毒親持ちにとっての親の認識というのは、甘えられ頼れる存在ではなく、「問題ごとを押し付けてきたり、困らされる存在」でした。そのため小さい頃から「私には甘えられる相手、助けてくれる人などいない。だから、一人心を強く持って生きなきゃ」と自分に言い聞かせながら生きてきたように思います。
親や周りから愛されて生きている人に対して、私は悔しさや怒りがありました。同時に、親にすら愛されない厳しい環境に生きる私は、誰よりも磨かれているはず、という期待を持っていたんです。しかし結果は逆。普通にすらなれず、地の底へ落ちました。親からの愛をろくにもらえなかった毒親育ちは踏ん張
子供の頃の私は顔の洗い方を知りませんでした。小学生のある日、意を決して母にそのことを言ったんです。母はゲラゲラ笑いながら「だからあんたの顔って毎朝薄汚いんだぁ」…親が子に生活習慣を教えずに、一体誰が教えるというのか。毒家庭では、そんなことも知らない人間が平気で親をやっていたんです
普通の感覚を持つ親は、子がより良い人生を歩むために生活習慣を整えさせたり勉強などのスキルをつけますが、毒親は目的が違います。我が子を、まわりに自慢できて見栄を張れる子に仕立て上げたいんです。いい成績を取るよう強要するのは、「優秀な子を育てるアタシすごい」をやりたいから。子のため
うつ病になった時。毒母は「私はあなたに何をしてあげられるのぉ!」と叫んでくるので「何もしないで。遠くで黙って見守っててほしい」と何度も何度も伝えたのですが…毒母はその逆に、私の家に何度も突撃しては騒ぎ立てました。私はその度に力をふりしぼり、いい加減にしろ出てけと追い出しました
毒親被害をSNSに書き出していく作業というのは、例えると、長年毒親から一方的に「様々な呪詛が込められた大量の紙」を体内に無理矢理ねじこまれてきたのを、一枚ずつ取り出してシワを伸ばして解読し、その紙を捨てたりファイリングしたり…という作業のようだな、と思います
かつて毒親に「遅い!早く!お前はだめな子だ」といつも急かされ否定されていた時の名残でしょうか。何をするにも無駄に力が入り、「早く終わらせなきゃ。失敗してはだめだ」と焦る癖が抜けません。しかも、どんなに力んで焦って必死に行っても、パフォーマンスは並み以下しか出せないことが多いんです
「出会ってすぐ、急激に距離をつめてくるタイプは危険な人」という記述を見て、私は昔、これをやったことがあるな…と反省しました 毒親に境界線を破られ続け、侵入されることが当たり前だった私は、人との距離感がいつまでも絶望的にわからず失敗ばかり。諦めて一人でいることが多くなりました
毒親から注入された毒を解毒することとは、自分の人生を取り戻すこと、なんだと思います。自分の感情を肯定し大切にする、主体的な人生を送る…長年毒親に乗っ取られた状態だったそれらを、一体どれだけ取り戻すことができるのか?それは分かりませんが、生きている限りこの作業は続くのだと思います
毒親はどうして子供から搾取するのか?というと、「妊娠出産子育てが予想より大変!→その分こいつ(子供)からいろいろ搾り取ってやらなきゃやってらねえ!」って感じなのでしょうか 子への愛より「子に苦労させられた分、子からは元を取る」意気込みが強い。わが毒親の言動から感じられたことです
#それ娘に言う言葉じゃないだろ選手権 ハッシュタグを作ってみました 「ねえそれ子供にいうことか‥?」という毒親が放ったセリフ、よかったら教えてください!
