ぼのぼの(@masato009)さんの人気ツイート(古い順)

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これは…ヤバい(´・ω・`) 舞台がクラスターになりうることが証明されてしまった。この影響は、ひょっとするとかなり甚大なものになる可能性が… 山本裕典舞台コロナ感染14人 全キャスト濃厚接触 nikkansports.com/entertainment/…
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何と!あの名作『ピナ』が無料公開中。残念ながら字幕は英語すらつかないが、未見の方はヴッパタール舞踊団パフォーマンスだけでも必見。ちなみに監督はヴィム・ヴェンダース。  ardmediathek.de/daserste/video…
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これは…あまりにも凄まじい。演劇に興味がある人は問答無用で必読。そうでない人も、読んで絶対損は無い。もちろんこれは一人の人間の視点に過ぎないが、間違い無くエンタメ業界の普遍的な闇を照らしている。 note.com/uzune/n/nd3fba…
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もう何度言ったか分からんが、最大の問題は人混みではなく「おしゃべり」だから。劇場であれ美術館であれ飲食店であれ、全て独りの行動で、誰とも会話せず、黙々と芸術鑑賞したり、飲食したりするだけなら、感染拡大などまずないはず。
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凄いな。緊急事態宣言で変わるのは、本当にアルコールだけなんだ( ゚д゚)
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最前列は「観劇当日時点で、新型コロナウイルス感染症ワクチンを2回接種し、十分な免疫が確認される一定期間が経過しているお客様」のみに発売!!!(;゚д゚)  ついにこういうことになってきたか… ntj.jac.go.jp/sp/topics/nou/…
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今日の新聞に『ドライブ・マイ・カー』が歴史的快挙を果たした背景がいろいろ書かれていたが、濱口竜介自身のインタビューまで含め、皆が忘れている重大な要素が1つある。それはあの作品が「チェーホフの『ワーニャおじさん』をベースにした作品」であるという事実だ。 #ドライブ・マイ・カー
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『東京2020オリンピック SIDE:A』見る気は無かったのだが、いざ公開されると「予想と全く違う映画だ」という評判が次々と飛び込んできたため急遽見ることに。確かに直前までに予想されたような体制ベッタリ国威発揚映画とは対極にある作り。極めて純度の高い「河瀬直美の作家映画」になっている。
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みんな忘れているかもしれないが、緊急事態宣言やマンボウで人流(と言うか外出意欲)を抑制すると、しばらくして感染者は減っていたのよね。それが経済へ与えるダメージとの天秤は別問題として、減ったことは事実。今回はそれを一切やっていないので、これから減少する要素が無いというのが…
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ただ尾身さんがこう言わざるをえない状況もよく分かる。第7波を抑えようと思ったら、大規模な行動規制しかないが、それを誰も望まない以上、後は自助努力に多くを頼るしかない。 尾身会長がNHKで“職務放棄”の仰天発言!コロナ対策は自助で、犠牲は国民の「許容度」の問題 news.yahoo.co.jp/articles/bbf6c…
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そりゃタダでさえ支持率が下がっているのに、次から次へと神経を逆撫でするようなことばかりしているんだから当たり前でしょ。保険証のマイナカード一本化によって、さらに急落したはず。   内閣支持続落27% 初の3割割れ、不支持43%―時事世論調査:時事ドットコム jiji.com/jc/article?k=2…
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『すずめの戸締まり』という映画の公開は、仮にそれがどんな名作であったとしても、劇場公開映画の多様性を焼け野が原にしてまう暴力性によって、もはや憎しみの対象でしかない。もちろんそれは映画そのものの罪ではなく、興行サイドの問題なのだが。
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大体見れば分かる通り、本当に客が殺到した『鬼滅の刃』などと違い、別に各回が満員になっているわけでもない。そんなもののために、どれだけ多くの映画があと2日間で劇場から姿を消すんだ。本当に怒りがこみ上げてくる。
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『窓辺にて』再見。面白い。面白過ぎる。前回気づかなかった発見多数。最後に本を紹介しているのが彼女であることとか気づいてなかった。それを知ってコメントを聞くと爆笑。どこまでも緻密に編み上げられた恋愛のタペストリー。文句無しの大傑作。
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『ラーゲリより愛を込めて』多くの人と同様、感動の押しつけ的な予告編にうんざりし、積極的に見る気は起きなかったのだが、公開後の評判が良いので見ることに。さすが瀬々敬久(監督)と林民夫(脚本)のコンビ。予告編とはかなり違う、情感に満ちてはいるが硬派な人間ドラマになっていた。
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しかし昨日の紅白を見ていると、「ロック」が完全に昔の「演歌」のポジションに来たなということが分かる。少し前ならそれは自嘲や危機感だったが、もはや単なる事実として。
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ただ世界の潮流と違い、ヒップホップがそれに変わったわけでもない。ヒップホップやテクノの要素を盛り込んだ歌ものポップスが今の日本の音楽のメインストリームなのだと分かった。そこにスレスレで接しながらも一番プログレッシヴな印象を覚えたのが藤井風かな。
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だから「演歌は日本人の心のふるさと」みたいな表現は、演歌の売りとなる部分を過剰に強調したキャッチフレーズのようなもので、実は日本古来の音楽でも何でもない。ただ、いわゆるヨナ抜き音階や、こぶしの回し方などは日本の伝統芸能に沿うもので、多くの人にとって親しみやすかった。
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「紅白を見たらロックが演歌のポジションに来ていた」発言があまりにバズっているので、もう少し歴史的なことからきちんと書いておく。そもそも「演歌」というのは、古い音楽のように思われているが、形が定まったのは1960年代。そして1970年代に全盛を極める。つまりかなり新しい流行歌。
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70年代中盤までのロックは、日本ではとんがった若者の音楽だったし、「日本人のやるロック」などまだヨチヨチ歩きの状態。一般人気でははるかに及ばない。そのルサンチマンもあって、ロック者は演歌を撲滅すべき敵とみなした。もちろん紅白の出場歌手は演歌と歌謡曲が大半だった。
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リスナーも演奏者も含めて、とりあえず「ロック者」としておくが、これによって演歌はロック者の仮想敵となる。ロック者から見た演歌は、「保守反動」「音楽的退化」「それでいて大衆には受ける」という敵対要素満載だったから当然だ。つまりは政治における右派と左派の対立みたいなもの。
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そして考えればすぐに分かる通り、「60年代に確立し70年代に全盛を極める」という歴史は、ロックとそのまま重なる。そして日本の大衆音楽、とりわけテレビで流れる音楽としては演歌の圧勝。ロックはあくまでもオルタナティヴミュージックだった。
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それでも演歌のファンはずっと演歌を聴いていたので、80年代になっても演歌は元気だった。ただロック/ニューミュージックのアーティストが、当然のことながらファンと一緒に歳をとり、それに見合う音楽を作るようになったため、それらの音楽で育ったファンがあえて演歌に移行することもなかった。
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日本人の歌うロックがお茶の間(死語)でも市民権を得たのは、いわゆる「ニューミュージック」が人気を獲得した70年代の終わりから。その点で、テレビに積極的に登場したサザンオールスターズやゴダイゴらの果たした歴史的役割はきちんと再評価されるべきだ。
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その辺の状況を知らないと、山下達郎が「自分たちの世代が歳をとった時 演歌を聴かずに済むために音楽やっている」と言ったことの意味が分からないだろう。また、そんな半世紀前の価値観からアップデートされていないと「そもそもロック者は紅白などに出ない。出ているのは偽物だ」となるわけだ。