51
宮野真守くん、自宅で彼のパフォーマンスをテレビで見れる世の中になるなんて、テニミュが始まった20年前には全く想像出来なかった。宮野くんはテニミュに出てたけど、そこが彼の出発点ではなく元々の素質の中に今に至る道程は予定されていた、と思う。でも彼の居た不動峰はコニタンも居て印象深い。
52
祝20年「テニミュ」2003年4月30日の池袋芸術劇場中ホール、幕が上がり青学シルエットが浮かんだ瞬間に客席に大きなため息、キャラが伝わった、嬉しかった。
休憩のロビー皆さん興奮で喧騒。
全11回公演チケットは約66%で涙、でも7回目~満席が続き千秋楽は当日券に数百人の抽選。
速攻で夏再演決定。
53
テニミュ20周年、おめでとう。
2003年GWに用意の企画が前年10/11に没、11/11JUMP編集長に「テニプリ」舞台化をお願いしOKで製作開始。
松田誠くんが上島雪夫さんを口説き、僕が三井秀樹くんに脚本・三ツ矢雄二に作詞を依頼し、作曲佐橋俊彦さんはスライド登板。
12/6にオーディションで柳浩太郎発見。
54
🎊テニミュ20年
初演以来、舞台化脚本コンセプトに2つ柱を用意した。
1)勝者の寛容と敗者の美学
2)父と子
原作漫画からこの2つに絞り、登場キャラも男だけ、と決め、他は措いた。
許斐剛先生は漫画には舞台化したらと言う場面もキャラもあると思われたに違いないが、笑顔で舞台を喜んでくださった。
55
祝テニミュ20年
コロナ入院時「テニスの王子様」全42巻を読み直し驚いた。
僕の脳内にあるのは舞台化された場面だけ。漫画には他にもめちゃ笑えるとか、面白い場面たくさんあった。初演コンセプトに忠実な脳内記憶。
そういえば、4thで井上登場とかそこ取り上げてる、と思い出し、改めてホッとした。
56
テニミュ20年柳浩太郎からフィンガーダンスが来た。
初演AD会場で彼を見た瞬間、リョーマが居た。トレーナー着てたので太っているか確かめたく、脱いで、と言ったら、ズボンも脱ぎだしたので、そこ脱がなくていいと言ったら、脱げって言ったじゃん、ってため口が返って来た、気持ちもリョーマだった。