1
ジョン・レノン最後のテレビ出演より(𝟭𝟵𝟳𝟱.𝟰.𝟭𝟴収録)
“𝐀 𝐒𝐚𝐥𝐮𝐭𝐞 𝐭𝐨 𝐒𝐢𝐫 𝐋𝐞𝐰 𝐆𝐫𝐚𝐝𝐞”
この日3曲を演奏(うち2曲が放送)
そしてラストに歌われたのは「イマジン」
1962年にビートルズでデビューしてから約13年
これがジョンが公の場で最後にライヴ演奏した曲となった
2
ジョージ・ハリスン最後のテレビ出演より(𝟭𝟵𝟵𝟳.𝟱.𝟭𝟰収録)
ジョージはアコギで3曲を演奏
このときラストに歌われたのが「オール・シングス・マスト・パス」
これがジョージが公の場で最後に歌った自身の曲
3
ビートルズ
アイ・アム・ザ・ウォルラス
テレビ映画 “マジカル・ミステリー・ツアー”より(𝟭𝟵𝟲𝟳)
ジョンが「100年経っても楽しめる」と言った中期(サイケ期)の集大成的ナンバー。当時のスタジオ技術を駆使した奇跡みたいな曲。独特すぎる歌詞の世界観にも注目。これ以降ジョンの作風はR&Rへ回帰。
4
6
#ジョン・レノン #JohnLennon
7年3か月後のヨーコさんの言葉が胸を打ちます
𝟭𝟵𝟴𝟬.𝟭𝟮.𝟴 𝟭𝟵𝟴𝟴.𝟯.𝟮𝟬
7
『ヘルプ!4人はアイドル』/ザ・ビートルズ
レアな日本語の吹き替え版。ナレーションまで加わり独特すぎて笑えます。
8
ビートルズ
ロール・オーバー・ベートーヴェン
熱狂のワシントンDCコロシアム公演より
(𝟭𝟵𝟲𝟰.𝟮.𝟭𝟭)
この日のオープニングナンバー。ジョージのヴォーカルが一曲目なのはビートルズのライヴでは珍しいかも
ジョージ・ハリスン命日
日本時間では𝟭𝟭/𝟯𝟬でした[𝚁.𝙸.𝙿.]
9
ドント・レット・ミー・ダウン
ザ・ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン
ルーフトップ・パフォーマンスより(𝟭𝟵𝟲𝟵.𝟭.𝟯𝟬)
テイク2。冒頭のポールに要注目。ジョンがヨーコに向けた強力なラブソング。1月28日はシングル盤になったテイクが録音された日でしたね。
10
ブラックバード
ウイングス・メルボルン公演より(𝟭𝟵𝟳𝟱.𝟭𝟭.𝟭𝟯)
1968年発表のビートルズ・ナンバー。ポールが公民権運動に触発されて書いた作品で“楽器一つ手に取れば歌える曲”。70年代から現在までライヴの重要なレパートリー。ビートルズになる前、ブラックバーズはグループ名の候補だった。
11
ジョージ・ハリスン
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
“プリンス・トラスト・コンサート“より(𝟭𝟵𝟴𝟳.𝟲.𝟱-𝟲)
1968年発表のビートルズの名曲。ギターソロをエリック・クラプトン、ドラムを叩くのはリンゴ・スター。レコーディング時のメンバー3人がステージに揃った貴重な演奏。
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デイ・トリッパー
ザ・ビートルズ
テレビ番組 “ミュージック・オブ・レノン&マッカートニー”より (𝟭𝟵𝟲𝟱.𝟭𝟮.𝟭𝟲放送)
ジョンとポールの作詞作曲パートナーシップを称えるスペシャル番組。当時の最新シングルを演奏(マイミング)。彼らの最高の純粋なロックンロール曲の一つ
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ポール・サイモン&ジョージ・ハリスン
ヒア・カムズ・ザ・サン
テレビ番組 “サタデー・ナイト・ライヴ”より(𝟭𝟵𝟳𝟲.𝟭𝟭.𝟮𝟬放送)
ポール・サイモンが「僕の友人のジョージ・ハリスンです」と紹介。
一曲目にジョージのビートルズ時代の代表曲を演奏。
二人がとても素晴らしい。名演でしょう。 twitter.com/i/web/status/1…
14
ザ・ビートルズ🇬🇧デビュー60周年記念
ジョンとポールが出会った1957年からグループ事実上解散の1970年まで
画像でつなぐ𝙿𝙷𝙾𝚃𝙾 𝚂𝚃𝙾𝚁𝚈
15
アンド・ユア・バード・キャン・シング│ザ・ビートルズ
“アニメ・ザ・ビートルズ”より
アメリカABCで放映されていた同アニメのシーズン3のオープニングテーマ。
𝟭𝟵𝟲𝟲年の『リボルバー』収録。作者のジョン自身は捨て曲と見ていたみたいですが、音楽誌からは高い評価を受けた。
