想田和弘(@KazuhiroSoda)さんの人気ツイート(古い順)

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ええ、消費者にまだ使える旧製品を捨てさせ新製品を買わせる戦略は、営利企業としては当然です。それが売る側の論理です。同時に買う側は買った商品をなるべく長く使いたいと思うのも当然です。不思議なのは、買う側までが売る側の論理を内面化し、それに意を唱える消費者を攻撃することです。 twitter.com/ELEVATE_IS300h…
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マスメディアと権力が結託することは残念ながら全く珍しくないが、大阪府と読売新聞社がそのことを明文化しわざわざ広報することは、さすがに尋常ではない。悪代官と三河屋が密約書や袖の下を公に宣伝するような所業なわけだが、普通、悪事は隠れてやるものでしょう。悪事のノーマライズを狙っている?
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やっちゃいけないはずのことでも堂々とやってしまうと、それを見てる人の何パーセントかは「あれって全然オッケーなんだ、隠してないわけだし」と思っちゃうようなところがありますからね。維新はその手をとても頻繁に使う。
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これで一般の読者が「そんな権力の広報紙なんかカネ払って読みたくない」と言って一斉に購読をやめるのであれば、読売新聞もこんな恥知らずな協定は結ばないのであろうが、たぶん購読者が減るとは思ってないし、たぶん実際には減らないのでしょう。最終的には読者の問題ということになります。
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愚挙としか言いようがない。原発が10万年にわたって環境にかける大きな負荷を無視してよいはずがない。欧州委がそのことを理解していないはずがないので、巨大な利権に突き動かされているのでしょう。→原発は「低炭素への移行を加速」 欧州委が位置づけ方針発表:朝日新聞asahi.com/articles/ASQ12…
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いったい何のために?悪夢です。→政府 学習履歴など個人の教育データ デジタル化して一元化へ | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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岩波ホール閉館を惜しむ声でTLが埋めつくされています。惜しむ人がこれだけ大勢いるのだから、クラウドファンディングか何かを立ち上げて、なんとか存続できないものでしょうか。ぜひご検討をお願いします。 twitter.com/iwanami_hall/s…
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なんだこれは。どうでもいいけど、男性トイレのマークにはどういう意味があるのか。しかも途中から消えるのはなんでだ。謎すぎる。何かがすんごくおかしいぞ。 twitter.com/kushiro_yasu/s…
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かつてNHKの番組を40−50本作った人間として言わせてもらうなら、編集の過程で「制作統括」と呼ばれる番組の責任者(たち)と何度も台本を書き直し、試写も行って、あのテロップにもちゃんとゴーサインが出ているはずです。
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ちなみに出演者等には編集中の番組や完成した番組を放送前には普通は見せません。
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少なくとも僕が作っていたころ(1997-2005くらいまで)はそうでした。
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ちなみに東京五輪の公式映画を撮って欲しいというオファーは僕には絶対に来ませんし来ませんでしたが、万が一来たとして、それを受けるかどうかの重要な基準は「編集権の有無」です。僕に編集権があるなら受けます。ないなら受けません。しかしIOCが監督に編集権を譲ることは僕には想像できません。
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ちなみに河瀬さんが使った「創作」という言葉が批判されてますが、ドキュメンタリー=ジャーナリズムととらえる考え方からすると違和感があるのでしょうが、作品ととらえる考え方からすると「あり」の表現です。英語では「creative documentary」という言葉もあります。
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ここ20年くらい、ドキュメンタリー界ではドキュメンタリーをどうやって客観主義の幻想と呪縛から解き放つかというのがひとつのテーマになっていると思います。僕の観察映画もそうで、客観的なドキュメンタリーなど存在しえず、あらゆるドキュメンタリーは主観の産物とだという前提から出発しています。
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ただし主観の産物だからといって単に恣意的になればよいのかといえば、そうではない。僕の場合、そこで「観察(よく観る、よく聴く)」という行為がポイントになります。なるべく先入観と予定調和を排して虚心坦懐によく観てよく聴き、その結果発見したことを素直に映画にするということです。
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そして僕の考えでは、よく観てよく聴く(観察)の邪魔になるもののひとつが台本です。テレビ番組では普通、撮影前に事前取材をして台本を書かされます。台本にはナレーション案まで書き込まされたりします。この台本を局側と何度も書き直してゴーサインが出て初めて、撮影に行くことが許されます。
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しかしこれをやってしまうと、作り手は目の前の現実をよく観てよく聴くことよりも、台本に合わせて現実を切り取ろうとしてしまう。予定調和に陥り、発見がなくなる。だからこそ観察映画では事前取材もしないし、台本も一切書かず、行き当たりばったりで撮影しようと決めました。
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とはいえ、虚心坦懐に観察すれば「客観的真実」が描けるのかいえば、土台不可能です。観察という行為には必ず主体(拙作の場合は僕)があり、その主体の視点で観て聴いた主観的な世界が描けるだけです。大事なのは目の前の世界に対して意識を開き、何かを学び、それを観客と共有することです。
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ですから僕は撮影や編集の際には「自分」をなるべく空っぽにすることを心がけています。予期せぬ展開に翻弄され、制御不可能になればなるほど、ドキュメンタリーは輝くものだと信じています。現実を飼い慣らそうとした瞬間、ドキュメンタリーも輝きを失います。
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毎日新聞の取材を受けました。岩波ホール、なんとか皆で支えて継続できないものだろうか。→想田和弘監督「映画界、文化芸術の敗北だ」 岩波ホール閉館にまさか - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
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これ、不思議ですよね。自民党と公明党が組んでも「野合」とか言われないし。いったいどういうことなんでしょう。 twitter.com/levinassien/st…
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橋下氏が大阪市長時代に市の全職員に対して思想調査を行ったことを、みんなもう忘れたのだろうか。まあ、あのときもマスメディアや世間の反応は鈍かった。全体主義的な政治家が現れてどんどん勢力を伸ばしているのに、社会でもメディアでも警報が鳴らない。それが心底危ない。 jichiroren.jp/news/%E6%80%9D…
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橋下氏と維新の台頭、そして第二次安倍政権樹立の流れを評して、僕は「熱狂なきファシズム」と呼んだ。じわじわ、こそこそ、低温火傷のようにゆっくりと進んでいく全体主義。それは現在でも進行中で、どんどん重篤化してますよ。コロナ禍で一気に進んだ感もあります。
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橋下氏が大阪市職員に対して赤狩り的な思想調査を行った際に、マスメディアの反応を見て背筋が寒くなったのを今でもはっきりと覚えています。メディアは橋下氏を批判するどころか、「既得権益に果敢に切り込む凄腕市長」的な論調でした。正直「終わってる」と思いました。
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あれから10年が経ちましたが、その「終わってる感」は全然回復していませんし、常態化しています。だからあんまり驚かなくなっちゃった。今回のヒトラー発言で維新側を擁護することがいかに危険な行為であるのか、報道関係者やコメンテイターが理解していないことにも、全然驚きません。