なぜなら同じ時間軸を生きていないから。本当のパーソナリティというのは、リアルタイムに人間のみんなと同じ世界に存在していると認識できることだと思うんです。(キズナアイ2018、35)」 僕のVTuber論文のすべての出発点はここです。 やはり、キズナアイさんこそが、すべての出発点なのです。
僕のVTuber論文は次の言葉で始まります。 「じゃあ彼らはどうしてわたしが写っているものを「写真集」として受け入れてくれたのかというと、そこに「キズナアイ」がたしかに存在するからじゃないかと思っていて。たぶんアニメのキャラにはその意味で「実在する」とは言えないのかもしれない、(続)
フッサール研究者の富山豊さんから、博士論文を基にしたご高著『フッサール 志向性の哲学』をご恵贈いただきました。 もしかしたら、プロによる哲学書の「あとがき」でVTuberの名前が出てくるのは史上初かもしれません。 角巻わためさんの楽曲「My song」は、哲学研究の世界にも響いていたのですね。
そもそも、アカデミズムの世界においてすら、提出されるテーゼは常に「仮説的」なものであり、その後の批判に身を委ねるものです。それが知的な誠実さです。それは、社会が健全に回っていくために決して失われてはならない徳であると考えています。人々が、まず学問に耳を傾ける社会になりますように。
哲学若手研究者フォーラム編『哲学の探求』第50号にて、「VTuberの哲学」をテーマにした論文が掲載されました。 昨年八月に公開された『フィルカル』論文の直接的な続編になります。 無料で閲覧可能ですので、VTuberに関心のある方は、是非ご一読してくださいますと幸いです。 wakate-forum.org/data/tankyu/50…
人に研究内容の質疑やフィードバックをするときに、異常なほど強い言い方をする大学教員の人を知っているのですが、あれもいつかパワハラなどで問題になるんじゃないかなと思っています。 「内容が妥当ならどんな言い方をしても良い」みたいなの、本当に無くなった方が良いと思っています。
これは本当に声を大にして言いたいのですが、もし研究活動の中で大学教員から抑圧的・暴力的な言動(人を小馬鹿にしたり、揶揄するような言動も含む)に直面したら、すぐに信頼のできる別の大学教員の方にご相談されることを強くお勧めします。大学という世界は権威の塊みたいなところがありますので、
youtube.com/watch?v=mprI8m… 「バーチャルYouTuber四天王」の一人であるミライアカリさんが「VTuberとは何なのか?【初心者講座】」という動画を投稿されました。 僕はこの動画が投稿される前にVTuber論文を執筆してしまったので、大変緊張しながらミライアカリさんの動画を視聴したのですが、
学術研究には「対象を精緻に研究する際のアプローチ」が豊富に蓄積されていますので、まずはそこから手段を学んだり、自身の研究手法を吟味したりする方がよほど建設的だし、確実だろう……という趣旨です。 (その際、「哲学研究」というのは対象を分析する際の一つのアプローチでしかありません。)
あとは「アカデミックな作法」には「議論の仕方」も該当すると思っています。これに関しては現場で訓練を積むしかないと思っていて、それを集中的に行える空間が大学や大学院などでのゼミだと思います。もちろん、研究者と共に行う研究会や読書会に参加することで、そこでも訓練を積むことができます。
結局のところ、いかなる研究活動も一人だけでは絶対にできないので、様々な知識や知見を持ち寄ったり、建設的な批判・フィードバックを与え合えるような議論の場を作り、守っていくことが大切なのだと思います。 そうした意味で、私は一緒に読書会をしてくださっている方々にいつも感謝をしています。
この機会にはっきり言うと、私はVTuberを「キャラクター型」と「パーソン(中の人)型」の二つに分けるみたいな議論には反対です。なぜなら、普通「キャラクター型」の代表格は「ゴールドシップ」や「麻宮アテナ」のような存在であり、「中の人型」の代表格は「ガッチマンV」のような存在だからです。
昨日の懇親会の場で特に共感したのが、「本気でVTuberを追うと2人くらいしか観れない」というチームメンバーの一言でした。気づいたら10時間分くらいアーカイブが溜まっているのを全て観るのは、1人だけでも簡単ではありません。 「配信を追う」ということの困難さについて、昨日は盛り上がりました。
「対話は大事だ」とよく言われていて、私もそれに完全に同意なのですが、「対話を行うためには訓練(ないし準備)が必要だ」ってことが全然強調されてないのは、まずい状況だなと思っています。 「対話」は「心がけ」程度でできるようになるものではありません。非常に神経を使う共同の言語行為です。
ZOZO NEXTさんの「FASHION TECH NEWS」にて、「VTuberの哲学」をテーマにした記事を執筆しました。今月末に刊行される査読論文の内容をさらに膨らませています。事例としてたくさんの動画をご紹介したので、VTuberを知らない方でもおそらく面白く読めるかと思われます…! fashiontechnews.zozo.com/research/hirok…
だから、「クイズ王」的な知識披露型のエンタメ番組よりも、「これはどこまで信頼できる情報なのか?」、「本当にこの議論は論理的に筋が通っているのか?」といったことを「推論」・「推理」するような番組が制作された方が、これからの時代に求められる思考力にマッチするように思います。
査読論文の投稿とかで準備が無に帰する(=査読に通らない)とかは、自分の実力が原因だと思えるのでまだマシなのですが、「大学の非常勤講師をするためには大学の非常勤講師歴が必要」みたいなシステムを出されてしまうと、「まぁ運とコネだよね」としか思えなくなるんですよね。所属研究室ガチャ。
(つまり、「また相手を論破してしまった」という間違った自己認識をその人は獲得する、ということです。)