片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(新しい順)

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ときわ公園で出会ったスズメの親子。まだ巣立ったばかりの子スズメの口に、親スズメがやさしく食べ物を運んでいます。愛情あふれるスズメの子育てです(。・ө・。)
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公園で出会ったカワラヒワ。鳴き声がとても美しい鳥です(•ө•)
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見ごろを迎えたときわ公園の藤棚。長い花房が、湖から吹くさわやかな風に揺れています(^^)
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「なんじゃもんじゃの木」に、白い花が咲きました。昔、この木を初めて見た人が「これはなんじゃろう」と話し合ったことから「なんじゃもんじゃの木」と名付けられたという説があるそうです(^^)
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計画を立てるのはよいことですが、「この通りに進まなければだめ」と思い込むのはよくありません。計画通り進まないことに腹を立てても、よい結果は出ないからです。現実を計画に合わせることより、計画を現実に合わせることを考えましょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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山肌を覆いつくした色とりどりのツツジ。見事という他ありません(^^)
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「体が疲れて動かないときには、決してあせらないこと。『あれもしなければ、これもしなければ』とあせり、心を空回りさせれば、心まですり減ってしまいます。体が動かないときには、自分の限界を受け入れ、回復を待つのが一番です。」 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(教文館刊)
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アウシュビッツで身代わりの死を遂げた、聖マキシミリアノ・コルベにちなんで名づけられた薔薇「セント・コルベ」。よく見ると、花びらがハート形に開いていました(^^)
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見ごろを迎えた教会のラベンダー花壇。さわやかな香りが、初夏の到来を告げています(^^)
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平和は、相手との信頼関係の上にのみ実現しますが、暴力は相手との信頼関係を破壊します。暴力によって平和を実現するというのは、そもそも矛盾したことなのです。心を開いて話し合い、信頼への道、平和への道を歩むことができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美祢の県道沿いにて。レンゲの花が、畑いっぱいに咲いていました。花が咲き終わった後、畑にすき込んで肥料にするのだそうです(^^)
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教会の花壇のスズランたち。雨にも負けず、かわいらしい花を咲かせています(^^)
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教会の花壇で、ラベンダーの蕾が膨らみ始めました。まもなく開花です(^^)
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疲れがたまって仕事が思った通りはかどらないとき、いらだって腹を立てれば、状況はさらに悪くなります。そんなときには、自分の限界を謙虚に受け止め、残された力で何ができるかを考えましょう。あきらめさえしなければ、道は必ず開けます。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「間違いを指摘されたとき、言い訳して取りつくろえば、相手は『この人は間違った上に言い訳までする人だ』と思います。言い訳せずに事実を認めるなら、『この人は間違うこともあるが信頼できる人だ』と思ってくれるでしょう。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館刊)
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美祢の県道沿いで、まだ青い麦が風に揺れていました。風が麦畑を通るのが、目に見えてよく分かります(^^)
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雨の中に咲いたバラの花。やさしいピンク色に癒されます(^^)
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雨の中に咲いたスズラン。雨音に混じって、かわいらしい鈴の音が聞こえてくるようです(^^)
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「わずかな才能しかない」と嘆く必要はありません。たとえ小さな才能でも、磨き上げ、誰かを幸せにすることができたなら、その才能には限りなく大きな価値があるのです。与えられた才能を、大切に磨き上げ、輝かせることができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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見ごろを迎えた野生の藤。あちこちで山肌を紫色に染めています(^^)
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長正司公園の入り口にある藤のゲート。花房は短いですが、紫が濃くてきれいです(^^)
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豊田町の長正司公園で、今年も藤の花が見頃を迎えました。上品な紫の花房が、さわやかな春風に揺れています(^^)
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美祢の里山に広がるレンゲ畑。こんな景色を、昔はよく見たような気がします(^^)
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望んでいた学校や会社に入れなかったからといって、がっかりする必要はありません。そこで自分にしかできないことを見つけ出し、自分らしさを最大限に開花させることができたなら、その場所こそが自分にとって一番よい場所になるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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街道沿いで満開を迎えた、色とりどりのツツジ。毎年、この時期になると目を楽しませてくれます(^^)