書籍「オンラインゲームセキュリティ」 様々なチートについてゲーム構造を解説しながらソースコードや処理フローがわかりやすく例示されている。さらに勝手開発されたゲームや不正コピーの歴史、ゲーム犯罪、パチンコでのゴトなどまで網羅されており、ゲーム不正の文化史とでもいうべき大著。
ゲームでなにかネーミングする際に「・」を使って「〇〇〇〇・〇〇〇〇」みたいにすると、ゲーム中でも会社での公式表記でもメディアでの記載でも大量の表記ブレが生じること請け合いなのでお勧めしないです。百万回ぐらい訂正を入れることになって、最後はもういいやという気分になります。
ゲーム開発者も普通に人間なので、罵倒や中傷メッセージを読みたくはないでしょう。ゲーム開発者に届けたければ普通のコミュニケーションがお勧めです。アイディアよりも好き・嫌い・不便といった感想が伝わりやすいかと。害意は警察案件になります
ゲーム会社に送った意見が反映されなくてお怒りの方に、できれば知っていただきたかったこと ・真逆な意見も多くいただくので意見の100%反映は不可能であること ・開発チームでは大勢が時間をかけて様々な可能性を考慮しており、いただくような案はまず検討済みであること twitter.com/AUTOMATONJapan…
バーチャファイター5の自動実況機能が2006年で、スト6への搭載が2023年か。17年早かったのだなあ
ゲームのストーリーがオチまで通してよくわかる実況配信を観た後に、そのゲームをプレイしたくなりますか? RPGやアドベンチャーなどストーリーを楽しむことが中心となるゲームの実況配信で、あなたはそのゲームを未プレイとします。
別冊日経サイエンス「動物のサイエンス」を拝読。狐の群れから従順なタイプを選抜しながら飼い続けるとわずか数世代で見た目が丸っこく幼くなり、人にとってかわいらしい「家畜」に変化するという実験が衝撃的。ところでイエネコは何千年経っても変化していませんが理由は明白。人を家畜化したからです
煮詰まった状況を仕切り直したいのであれば、コンセプトやプラットフォームから新しく作り直す。 美しくしたいのならば、仕切り直さず地道にリファクタリングを続ける。 半端に継承しながら仕切り直すと残念なことになる。
長く運営してきたゲームを一から作り直せば美しく仕切り直せると開発者は思いがちなのだが、これまでのボリュームに及ばず、システムは足りず、バグは枯れておらず、バランス調整はこれからという状態に戻る。かつて未熟な状態でも喜んでもらえたのはなにより新しかったからだが、それも失われている。
テレビから「アレクサ、エアコンを止めて」と流すだけで一斉に消費電力がダウンするという悪魔の手段
バトルアクションなゲームを作る際には、 ・一撃死はストレスなので、ダメージに補正をかけて体力を残す ・後ろから敵に攻撃されるのはストレスなので控える ・袋叩きなどでの連続ノックバック&即死はストレスなので、ノックバック時間やダメージを制限したり無敵時間を設けるといったセオリーがある
ロボット物のオープンワールドゲームを作る際のネックはロボットの機動性が高すぎることで、猛スピードで駆けまわって遠隔地にもすぐたどりついたり、崖を軽々とジャンプされたり、空を飛んでどこにでも行かれたりすると地形の意味が失せる。Falloutのパワーアーマー程度の性能であれば作りやすい
私が昔作ったゲームでは戦場で撃破されて粉みじんになったりはるか上空から墜落してしまったり溶岩に沈んだり敵母艦と共に爆砕しても100%脱出成功していましたから誰ひとり傷ついていません。ごあんしんください。 twitter.com/tomsawyer100/s…
何度も言ってるネタなんですが、昔々勤めていた会社では人事部署が各社員に戦略シミュレーションみたいな忠誠度パラメータを設定していて、私が辞めるといったら「君は忠誠度が高いのになぜだ!」と驚かれました。ゲームバランスの調整ミスだと思います
ゲーム開発物のフィクションで特に違和感を覚えるのは、ゲームが遂に完成して皆が歓声を上げるシーン。 実際は作業完了してもマスターが完成した訳ではなく、マスター候補を提出して、チェックを受けて、問題指摘されて修正して、休める人は休暇入りして、皆がいない中で合格メールが来て静かに完成
ゲーム会社の御意見受付欄に「送られたアイディア類の権利はすべてゲーム会社のものになる」と書かれているのはなにもパクろうとかいうんじゃなくて、一方的に送りつけられたあげく権利主張されかねない「アイディア」押し売りから防衛するためなんですよね。
ゲームがオンライン運営サービス中心になったことで,これまでになく多くのゲームの最期を看取る時代に突入している. かつてのパッケージゲーム時代,自分が遊び続ける限りゲームは永遠不滅だったのだ. 今やゲームは不死性を失った.
ゲームの歴史をまとめていると、研究書籍ではガラケーが大きく扱われているんですけど、どう扱うか考えてしまいますね。ガラケーはプラットフォームごと消滅しているんです。ファミコンのゲームは今でも遊ぶ手段がありますけど、ガラケーはもはやミッシングリンクですよ。
昔関わったゲームだと初心者が迷わず成功体験を重ねられるようにしてあって、 1.ロボットでカッコよく出撃 2.目の前のカタパルトで空高くジャンプ 3.降りた場所で占拠 4.前に進むと会敵して攻撃 ここまで迷わず達成できて楽しくなれます。5以降、射撃が下手でもポイント獲得手段はあれこれと
バランスを取るためにリアル田舎の良いところを挙げよう ・カブトムシがいる ・山や海が美しい ・山や海の幸が美味い ・空気がきれい(匂いは除く) ・峠道を走るのが楽しい ・蛍がいる ・クワガタもいる
リアルな地方を描いたスーパーカブの要素を見てみる ・嫌な虫がいない ・道はアスファルト ・都会はカブで行ける ・その都会はパーツを売ってる ・大人の親が子を捨てる ・若者が多く住んでいる ・主人公が暴走 ・川に友達が落ちている
アニメに出てくる田舎の美しさを支えている要素 ・嫌な虫がいない ・道端や川べりがアスファルトやコンクリで固められていない ・電車駅があってすぐ都会に行ける ・その都会がおしゃれ ・大人たちが人格者 ・若者が多く住んでいる ・若者の趣味が暴走ではない ・寝ているところにムカデが降ってこない
今どきのラノベで興味深かったのが、高校生向けの作品には見苦しい主人公が必死に努力して苦しみながら自分を磨く話が多かったことですね。苦労する話は嫌がられるといった前評判とはまるで違いました。
「SFが盛り上がっていない」のと「ロボットアニメがない」という意見は似ている。いずれも実際には多く供給されてヒットもしているのにこうした主張が散見される。 おそらく実態は「自分のコミュニティが盛り上がっていない」「盛り上がるコミュニティに所属していない」なのだろう。
超絶忙しそうな中華料理屋さんで「この杏仁豆腐おいしいですねえ」って話しかけられた店員さんが「缶詰!」って大声で叫んでてカッコいい。僕がおいしいおいしいって食べてたこのマンゴープリンも?