足立(@identity_65535)さんの人気ツイート(古い順)

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自閉傾向の強い子ども、「どれだけかかってもいいから自分の納得いくまでやってみてね」をやらせてもらえるかどうかで自己肯定感の育ち方がまるで違う
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健常寄りの子は「短時間でできるものをつくる▶︎時間をかけていいものをつくれるようになる」の流れだと思うんだけど、自閉の子は「めちゃめちゃ時間かけてなにひとつ妥協しないものをつくる▶︎抜きどころを覚えていって、よりスマートでコンパクトにつくれるようになる」だと思う。
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「想像できなくても認める」というの大事だよなあと思う。他人の苦しみは「わからない」けど「そこにある」もので、自分にとって理解ができないことを理由に存在を否定していいものでは断じてない。「わからない」はむしろ尊重に値する根拠。
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人を嫌いになるということは「近づきすぎてしまった」ということでもあって、賢い人はそもそも嫌いになる前に自分から遠ざかるんですよね。嫌いにさせてしまう方にも責任はあるけど、なる方もコントロール不足ということがある。
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「ASDは共感ができない」というやつ、厳密には「感情の解像度が高すぎて、浅いところで共感を与え合うアレができない」というのが正しい気がする。冷たい機械のような言われ方をしてるけどむしろ逆、社会性の中で表現しきれない深い悲しみや、文脈が複雑に絡み合った喜びを知ってる。
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アスペルガー気質のある人とこれまでたくさん関わってきたけど、「すぐ本質を突くから周りから距離を置かれてしまう」とか「正しいことを言ってるのに相手が勝手に怒り出してしまう」みたいな認知になってる人は自分の在り方を見直した方がいいんじゃないかなと思ってる。原因はおそらくそこじゃない。
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「触らぬ神に祟りなし」をやられているのに「みんなが言いづらいことを代弁するダークヒーロー」みたいな自分の物語が頭の中で展開しちゃって、あらゆる認知がそのストーリーに整えられていってしまう。歳を重ねるごとに触れなさは加速する。だから早いところ疑えないと、行くところまで行ってしまう。
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「自分は気分屋だ」で思考停止せず、どういった環境・条件のもとでモチベーションが湧くのか、飽きてしまうのか、実験と検証を繰り返しながら自分に当て嵌められる法則を整理していくことで、少しずつ”最高の状態”を意図的に再現できるようになっていくと思う。気合いだけではどうにもならない。
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マナーや礼儀、常識を身につけるということは社会性の奴隷になることではなく、むしろ自分をさらけ出すためのツールと捉えた方がいい気がする。型に則ってさえいれば逆にいろんなことが言えるようになるから、自分らしさを認めてもらうための土俵に上がる手段、と割り切って最速の習得を目指す。
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発達障害、スペクトラムであるという肝心の部分が広まらず、特性だけが取り沙汰されて「自分も似たようなところあるのに、あいつは甘えてるな」の使い方をされてる場面が度々見られて、あまり良くない方向に向かってる感じがする。
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できない人の気持ちがわからない人、「なんでできないの」じゃなく「なんでやらないの」になっちゃう。余裕がなく傲慢になっていて、「できる」に至る過程への想像力が失われている、「やるだけなのに、どうしてやらない」になってしまう。その先の解像度が存在せず、不誠実であるように見えている。
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付き合いやすい人、付き合いやすい空気感を作れる人、一緒にいて安心する人というのはある種どこか諦めていて、目の前の相手に執着しないからこそ常に逃げ道を作ってあげられる人、嫌われたくない、とか好かれたい、とかモノにしたい、みたいなのがにじみ出ないから相手も自然と素直になれる。
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「人間の能力には限界があるから、仕組みでなんとか解決しよう」という世界観で育ってきたのではじめてバイトしたとき「仕組みに期待するのは甘え」「努力次第で人は変われる」みたいな空気感があってめちゃくちゃ驚いたし普通にクビになった、仕組みに対する改善案ばかり語っていたら完全に嫌われた
