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読書会をする時に一番大切なことの一つは、「分からないことを分からないと言っておかしくない空気を作る」ことかもしれません。そのためには主催者が率先して「初歩的・基本的な問い」を参加者に投げかけていくのが良いと思います。「これ質問できない雰囲気だ」と思われてしまうと、問いが出ません。
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なぜなら同じ時間軸を生きていないから。本当のパーソナリティというのは、リアルタイムに人間のみんなと同じ世界に存在していると認識できることだと思うんです。(キズナアイ2018、35)」
僕のVTuber論文のすべての出発点はここです。
やはり、キズナアイさんこそが、すべての出発点なのです。
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僕のVTuber論文は次の言葉で始まります。
「じゃあ彼らはどうしてわたしが写っているものを「写真集」として受け入れてくれたのかというと、そこに「キズナアイ」がたしかに存在するからじゃないかと思っていて。たぶんアニメのキャラにはその意味で「実在する」とは言えないのかもしれない、(続)
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査読論文の中では、キズナアイさん、月ノ美兎さん、ときのそらさん、HIKAKINさん、鳩羽つぐさん、加賀美ハヤトさん、兎田ぺこらさん、星街すいせいさん、姫森ルーナさん、樋口楓さん、白銀ノエルさんといったVTuberの方々を事例として取り上げました。
論文が刊行された暁には、またご報告いたします。
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ご報告です。某学術誌に投稿したVTuberに関する哲学の論文が査読に通ったとのご連絡をいただきました。VTuberをテーマにした哲学の査読論文は、少なくとも国内では初めてです。
2名の先生に査読をしていただけたことで、「VTuberの哲学」が学問分野として成立しうるという確信を得ることができました。
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昔、僕が修士一年の頃に日本哲学会で「査読に通る論文の書き方」というワークショップが開かれていたのですが、あれは本当に勉強になりました。「テクニックばかり磨くな」という声があるのも知っていますが、「伝わるように論理的な文章を書く」というのは、研究者において重要なスキルだと思います。
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本日付で東京大学大学院メタバース研究科の特任研究員に着任しました。担当する講座は「VTuberの哲学」です(通年かけて「にじさんじ・ホロライブの比較文化思想」の講義を行います)。
今後は僕自身もVTuberとして研究活動に尽力してまいりますので、チャンネル登録のほどよろしくお願いいたします!
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まだ五年しか大学院にいませんが、どうやらアカデミズムには、「業績をたくさん出している研究者ほど凄い」という言説と、「業績のことなんてこれっぽっちも考えない研究者ほど凄い」という言説、両方あるようです。
そしてどちらのスタンスを取っても、必ず反対側の先生に怒られるのがつらいですね。
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bookclub.kodansha.co.jp/calendar?_ga=1…
思った以上に反響がありましたので、この場を借りてご報告させてください。
ちょうど一か月後に、講談社現代新書さんから本が出ます。タイトルは『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』です。
読書猿さんの『独学大全』を筆頭に、いま「独学ブーム」が起きていますが、
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@MintoTsukino 苦手だなって思うのは人の自由だとは思うのですが、目の前に僕がいるんですし、せめて言葉は選んで欲しかったですね…
(料理を作ってくれた人の前で「マズ!?」って言うのか!? という感じです。。)
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非常にナイーヴに(当人を目の前にしてなお!)偏見を露呈するという事実に、正直驚きを隠せませんでした。
VTuberの方への異常なまでの誹謗中傷や、近年始まったばかりの「VTuber文化」に対する強烈な無理解は、こうした「だって変じゃんw」といった差別的な姿勢に端を発しているのかもしれません。
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その場の空気感から明らかでしたが、あれは見事な偏見の現れ方だったと思います。
見た目がanime-like visualだから受け付けないのでしょうか? そして自分が理解できないものを楽しんでいるコミュニティが気持ち悪いのでしょうか?
日頃「差別は絶対に許せません」と活動する人達が、こういう場面では
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これは言うべきかどうか悩んでいたのですが、この際なので言います。去年何人かの人に「VTuberというものを観ています」と話した時に、「え、無理かもw」「あー…そういうのなんですね」みたいな反応を割と露骨にする人たちがいました。しかもその人達は日頃「対話は大事だ」と主張する人達でした。
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すでに法学の観点からの「VTuber研究」は行われていて、「VTuberの方への誹謗中傷はいかなる意味で人格権の侵害に該当するのか?」という問いが学術論文の中で問われています。
ですが、こうした研究と共に、「VTuberの存在」を理論的・体系的に説明する理論を哲学の側でも出していく必要があります。
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大昔の哲学書をわざわざ読んで「この著者はおかしい」と評価したところで、得られるものはあまりないですからね…。
哲学書を読むときに重要なのは、現代の世界観では見出すことのできない物の見方を発見する精神的態度だと(個人的には)思います。論破自体が目的になるべきではないと思います。
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この点に同意されない方は、多くの場合、不必要に攻撃的な口調になる傾向性が高いと思います。
(相手を委縮させるような言い方をしたり、小ばかにするような言い方をします)
なお、こうした「対話的思考」は、哲学研究者たちが哲学書を読む(解釈する)際によく行っている読み方の一つでもあります。
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「論破できる人カッコいい」っていう風潮があると思うのですが、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方がよほど建設的だし、これからの社会にもマッチしている気がします。