仲の悪かった両親が、数年に一度位に奇跡的に仲がいい時がありました。その時の幼い私は、天にも昇るような幸せや安心を感じました。 たった少しの間でもこうだったのですから、いつも仲の良い両親と共に暮らし、育てられる子というのは、一体どれだけ大きな安心や幸福に包まれるのでしょうね‥
寂しさのあまり、子供である私によりかかろうとする毒親を見ると、私は「甘えるな、大人でしょう?寂しさくらい自力で処理しろ」と怒りが湧きます かつて幼く心細かった私を「邪魔だ甘えるな迷惑をかけるな」と冷たく突き放したくせに、一体どの口で私に甘えたことを言うのか…と驚き呆れるんです
毒親は“人並みの親”がしてくれる寄り添いやサポートなどを子に一切しないくせに、子供には図々しく“人並み以上の優れた子”を要求するんですよね もうこの時点で普通の神経じゃないことがわかりますが、そんな親でも幼い子は逆らえません。理不尽に耐え、親の要求に無理に従うしかなかったんです
幼い頃、私がテーブルの食事をうっかりこぼしてしまった時、「お前はなんでいつもそうなんだ!」母から罵声と鉄拳がすぐに飛んできたものでした。 一方妹がこぼすと「大丈夫?熱くなかった?」と手厚く慰められながら片付けてもらっていたんです この扱いの大きな違い。いつまでも忘れられません
普通育ちは、親からたくさんのアシストを受けながら成長できますが、毒親育ちは逆なんです。幼い頃から毒親の道具として使われ、消耗させられてきました 親孝行というのはアシストしてもらえた普通育ちの領分です。毒親に対しては孝行どころか、逆にこれまでの損害賠償を請求したい気持ちです
「もう親のせいにするって歳じゃないでしょう」幼少期から心身にダメージを受け、未だ後遺症に苦しむ毒親育ちは、その被害をただ口にしただけで親不孝者だ幼稚だと罵られる。一方で加害者の毒親は責められることなくするっと逃げられるこの仕組み。本当に一体なんなんでしょうね
毒親に人生を妨害されながらも「何とか普通になりたい、普通の環境に入りたい」ともがいてきました でも、こうしてもがいてやっとたどり着く場所には、親や環境に恵まれて穏やかに生きる人が多かったんです。 高校、大学、職場と年齢が上がるにつれて、その割合は増えたように記憶しています
毒親は子供が幼い頃は、子の相手などを仕方なく嫌そうで面倒がっていたのに、成長した子に対して異様に密着してくるのはなぜなのでしょう? 子供は昔と違って親を頼らずとも生きられますし、何より昔の冷たい仕打ちを忘れていないので、今更ベッタリされても心はすっかり冷え切っているのですけれどね
毒父は家で突然不機嫌になり怒鳴り散らしたり、突然家族を無視し始める人でした 「優しい時があったからいいじゃない」では片付けられないんです いつどんなタイミングで爆発するかわからないので、例え機嫌が良くとも常にビクビク身構えていました 気が休まらず、いつも疲れていた子供時代でした
我が毒母にとって、私は「勝手に頭がおかしくなって、勝手に暴走して“遅い反抗期”が来た哀れな娘」 毒母自身は「身勝手な娘に優しい気遣いやメッセージを送る慈悲深い母」なのだそうです。 言葉や態度から伝わってきます この認識のズレ。彼女と私は恐らく一生分かり合えないということがわかります
「家庭とは、人にとって安心できる場所、安全な基地です」という言葉を初めて見た時、驚愕したんですよね 逆でした。毒父の怒りや暴力に怯え、母のあふれ出る愚痴を聞いて適切な相槌を打ちスッキリさせなければならない… 毒親育ちには、安心する家庭などありませんでした
本心から子供が欲しいのではなく、見栄・体裁・世間体のために子供を持つ人は毒親化しやすいです そういう人は所有欲を満たしたくて、子を持つこと自体が目的化しているため、「未成熟な存在を一人前の人間に導く」という、難解であり多くの手間を必要とする子育てというものへの覚悟はありません
毒親は子供が困っていてもろくに手を差し伸べず、子供は手探りで、一人必死で前へ進みます しかし、子供のその孤独な努力すら「親が何も助けなくてもいつも一人で何とかする子供、そんな子を育て上げたのは俺たち」と、毒親は自分の手柄にします… 毒親育ちは、何重にもがんばりを搾取されてきました
毒母に雑談で「私、いまこのスポーツ選手を応援してるんだ」というと、すぐに「この人いつも負けてばかりじゃない笑」と返ってきます 用意しているかのように、私の言う事を否定・揶揄する言葉を即座にぶつけてくる毒母。 親子の気軽な世間話すら、一瞬にして不快なものに変換する能力が高すぎました