これ、休日の秋葉原や新宿のアニメショップや中古グッズ店に行くとわかるけど、男性向けのコーナーで、美少女キャラに「かわいい」を連呼する女性の方、普通に見かけますよ… イベントとか行っても同じです
とあるYouTuberさんが、ネトゲの動画出してて「ネトゲ廃人を減らすには、ネトゲ規制じゃなくて、一度でも人生のルートから外れた者は再起不能にする社会を見直す方が効果ある。ネトゲが楽しいよりもリアルがキツいのでネトゲしてる感じなので」と言っていて、そうだなぁと思った。
今、国会に毎年のようにやってくる「児ポ法関係の請願」はアニメやゲームなどの「架空のキャラ」であっても「子どもに見える」という理由だけで「単純所持禁止(持ってるだけで逮捕)」にしようというものです。これを止めないと多くの絵師やファンが、実在の被害者がいない罪で捕まってしまいます。
今後、表現の自由戦士って煽られたら、この一言で返します「表現の自由という基本的人権を守ってるだけですが、何が悪いんですか?」
いつまでも宮崎事件の時代のオタクしぐさや、行動を続ける義務はないし、趣味をオープンにしても、あまり問題がない時代になった。これらは、一部の人にとっては都合の悪い話だろうが、オタクが潰されていた時代より、遥かに良くなったのは事実だ。
長年かけて、積み重ねてきた「自由」の風潮があるのに、それを差別的表現とか、時代錯誤と言って叩きに来る、そしてその人たちが「リベラル」や「多様性ある社会」という言葉を使っていることに驚愕している。 好きなものを好きと言える社会こそ、多様性ある社会には必要不可欠なのにね。
いろんな記事とか、ツイートとか、ネットの声を見てるとね「オタクへのヘイトはヘイトではない、正しい行為」って思ってる人は、割といるよね…
まぁ、とらのあなの件でも分かると思うけど、創作文化にとっての「脅威」って表現規制だけじゃない。経済的な理由も普通に脅威になるし、創作文化を支える会社にも、支援や対策をしていかないと、いくら表現の自由が守れても、中身から崩れるからなぁ
プリキュア見てる男性が気持ち悪いって、内心で思ってても、それを前面に出してるのはどうかと思うよ。男性プリキュアも出てきて、時代も変化してるのに、そういう人のせいで全部崩れちゃうんだよ。
国連女性機関のWebサイトを見てきた。今回の件を検索したが、出てこなかった。これはどういうことだ。 プレスリリースがなかったとの話があったから見に行ったら、本当になかった。どういうことだ。 誰が、国連女性機関の名前を使って抗議したのか。さすがに意味不明だぞ
個人的には「ポルノを取り締まる」というポルノにハマってる人がいると思う。エロで45るか、正義の味方になった快感で45るかの違い
私のことを冷やかしてくる人いるけど、放置してる 私の気持ちは「好きなアニメを児童ポルノと呼ばれ全国放送で叩かれた経験」や「自分の好きな作品が卑猥だからと広告撤去されたこと」がない人にはわからんよ
またラブドールがなんか言われてるらしい。未成年者を対象にした犯罪をなくしたいなら、取り締まるべきものは「ラブドール」ではなく「犯罪者」でしょう。簡単な標的を撃つなら誰でもできる。本当に子どものことを考えての活動ならば、ラブドール愛好家の批判より先にすべきことがあるはずだ
多様性を認めるって、自分の理解できないものや人がたくさん出てくるから、本気で取り組む場合、相当のスルースキルがないとキツいけど、今の多様性は、多様性と言いながら、理解されないものは暗黙に消す方針のものだから、全然違うものになってる。
議員が性表現を擁護すると、めちゃくちゃに非難されることがある、それでも性表現を守ってくれる議員は貴重なので、積極的に応援してます。
誰も「出演者の利益になる権利確保に関すること」なら反論も反対もしないですよ。そこから「表現内容」にまで介入を始めて、さらに正しい性行為がどうだとか説教を始めたから、さすがに「それは行き過ぎだろ」と言ってるだけなのよ。
駅などの公共の場に、萌え絵などの広告があることが気に入らないという主張なら、わかるんですけど、公共空間というのは、そもそも、いろんな表現や主張が交差する「不快な場所」なんですよ。不快であることを理由に排除や規制が正当化されると、他の不快とされたものにも影響が及ぶので、非常にまずい
なんか「ゾーニングが足りない」って暴れてる人、基本的に「どこまでゾーニングするか」は、個人の絵師なら、その個人で、出版社なら、出版社。倫理機構があるジャンルならその倫理機構が判断するっていう当たり前のことを忘れてるよね。業界のことを何も知らん人がゾーニングって本来はおかしい事だよ
これだけは知ってほしいです 犯罪者の「漫画のせいで犯罪に走ったんです」を許すこと、認めることは、一部の規制派に規制の根拠を与え、ガチの犯罪者に言い訳を見つけたと喜ばせる。その一方で、実在被害者救済のための社会資源が創作物規制に動員され無関係な表現者やファン、被害者が泣く事になる twitter.com/kai_anime6420/…
だから自主規制は怖いんだ 例え誰かに強制されたり、世論に逆らえず泣きながらした自主規制も「勝手にやった」にされてしまうからね 強制された自主規制の存在を考えられる人はまだまだ少ないんだよ―
「萌え絵が嫌いだから公の場から追い出せ」「こんな絵は生理的に無理だから私の前から消えろ」と言うと怒られるし、なんか悪い人みたいになっちゃうから「オタクは危険」「性犯罪者予備軍」ということにしたり「女性や子ども」を盾に特定の表現を消そうとする皆さん、私はそんな皆さんが嫌いです
表現の自由活動はビジネスじゃないでしょ。ボランティアだよ。何を言ってるのか。表現の自由活動と温泉むすめとかたわわは別物だよ。温泉むすめは地域の活性化とか、復興が目的だから間接的にはビジネスだろうし、たわわは出版社が出すからビジネスだろうけど、表自はビジネスじゃないわ。
性犯罪予防について 「性犯罪を許さない」  ↑当然 「性犯罪を減らすために、性教育や権利意識の教育を」  ↑当然 「性犯罪を減らすために防犯ポスターや防犯グッズを作る」  ↑必要 「性犯罪を減らすためにエロ萌えを規制したり、排除するよう仕向ける」  ↑創作物は直接の関係ないやろ
いずれ、オタク叩きに限らず、嫌いな人や属性を叩くことが、現代社会において、安価で手軽な短時間でできる趣味、ストレス解消になっているという話は、どこかでしたいと思います。 正義の味方や、正論パンチは気持ちいいので、どうしてもストレス解消目的に使う人はでてしまいます。
そのうえで、フェミニスト自体を嫌っているわけではないけど、一部の過激なフェミニズムやフェミニストが、オタクやクリエイターから避けられるのは、ある意味では仕方ないのよね。 ただ、私も、フェミニストって言うだけで叩くのは違うと思うけど、フェミニスト側にも、その背景は知ってほしいです。