦を見送ったことが本当にたくさんあります。
今考えれば、もう少し気軽に手を出してもよかったのでは?ということすら自信がなくて恐ろしくて、一歩踏み出すことはできませんでした。本当はその、
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毒親育ちは、誰よりも親孝行“でした”。例えどんなに変な親でも、親の為に幼い頃から必死に身や心を削って、親に尽くし続けた。でも…それを受け取る側の親が毒、つまりどうしようもないろくでもない人間だった。そんな子供の真心をいつも利用し、振り回し我欲で使いつぶし、子供をボロボロにしたんです
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RT わざと大声を出したり、大きな物音を立てるなどの「不機嫌アピール」をする人←実親がこれだと、子供には深いダメージが残ります
社会や人との関わりの中で不機嫌を撒き散らす人に遭遇すると、まるで自動的にスイッチが入るように、しなくてもいい過剰な緊張をしたり、必死に気を遣ってしまうんです
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私が目撃した数多くの毒親夫婦ゲンカの中でも、最も毒父が暴れ、毒母が泣き叫び、すさまじくて忘れられないものがあります。幼稚園児だった当時の私は怯え固まり、未だその恐怖は鮮やかに記憶しています
そのすさまじいケンカが起こった原因はこちらです→「母が時間通りに帰宅しなかったから」…
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私が育った毒親家庭では、子供はキッチン立ち入り禁止だったのですが、母の気まぐれで呼ばれ「これをやってみなさい」と突然台所仕事を指示されることがたまにありました。何ひとつ教わってもいないので、うまくできません。当たり前ですよね。でも毒母はまごつく私を「あんたそんなこともできないの!
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毒親にはやりたくないものをいくつも強要され、やりたいことは禁止されていました。成長後、毒親に「私はこんなことやりたくなかった、本当にやりたいことは⚫︎⚫︎だった」と毒母に言うと「じゃあ、今からやればいいじゃない」とケロッとした顔で言うんです。そういうことじゃない…
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大人になると、日常生活で「親のことを考える時間」はめったにない、ということを知った時に本当に驚いたんです。毒親との疎遠前後、私の頭の中は毒親のことでいっぱいだったからです。子が成長しても離れてもなお、子自身に使うべきエネルギーやリソースを無駄に消耗させ続けるのが毒親なのですね
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「親が毒親でおかしくて、ろくなものを与えられず変な手本で変な癖がついてしまっても、おかしさに気づいた度に、自分で直す努力を怠らなければ普通になれる」と思っていました。
でも、普通になれた?なれた!という場所に仮に辿り着けても、そこで普通を継続することはできませんでした。いつも途中
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嫌なことを言われたら、とっさに笑顔を作り、その場が和やかになるような言葉を返すという行動を取りがちです。毒親家庭では、毒親から嫌な態度を取られてもそういう対応しなければならなかったので、その癖は未だに抜けないんです。「誰かに嫌な言動を取られたら、それは受け止めなくても良い。
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心療内科の主治医曰く、「あまり過去の辛い出来事は無理に思い出さない方がいい」らしいのです。
でも…私が受けた毒親からの仕打ちの記憶は、長年誰にも打ち明けられる機会などなく、脳内で繰り返し浮かんでは沈みを繰り返し、体内で燻り続けていて、その燻りに私の心身はじわじわと炙られました
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昔、父に長い時間怒鳴り散らされ、やっと解放された母は、ひとり洗い物をしていました
「お母さん、大丈夫?」私はそっと近寄って尋ねると、母は私をにらみ、「あなたはお父さんに大声で怒鳴られたら大丈夫でいられるの?大丈夫なわけないでしょう?」と大変な剣幕で返されました。私はごめんなさい、
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私のことを嫌いと言ったり、そこまで言わなくても「私はあなたとは仲良くできない」とはっきり意思表示してきた子達の共通点は、育った家庭が暖かく、親御さんと仲が良く、家族から心身のケアを日常的にたっぷり受けてきたということでした。自分の意思を受け止めてもらえる家庭に生きる子は、
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自分の好き嫌い・快不快がはっきりとわかることができるし、それをまっすぐに発することができる。また、自分が不快に思う人からきっちり距離を取ることが幼い頃からちゃんとできる人間になれるのだと思います。
自分の感情や意思は親から発することを禁じられ、嫌なことを無理にさせられる毒親家庭
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とは天と地ほどの違いがありますね。同じ人といっても、生まれ落ちた家庭の違いで、幼い頃からこんなに違いが生じるのですね
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何をするにもつい余計や力みや焦りがあるのは、毒親家庭に生きた名残です。到底無理なことややりたくないことを「早くやれ!」「間違えるな!」と常に毒親から急かされる毎日。身体中に力が入り。心は焦りでいっぱいでした。その後遺症は未だ心身を巣食っています。この後遺症を少しでも遠ざけるために
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「自分はタフで、ずっと動き続けられるタイプだ」と長年思っていたんです。でもそれは全く違っていたということを、倒れてから初めて気づきました。
毒親家庭では、毒親から日常的に脅されるように生きていたため、いつもアドレナリンが出ていて、常に無理矢理全力疾走してるような状態だったんです
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毒親家庭では失敗が許されず、自分の弱みは親に見せられませんでした。なぜなら、弱みは毒親に罵倒されるネタとなり、失敗すると毒親から何度も蒸し返されては笑いものにされてしまうからです。毒親は人前でわざと私の過去の失敗をあげつらい、笑いのネタにすることがよくありました。
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RT 毒親育ちはバウンダリー(人との境界線)を親から破壊されてきたため、社会での実地でひとり大変な思いをしながら、人との間に線を引く学びを行わなければならないのですよね…
それは何ならこれまでとは真逆の生き方なため、気を抜けばたちまち“不快な距離で対等ではない関係”、を築いてしまいます