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中国側が根拠とする『順風相送』や琉球への使節の記録には、島の名前の記載があるだけで領有意思は示されていません。明の時代は台湾すら明に属さず、清の時代も、台湾府の彊域(統治範囲)は台湾島西部に限られていました。はるか北東にある尖閣諸島に中国の支配が及んでいなかったことは明白です。
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中国は14~15世紀に釣魚島を発見・命名したと主張しています。しかし根拠とされる航海手引書『順風相送』のうち尖閣諸島関連部分の執筆は1570年以降と指摘されています。
また、この史料が1961年に中国で翻刻・出版された時の注釈では「琉球諸島の尖閣諸島」とされていました。
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11月になりましたね。
おかげさまで、#領土・主権展示館 ツイッターのフォロワー数が6,000人を超えました!ありがとうございます!
これからもみなさんの応援を励みに、発信していきますので、引き続き宜しくお願いします。
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「尖閣諸島研究・解説サイト」に、解説動画「前近代の尖閣の海と島」を公開しました。この解説動画では、前近代(明治より前)の尖閣諸島やその周辺の海がどう利用されてきたのか検証し、中国政府の独自の主張に根拠がないことを解説します。
cas.go.jp/jp/ryodo/kenky…
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#領土・主権展示館 では、来週27日(火)から、夏のイベント「親子で学ぼう、領土のこと。」を開催します。
楽しみながら、学べるクイズやゲームなどを用意してあります!
夏休みの自由研究にも、ぜひご活用ください。
普段通り、常設展示も見れますので、大人の方もぜひ!
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1965年6月22日、日韓基本条約が結ばれました。その結果、韓国が一方的に設定した「李承晩ライン」は解消されましたが、竹島の不法占拠はその後も続いています。
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江戸幕府は、鬱陵島と竹島での事業を許可していた米子の商人、大谷家、村川家の当主に、原則として、旗本にしか認められていなかった将軍への面会を認めていました。
両家の当主は、数年に1度に将軍に拝謁し、幕府の幹部に、鬱陵島や竹島の産品を献上していました。
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いわゆる「ラスク書簡」では、竹島は、「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」として、韓国の主張を明確に否定しています。
詳しくは、展示館で!