ふるたか(@furutakatoyo)さんの人気ツイート(古い順)

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そういえば数年前に親族がうちを訪ねてきた際に、私が持っている陸軍の編上靴を見て 「これ家でもこないだ出てきたのよ!」 ふ「え!?どうしたの?」 「すぐ捨ててやったよ!うちのおとうちゃんな、弾当ってな6時間苦しんで死んだんやって。見たくもないわ!」 いろんな考えがあるなと思いました
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捨てられるゴミを大事な物だと考えて、バカにされようと対価を払って数十年も引き取り続けていた人がいて、ある日誰かに 「そのゴミには価値があると判った!貴方にはふさわしくない。こちらに寄越せ!」 と言われたら 「何を今さら」 と呆れ果てるのではないでしょうか。news.yahoo.co.jp/articles/324f2…
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相当昔の骨董市で、誰も買わないような物を集めている方がおられて、どうして集めているのか伺った所このような返答を頂いたことを思い出しました。 「いやー実はな、俺も興味ないんやけどな、でもな、こんなもん誰かが買っとかんと無くなってしまうやろ?そやから買ってるねん。それでええねん。」
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第一次世界大戦中、カナダ軍日本人義勇兵として欧州戦線に従軍した和歌山県人、特に日高地方出身者4人(尾浦氏、二井氏、浜出氏、原氏)の特集記事が19日付の日高新報に掲載されました。 私も少し協力させていただきました。 本紙では2面に渡って大きく取り上げられています。 twitter.com/p7V2UB8iSWozEZ…
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「結構立派な革の筒だから持ってるんだけどこれ軍用品かな?」 「これ日本軍の航空機から地上に落とす通信筒ですよ、後ろに長い紅白の吹き流しが付いてるんですけど無くなってるのが惜しいですね」 「・・・それ付いてたんだけど・・・変な布ついてるなと思って捨てちゃった・・・」 よくある話です
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女学生が特殊な畳み方をした手紙を学内で渡す文化は戦前からあったと思われ、例えばこれは昭和19~20年にかけて京都府立第一高等女学校の生徒間が学内でやりとりしていた手紙です。 当時から様々な折り方があったようです。 twitter.com/shigenowi/stat…
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普通の手紙も含めてまとめて数百通以上あるのですが、やはりノートの切れ端も多くそっけないものは花や星、イラストでデコレーションしてみたり色々なパターンが伺えますね。 紫の物は卒業時に書き合ったサインブックで、級友のメッセージとして各人の好きな物、嫌いな物などが書かれています。
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茨城県水戸市大町にあった水戸高等女学校の生徒用バンド こちらは大正6年制定の物で、海老茶色の袴とあわせた制服姿は同校のシンボルとしてあこがれの対象であったようです。洋装化は大正14年以降であったとか。 長らく現物を見てみたいと思っていたのですがご縁があったようです。
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知る限り最高レベルに短い袴を履いた戦前の女学生の例です。 膝丈どころか完全に膝上丈になっています。
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私は 「世界のキッコーマン醤油ボトルコレクター」 なのですが、友人が世界のコーラボトルを集めていたので、私は醤油にしました 写真は タイ・イタリア/スペイン・フィンランド/スウェーデン バージョンで、ご縁頼りでふわっと集めています。ポーランド/ギリシャ語バージョンを探しています。
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さわやかな青春映画のような一葉で、「丘を越えて」の世界ですね。 昭和13年頃、信州安曇野の女学生3人組です。 どんな毎日を過ごしておられたのでしょうか。
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宇宙戦艦ヤマトは知っていても戦艦大和が実在していたことを知らなかった人がいた事はさほど驚かなかったのですが 「大和には波動砲があるのにどうして戦争に負けたのか?」 という疑問にはその発想は無かったと驚きました。
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戦利品として外国に残る遺品と家庭から処分される遺品(多くは戦後に余剰を配布したような物ですが)は当のご遺族にとっても違った性質を持っているという視点は重要でしょう ある意味では処分された時点でご遺族にとっての役割は果たされた、という考えもあるかと思います news.tbs.co.jp/newseye/tbs_ne…
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傷痍軍人になるなどした場合、外見から判るとは限らないので、召集解除ではなく兵役自体が免除になったのだと周囲に示しておかないと 「あの家の息子さんは元気そうなのに再召集されないのは何故か?」 等と噂をたてられることを警戒して、近隣への報告と兼ねて作成されたのではないかと考えます twitter.com/himakane1/stat…
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今でもそうですが、身体、精神の障害って見た目で判るとは限りません。 特に情報伝達の手段が限られた昔は親族、近隣住民同士でも様々な局面で挨拶回りしないと誤解される部分は今以上に大きかったのではないでしょうか。
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もう少し書いておくと、当時は出征等に際して餞別を渡す風習が多くあり、内地に帰還した際に頂いた方には何かの返礼を、という風潮もかなりあったのではと思います。 盃などは多く現存していますが、このようないわゆる消えモノの食品も沢山あったのかもしれませんね。
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「これは何か軍隊の印刷物じゃないかな?」 と言われて渡されたのですが、昭和20年8月に牡丹江防衛で全滅した部下の消息を関係者に尋ねる元隊長の何とも切実な内容の手紙でした。
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袴の紐に安全ピンを付けている100年前の女学生 ちょっとしたお洒落だったのかと思いますがこの時代の着用例は初めて見ました 最初何かの徽章を裏からとめているのかと思ったのですがそうではなさそうで、安全ピンが見えるようにしているようです
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こちら戦前戦中の学校の法被なんですが、なんと背がフランスの白百合の図案「フルール・ド・リス」になっているという異色の法被です。 乃木高等女学校の関係者用と思われます。
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昭和10年頃当時の日本陸軍の歩兵についてごく基本的な兵器、被服、教練を解説した本を仲間と製作しました 「歩兵教程」と題しフルカラー118ページに渡り、美術、創作、歴史再現等に役立つ情報満載となっております 夏コミ13日東ロー39a にて2000円で販売しますので、宜しくお願いいたします #C100
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具体的には書きませんが 「疎開先で受けた戦時下の貧しい食事の思い出」 の例が実はその疎開先の地域では今だに行われている食文化の一つで、引き合いに出されて困惑している、というお話を伺ったことがあります。 汗 twitter.com/shoemaker_levy…
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知人の地元に「はらしょうさん」と呼ばれていたおじいさんが居て、きっと原田正一さん的な本名だろうなとずっと思っていたところ、ある日知った本名が全く違っており、家族に尋ねたところ 「あの人は抑留帰りでよくロシア語で「ハラショー」と言ってたのでハラショーさんなんだよ」と言われ驚いたそう
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日露戦争中に「金州丸」という輸送船が撃沈されて、乗船していた歩兵一個中隊がほぼ壊滅という事件があったのですが、当時の記事を読むとその名簿中に私の曽祖父の名前が! しかし曽祖父は生還しているのに同生存者中に名前が無く…戦死扱いに??? そこで気になって少し調べてみました・・・続く
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デニム生地で略帽型の帽子を試作してみました なかなかの平行世界感がある気がします やはりステッチがアクセントになりますのでどんな感じの縫製がいいか試行してみています 材料は手元のあり物で作りましたがせっかくなのでもう少し凝ってみたいところです