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かかりました。彼らはこちらを見て笑い、小声で何か言ったり小突きあったりしながら、去っていきました」
「乳房を部分摘出して入院していたときのこと。手術後の数日間、毎朝7,8人の男性医師にベッドを取り囲まれました。手術の経過を見るためとはわかっていても、パジャマをたくしあげた状態で胸
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い、女性たちのために自分が医師になろうと決心したのでした。
拙著『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』でも、吟子さんの颯爽とした生き方を描いています。
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生理中の女性を「穢れた存在」として小屋へ隔離する風習は、日本各地にありました。1960年代まで小屋が使われていたところもあります。
小屋に隔離、切ない記憶:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/DA3S1… #
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70年代まで多くの企業•団体に存在していた「女子若年定年制」を思い出します。
女性差別として訴えられたある企業の主張をまとめると、「おばさんは陰気で意地悪で不潔で鈍いからサービス業に向かない。そもそも女は能力が低いのに更年期を迎えるとますます使えなくなり、雇い続けると企業↓ twitter.com/Velcro_t/statu…
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週1回非常勤講師をしてる大学で、ナプキン発売当時は生理のこと「アンネ」と呼んだんだよと教えたら、リアペに「私たちは『血祭り』と呼ぶことがあります」と書いてきた学生が数人。
生理や月経と言うのが恥ずかしくて「アンネ」と呼んだ当時とは、隔世の感。
他にもおもしろい呼び方ありますか?
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兵庫県明石市は、生理用品を学校で配布したり、駅前の多目的トイレに置いたりするそうです😉 asahi.com/sp/articles/AS…
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女性にとってデメリットの多い日本髪をやめ、「束髪」を広めようと立ち上がった人たちがいました。 福島県の西会津町出身の渡邉鼎(かなえ)と石川暎作です。 彼らは 明治18年(鹿鳴館竣工の2年後)に「婦人束髪会」を結成し、啓発活動を始めます。
(写真は文化遺産オンラインより)
#朝ドラらんまん
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初潮がきて絶望した女子、お赤飯炊かれてイヤだった女子、山ほどいますよ。 twitter.com/tatiwowasan/st…
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男子なら、そもそも酌さえ要求しなかったかも。
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高橋瑞さんをご存知ですか❓女人禁制の医学校に直談判して入学。女が医者になる道を切り開き、妊産婦が命を落とさないよう尽力した人です。いま「女医」は不適切用語ですが、拙著ではあえて使っています。「女医」が誕生してから135年。現在7万人の女性医師が活躍しています。 fujinkoron.jp/articles/-/2243
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生理が来ただけで憂鬱に感じる子が多いのに、使用済みのナプキンを持ち去る輩がいると知ったら暗澹たる気持ちになるだろう。
ナプキンを安心して捨てられる環境は必須。 twitter.com/tanakahikaru77…
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自転車と言えば、明治、大正時代には、月経中は乗るべきではないとされていました。
ミシン、乗馬、汽車に乗ることも禁じられていました(上流階級限定。「下層社会」の女性は鈍感なので、月経の影響を受けづらいとされていました) twitter.com/Cristoforou/st…
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拙著『明治を生きた男装の女医』の主人公、高橋瑞さんの親戚の方からお手紙をいただきました❣️拝読し、感激しています😭本を書いてよかったです。
男装の女医・高橋瑞の波瀾の人生「あとに続く女子医学生たちのために自らを標本に」 fujinkoron.jp/articles/-/2243