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ビートルズ
ベイビーズ・イン・ブラック
日本武道館公演より(𝟭𝟵𝟲𝟲.𝟲.𝟯𝟬)
濃いモス・グリーンのスーツの4人
一本のマイクで歌うジョンとポール、間奏でワルツを踊るようなステップ
このデュエット曲について「どっちがメインのメロディーだ?」との質問にポールは「どっちもメインだ」と答えた
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ザ・ビートルズ/サム・アザー・ガイ
1962.8.22 キャヴァーン・クラブ
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴのビートルズ、お馴染みの最古の映像をHQで
ここに映っている観客はこれから、この4人組が起こす事をリアルタイムで体験していけるのだなと思うと、だいぶ羨ましい
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#イントロがすばらしい曲
ザ・ビートルズ|ヘイ・ブルドッグ
アニメ映画 “イエロー・サブマリン”より(𝟭𝟵𝟲𝟴)
このシーンは米国公開のときにカットされ、後にソフト化の際に復元。
ピアノのリフを基にした曲。現在ではグループの屈指のロックソングの一つとして再評価され人気もある曲。
19
サムシング
コンサート・フォー・ジョージより(𝟮𝟬𝟬𝟮.𝟭𝟭.𝟮𝟵)
ジョージ・ハリスンが他界して一年後に開催された追悼コンサートから。ビートルズ時代の大名曲を。前半のポール・マッカートニーのウクレレの弾き語り。👏👏👏。このライヴから今年で20年になりますね。
20
ザ・ビートルズ│ ヘルプ!
エド・サリヴァン・ショーより(𝟭𝟵𝟲𝟱年)
J.レノン P.マッカートニー G.ハリスン R.スター
この四人組にハマったら もう戻れません
#あなたが一生推す人 × 4
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ビートルズの
𝐇𝐄𝐋𝐏!四人はアイドル
𝟭𝟵𝟲𝟱年度 イギリス映画
『ヘルプ!』のレアな日本語吹替版。
指輪を狙うカルト集団が作戦を展開するシーン。面白い。笑えます。
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ワン・アフター・909
ビートルズ
ルーフトップ・パフォーマンスより(𝟭𝟵𝟲𝟵.𝟭.𝟯𝟬)
ジョンが10代の頃に書いた曲。1963年にこの曲をローリング・ストーンズに売り込んでたみたいで。
アルバム『レット・イット・ビー』には、この屋上でのテイクが収録。しかしスゴいロケーション
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ビートルズ
ロック・アンド・ロール・ミュージック
ドイツ・ミュンヘン公演より(𝟭𝟵𝟲𝟲.𝟲.𝟮𝟰)
下積み時代を経験した縁深いドイツで1962年以来のステージ
「ロックンロールだけが本物で、あとはすべて嘘っぱちだった」─J.L
ジョン・レノンの命日
日本時間では𝟭𝟮/𝟵でした[𝚁.𝙸.𝙿.]
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𝚁𝙴𝙼𝙴𝙼𝙱𝙴𝚁𝙸𝙽𝙶 #𝙹𝙾𝙷𝙽𝙻𝙴𝙽𝙽𝙾𝙽 ☮
𝟭𝟮/𝟴 ジョン・レノンの命日
42回目のメモリアル
今なお人を惹きつけ、インスピレーションを与える、ずば抜けた存在
ジョンの活動はあの日から、永遠に中断されてしまった感じもする
「もしジョンがいたら……」
𝕎𝔼 𝕊𝕋𝕀𝕃𝕃 𝕄𝕀𝕊𝕊 𝕐𝕆𝕌
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ビートルズ
ユア・マザー・シュッド・ノウ
テレビ映画“マジカル・ミステリー・ツアー”より(𝟭𝟵𝟲𝟳)
アウトテイク映像等を含むクリップ。映画のフィナーレの場面に使われた印象的なこの曲は、チャペル・レコーディング・スタジオで録音。ブライアン・エプスタインが最後に立ち会ったセッションでした