昨日の懇親会の場で特に共感したのが、「本気でVTuberを追うと2人くらいしか観れない」というチームメンバーの一言でした。気づいたら10時間分くらいアーカイブが溜まっているのを全て観るのは、1人だけでも簡単ではありません。 「配信を追う」ということの困難さについて、昨日は盛り上がりました。
VTuberのリスナーの方へ。 もしよければ、皆様の【VTuber文化を知ったキッカケ】を教えていただけませんでしょうか? 近々「VTuberの哲学」について解説するイベントがあるので、参考として皆様の体験談を聞かせていただけたらと思いまして… ご協力してくださる方はリプしてくださいますと幸いです。
哲学を学んで得られたことの効用の一つとして、「理解のできない点を明確に理解できる」というのがあります。哲学を学ぶと、相手が用いる一つ一つの概念に注意深くなれるので、「どの言葉が曖昧だから話が理解できないのか」を比較的明確に理解することができます。これは有意義なスキルだと思います。
ご報告です。VTuber専門情報誌『VTuberスタイル』さんの八月号から「「VTuber文化」を哲学する」という連載記事を担当させていただくことになりました。具体的な事例を用いつつ、「VTuberの哲学」の研究成果を、毎月皆さまにお伝えしていきたいと思います。 ぜひお手に取ってくださいますと幸いです。
よく「対話が大事です」と言うと、「じゃあ相手を否定しないんですね?(全肯定するんですね?)」と言葉を返されることがあるのですが、そういうわけではありません。私たちには疑問文があるので、否定と肯定の二者択一に陥る必要はないのです。 「問い」こそが対話を公正に回す原動力だと思います。
私は、自分自身を応援すれば良いにもかかわらず、自分以外の存在を応援することによって、かえって自分の人生そのものが生き生きとする現象に非常に大きな興味を抱いております。究極の利他は利己主義に帰結するというのでしょうか。いずれにせよ、それは「推し」という概念の究明に役立つはずです。
しばしば「哲学なんて何の役に立つんだ」と言う人がいます。ですが、この世の醜いことも、美しいことも、それを明晰に言語化する人がいなければ、「その時何が起こったのか」を正確に理解することはできません。 物事の理解のレベルを根本的に上げるためにこそ、哲学の営みは必要だと考えています。
社会学の人が(専門というわけでもない)メルロー=ポンティの議論を参照しながらサブカル文化の分析を行うという論文を読んだのですが、ポンティの議論をほとんど具体的に解説せず、彼の引用をそのまま切り貼りして自分の議論を進めていくという最もやってはならないことを論文でやっていて辛いです。
哲学を学ぶ中で一番面白さを感じる瞬間は、「その発想はなかった」と本気で思える時です。例えば問い方。日頃漠然と考えて済ませてしまっている事柄を鋭く問う文章を読むと、常識が揺らぎ始めます。そして論じ方。新しい概念と共に思考のフレームワークが拡張すると、世界の見え方がまるで変わります。
査読論文の投稿とかで準備が無に帰する(=査読に通らない)とかは、自分の実力が原因だと思えるのでまだマシなのですが、「大学の非常勤講師をするためには大学の非常勤講師歴が必要」みたいなシステムを出されてしまうと、「まぁ運とコネだよね」としか思えなくなるんですよね。所属研究室ガチャ。
去年初めて大学の非常勤講師のお話をいただき、すごく長い時間をかけて諸々必要な書類を準備してご返信のメールをお送りしたら、相手方の先生から「すみません、非常勤講師の経歴がない方にはお願いできません」というご返信を受け取って以来、最初の非常勤講師は運ゲーだなと思うようになりました。
大学院六年目になって痛感することは、締め切り等で追い込まれた時にこそ、しっかりお風呂に入り、しっかり睡眠を取り、しっかり外の空気を吸うことが大事だなということです。散歩とかしましょう。作業部屋のPCの付近はきっと魔界になっているでしょうから、気持ちをリセットすることが大事です。
こちらの加賀美ハヤトさんの「質問力」、実際の哲学の学会でも通用するレベルですので、学会の質疑応答の仕方に悩んでいるという方がおられたら、是非こちらを参考になさってください! 【Ib リメイク版】実は前情報一切ナシです。【にじさんじ/加賀美ハヤト】 youtube.com/clip/UgkxLKllr… #加賀美ハヤト
