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1811
文革の記録。内モンゴル東部ゴルロス旗のモンゴル人アミンブヘは満洲国軍の騎兵。1969年春、シリーンゴル盟スニト右旗の売店で働いていたところ、中国の人民に鉄棒で殴り殺された。「対日協力、日本のスパイ、民族分裂主義者」の罪が冠されていた。犯人は「革命の為」との理由で不問に。
1812
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1815
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1817
1820
ビッグニュース。内モンゴル自治区の指導者ブーショーリンが演説中に倒れた。彼女は、ウラーンフーの孫娘。ウラーンフーについては、拙著「中国とモンゴルのはざまで」参照。
1822
1823
私は前から自分を亡国の流浪人とみなしてきた。モンゴルは一つしかない。その祖国の南の半分、南モンゴルは永遠の故国。その故国が中国に奪われた事実は忘れられない。私一人の例ではなく、すべての南モンゴル人もまた、同じ。 twitter.com/Hongnumongol99…
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