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ろくに説明もしてくれない(僕の見る限りでは修行の一環でなく、あきらかに上の言語化力不足)ので見て学ぶとか、覚えられないのは努力不足だから教育やマニュアルにコストを割かないとか、目的に対する手段の選択、俯瞰的な意思決定が美しい努力の物語で塗り潰されていく様に流石に耐えられなかった
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「いま少しの時間をかけて仕組みを改善したら、追々の数十、数百倍の時間が節約できる」みたいなことをいくら説明しても目の前の実務に関係ない行動や議論に一切聞く耳を持ってもらえなくて、仮にそれを語れるようになるのは最低でも数年は無心で手を動かし続けて信頼を得てから、という世界観で
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努力ではどうにもならない壁があるから協働して仕組みを作って、個々人の資質を活かして働ける環境をつくろう、みたいのが社会性の理想的かつ合理的な在り方だと思っていた(机の上で勉強していた限りでは)のに、いくつかの環境でいわゆる"現場"を経験する度に実際は
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キモすぎて、そういう努力神話、「努力してきた側であるという選民意識、自分たちの理想とする努力が(実際は能力的な課題で)できない者に対する異常な排他性とそれを餌に酒を飲んで明日も美しい努力を続けられる」みたいな構図が、ない環境を探す努力より適応する努力の方がコスパがいいという
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きわめて個人の自己責任、自立を促すように見せかけて実際は教育的責任の放棄、必要最低限の合理的な差し伸べすらできないほど社会全体に余裕がなく、ただ心を殺して理不尽に強いられる"努力"に耐えて這い上がってくる人だけが「仲間」として認識されて内輪で酒を酌み交わす、そういうのがあまりに
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当然僕が神経質な部分も間違いなくあるし、視野も経験もクソ雑魚ゆえ、なんもわからないけど、今のところはそういう世界観に至ってしまって、自分ひとりで仕事を創り出す、自分自身で自分の価値を見つめて信用を積み重ねる方が結局手っ取り早いような気が今はしてしまうんだよな。どうしても
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「適応の才能がない」という単純な能力不足があまりに"自己責任"と相性が良すぎる、努力神話という世界観で生きてる人々が明日を生きるための酒の肴にされすぎてはしないかと、すごく卑屈な考えかもしれないけどそういう側面はあると思っている。「適応しない」努力不足でなく、「適応できない」んだよ
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それとは別にこういった感情を腹の底で抱え続けることが結局今の僕のモチベーションにも繋がっているわけで、怖い大人だなあとか結局奴隷だなあとか、あんまり変わらないよなあとか思うわけだけど、それも含めて仕方ない人間の姿として受け入れつつあるような気がする!もうみんな仕方ないんだよな実際
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別にそういう人たちを今は恨んでるわけではなくて努力神話の向こう側にいる人たちも見方によっては被害者だし、結局その世界観の中で生きることに適性があった人たちで、然るべくしてその生き方をしている訳で、というところで過去も含め自分のために「赦す」段階に入っていけるといいなあと思っている
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「イキってます」というメタを持ちながら若さをやってる人たちすごくいいなって思って、若いうちにイキるのってなんというか社会機能の発達過程的なとこあると思ってて、変に逆張りせず受け入れてその時代にできることを素直にやってる感じ、楽しんでる感じが後々経験として活きるんだろうな、って思う
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「モテたい」って男性から相談を受けたら「連れ込むには」「酔わせて」って言いながら「温かい関係がほしい」って言っててびっくりしちゃったんだけど、無意識の加害性というか、それでも真っ当に関係性やりたいという無邪気さみたいなものが恐ろしすぎて、これが社会人やってるのか、と思ってしまった
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後から考えたらたぶん、寂しいんだろうな、と思った。「一緒に楽しむ」の想像がそもそもできなくて、感情を共有するという感覚がないから「酔わせて」みたいな表現になってしまう、受け入れてもらえる自信がなくて、だから強引に操作することでしか感情を満たせない、と思っているのかな、とか。