今年の哲学若手研究者フォーラム(7/23-24)にて、「VTuberの哲学」をテーマにした発表を行います。 日頃「実在」や「虚構」について考えている哲学研究者にとっても、「VTuber」は非常に特異な在り方をしている存在者です。本発表では様々な事例を扱いつつ、VTuberの存在論的身分について検討します。
だから、「クイズ王」的な知識披露型のエンタメ番組よりも、「これはどこまで信頼できる情報なのか?」、「本当にこの議論は論理的に筋が通っているのか?」といったことを「推論」・「推理」するような番組が制作された方が、これからの時代に求められる思考力にマッチするように思います。
これからの時代は「とにかく知識を蓄える」ための知性よりも、「目の前に提示された信頼性不明の情報を“知識”として受容して良いのか否か」を判断できるような知性の方が重要になってくると思います。なので、「出典や整合性を確かめる」という“研究者的な発想”は社会にとって非常に有用だと思います。
これは本当に声を大にして言いたいのですが、もし研究活動の中で大学教員から抑圧的・暴力的な言動(人を小馬鹿にしたり、揶揄するような言動も含む)に直面したら、すぐに信頼のできる別の大学教員の方にご相談されることを強くお勧めします。大学という世界は権威の塊みたいなところがありますので、
何かの専門を極めている人は本当に魅力的に見えます。そういう人たちは、大抵自分たちのスキルと結びついた「特殊な現実の認識方法」を持っているので、そういう人たちから話を聴けるのがとても楽しいんです。 極限まで専門性を深めた人は、常人とは全然違う「世界の見方」をしてるんだと思います。
大学院生は「学生」の延長と思われがちですが、実際やっていることは大きく異なります。学生がやることは基本的に「勉強」で、アカデミズムの蓄積をインプットするのが学生の本分です。それに対して、大学院生がやることは基本的に「研究」で、アカデミズムに対して新規の成果をアウトプットします。
レポートや論文の文章を書く時は、「どんどん行数を足して文字数を稼ごう」と意識するのではなく、「冗長な説明を省いてなるべく少ない文字数で論理を繋ごう」という意識を持った方が良いと思います。 1万字書くよりも、1000字で事柄を上手く説明する方がよほど難しく、挑戦する価値があるからです。
「対話は大事だ」とよく言われていて、私もそれに完全に同意なのですが、「対話を行うためには訓練(ないし準備)が必要だ」ってことが全然強調されてないのは、まずい状況だなと思っています。 「対話」は「心がけ」程度でできるようになるものではありません。非常に神経を使う共同の言語行為です。
「自分の意見を主張すること」よりも「相手の話を聴くこと」の方がよっぽど難しくて集中力も使うので、義務教育の段階から「小論文」とかで自分の意見を書かせるよりも、哲学対話の時間を導入して「問いかけ」を通して「他者」とコミュニケーションを取るという訓練をしてもらった方が良いと思います。
これは定期的に言っているのですが、大学院生は時間的な制約があまり無いので、どんなペースで研究活動をしていけばよいのか、目安を見失いがちです。そういうときには、「学会発表」や「論文投稿」という具体的なペースを作っていくと良いと思います。 締め切りに追われた人間は強いです(実体験)。
学振シーズンですね。 今、多くの大学院生が「日本学術振興会特別研究員」に採択されるべく、申請書を執筆されていると思います。 そこで、これまで複数の研究計画書(学振・助成金等)や出版企画書(講談社等)を通していただいた身として、いくつかコツ(意識すべき点)を書いていきたいと思います。
youtube.com/watch?v=mprI8m… 「バーチャルYouTuber四天王」の一人であるミライアカリさんが「VTuberとは何なのか?【初心者講座】」という動画を投稿されました。 僕はこの動画が投稿される前にVTuber論文を執筆してしまったので、大変緊張しながらミライアカリさんの動画を視聴したのですが、