【トーダイの歴史】 日本統治時代、旧日本海軍は島の要所に灯台を建てました。1936年に建てられたとされるこの灯台は、太平洋戦争中に破壊されてしまいました。
日本はだいぶ暖かくなってきましたか⁉️常夏パラオでは年中海を楽しめます(ロングビーチにて)☀️😎
【トーダイの歴史】 灯台横には将校、士官らの居住区がありました。娯楽スペースは時々島民の集まりにも使用されていたそうです。診療所では島民の診察も行っていたそうです。往時が偲ばれます。
週末のロックアイランドでは青い空と海に囲まれてゆっくり過ごすのがパラオスタイル☀️🏖️
4月24日(日)パラオ日本人会によるコロール市内「旧海軍墓地」の清掃が行われました。
ウーロンチャネルはスノーケリングも楽しめます。黒く見える所は枝サンゴです🪸🪸
【やさしいパラオ語】アクムララ シャバル エルメイ 「私は日本から来ました」はパラオ語で「アクムララ シャバル エルメイ」🇵🇼パラオで買い物をしていると「どこから来たの?」✈️と聞かれることもしばしば。ぜひパラオ語で日本から来たことをアピールして見て下さい🇯🇵
一日の終わりにこんな夕日を見られると、嬉しくなります☺️今日も一日お疲れ様でした!🫶
うっすらですが二重の虹がかかりました🌈
パラオの人はきれい好きが多いのか✨庭先や沿道をお掃除する人をよく見かけます🧹
サンセットクルーズの夕食は釣ったばかりのお魚で作ったお寿司🍣とフライドチキン🍗いただきます✨
5月8日(日)、パラオを訪問中の林外務大臣は、コロール市内の旧海軍墓地を訪問し、太平洋戦争の戦没者の慰霊碑に献花を行いました。
【日本語由来のパラオ語】休み場(ヤスンバ) パラオ語で休憩するところを「ヤスンバ」といいます。木や葉でできたヤスンバは日陰になっていて海風が吹いて心地よいです。
【水上偵察機】パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)沖の水深約12mに沈んでいる「アイチ製E13A零式三座水上偵察機」。連合国側コードネームはJake。離陸後すぐにエンジントラブルで着水したため比較的機体の原型を留めています。
今日5月19日はパラオ高校の卒業式🎓日本語クラスで優秀な成績を修めたケイリー・スミヨス・アドルフ君には日本大使賞が贈られました✨おめでとうございます!
【水上偵察機】PPR沖の水上偵察機の狭い操縦室。操縦手・航法員・電信員の3人乗りで長距離偵察任務を担った飛行機だったそうです。年月を経てサンゴ等がびっしり付いています。
ある日の「日本・パラオ友好の橋」のたもとから望む夕日。たくさんの人が車を停めて、夕映えのひとときを楽しんでいました😊
【日本語由来のパラオ語】幼稚園(ヨチエン) 戦前の日本統治時代に日本の教育制度が導入されたパラオでは「幼稚園」はヨチエン🏫小学校に入る前の子どもたちがヨチエンに通います。
パラオは5月頃から雨季☔️と言われますが、梅雨のような天気が続くのではありません☀️雨雲が去るとスッキリ青空が広がります🌈(ゲメリス島付近にて)
パラオからグアムへ向かう飛行機の窓から見えた虹。普段は深夜発のフライトがこの日は遅延し、おかげで早朝の空がきれいに見えました☀️
日本・パラオ友好の橋は、パラオで最も人口の多いコロール州とパラオ最大の島バベルダオブ島を結ぶ全長412mの重要な交通インフラです2002年竣工のこの橋は、1996年に崩落した旧KB橋を日本が無償資金協力により建て替えたもの。ODA白書2003年版で当時の様子を紹介していますmofa.go.jp/mofaj/gaiko/od…
【JPFブリッジ竣工から20年】 日本・パラオ友好の橋の下にもサンゴ礁が広がっています。陸からでもカメやカスミアジが見られます。流れが速いので要注意⚠️
風がなく穏やかなある日のパラオの海。空と海の境界線がなくなったかのような、神秘的な光景に出会いました😌❣️
パラオの典型的なローカルのご馳走😊しばしば地元の植物をお皿代わりに使います🌱#エコ
昨日6月14日はストロベリームーン。パラオでは満月が夜空を幻想的に明るく照らし出しました。写真の奥に見えるのがコロールの街の灯です🌕