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ん?「あーぶくたった煮えたった」って実在する遊びの歌なの?小説でこの歌を歌いながら遊ぶシーンを読んだことあるけど作者の創作だと思ってた…そんな遊びしたことない……地域差??この遊びされた方っています?
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「宴会で皆が楽しんでいる場合は真面目にしすぎるのは良くない。程よく羽目をはずせ」「冗談でも汚い言葉は使うな」「身分の上下、貧富を問わず、公平に声をかけろ」「いくら酔ってても他人の膳に手をつけるな」これらは北条重時が元服ホヤホヤの息子にあてた覚え書きです。宴会マスターじゃないか。
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小四郎(満41歳)くんへ
初対面でパーソナルスペースに入り込んで、ごく軽いさりげなーいボディタッチをし、満たされない心の隙間に入り込み感情を急激に同調させてくる女子はだいたい、良くも悪くも計算高い女です。 ※一個人の感想です
#鎌倉殿の13人
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トキューサ「無数の和田義盛が集まっています」
さすがプルップを編み出した男、センスが違う
#鎌倉殿の13人
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信じられないかもしれませんが、この数年後、義時と平六とその仲間のおじさん達が三寅ちゃんを囲んで手鞠の会を開いたことが吾妻鏡に記録されています。若者はあえて参加させなかったそうです。
#鎌倉殿の13人
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鎌倉の闇の中でいきる北条兄弟姉妹の中で、トキューサがメンタル病んでる様子もなく冷静なの一番やばい。さすが六波羅探題からの連署になる男。
#鎌倉殿の13人
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平六があんなに拗らせてたとは知らなかった。でもアレを見て、平六が義時に勝てなかった理由もわかったね…。平六が義時を見ていたとき、義時は鎌倉を見ていたんだもんね…その時点で負けてるんだよね。それが不幸か幸運かは分からないのが皮肉だが。
#鎌倉殿の13人
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わかんないけど、平六の襟をさわる仕草は義時が「思いと言葉が別の時、あいつはいつもこうする」と思っているだけなんだよね?本当にそうなのかは語られていないのがミソだなと思っている。この平六の癖が義時によって語られることで、視聴者も義時と一緒に疑心暗鬼になっていく……
#鎌倉殿の13人
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初代将軍のナレーション、どれも面白いけど「こんにちは。足利尊氏です」を「麒麟がくる」でやられたら腹筋崩壊してた自信ある。「将軍が京を追われ、西へ東へ駆けまわるのは我が家の伝統です」とか話し出したら噴き出したと思う。
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万寿くんが突然頼家さんになっている理由ですか?それは吾妻鏡が頼家さんの元服記事のことをわすれているからですよ
#鎌倉殿の13人
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1月27日は源実朝の命日です🙏
そう、『寒いんだよおおお!』のあの日です
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「寒いんだよおおお!」という伝説のセリフで賑わう我がタイムライン。伝説のセリフが発されたあの事件の日まで、あと3日だよ皆さん……
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やっぱり2032年に御成敗式目800周年記念大河ドラマ北条泰時やろうぜ?
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鎌倉殿最終回でうっきうきでお茶飲みながら吾妻鏡を読んでいた家康。前回の一向一揆回からどうやったらあのうきうき家康が出来上がるのか謎でしたが、お葉さんがお気に召してうきうきしてた時期だったことが明かされた回であった。鎌倉殿ラストからのロングスパンが回収されましたね
#どうする家康
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鎌倉殿の13人は今殺伐真っ最中だけど鎌倉中期には鎌倉武士が集まって源氏物語研究したりしてたんですよ…(はやりに便乗)
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私は鎌倉クラスタなので室町時代や戦国期の武将を見ると「あ、この子は○○の子孫だ!」と思うのですが、鎌倉殿を見ている戦国クラスタさんたちは「あ、○○の先祖だ!」と呟いてらして、約300年の時を超えてタイムライン上で出会った感がある。
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今回の義経を見ると、前回の秀衡おじいちゃんの「止めたとて行くのであろう」という発言が、ほんとにほんとに心から文字通りそう思ったんだろうなと分かりました
#鎌倉殿の13人
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信長「この家の者をよーく見張れ」
五徳「えびすくいを一番踊り慣れているのが酒井忠次、踊らないと思いきや歌えるのが石川数正、意外とちゃんと躍るのが本多忠勝、飄々としたまま踊るのが榊原康政、動きのキレが良いのが信康、そして踊らないのが」
信長「そこではないが、キャラは掴めた」
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さっきの慈円のかえし、的確に後鳥羽のコンプレックスをついたのでは…?「似たもの」って要するに……権威が欠けてるってことでしょ…?
#鎌倉殿の13人
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トキューサ、たぶん真面目に「(太刀もちのはずの義時がここにいる理由は)聞かないであげて」って言ってるのになんか面白い
#鎌倉殿の13人
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あのドラマではそこんとこはあまり強調されなかったが、三浦はもともと北条より格上の大豪族で、大豪族のぼっちゃんとして生まれた平六が義時に「お前を超えたかった」と言っていたのかと想像すると、格別の滋味がある。味わい深い。
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この井戸に落っこちた事件は吾妻鏡1202年12月が元ネタですね
#鎌倉殿の13人
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これが北条泰時伝説の「証文は全部チャラだ!」事件です。吾妻鏡を見てみよう!
#鎌倉殿の13人
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義時と離縁した後、比奈ちゃんこと姫前は上洛し、源具親という公家に再嫁します。二人の間に生まれた子を、義時と姫前の子 朝時が猶子にしています。そして朝時の同母弟 重時は六波羅探題時代に源具親と交流していた記録が残っています。姫前亡き後も繋いだ縁は残るのです。
#鎌倉殿の13人
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時房は それこそ赤子の頃からりくさんと同じ館で暮らしていたし、泰時よりはりくさんに愛着があるのかもしれんな…とりくさんとの再会シーンを見て思った。そして時政と継母りくさんの手元で育った時房が愛嬌モンスターに成長するのは分かりみが深い
#鎌倉殿の13人