松崎貴之(@gelcyz)さんの人気ツイート(古い順)

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全員メガネの蔵人で作ったお酒(笑)カワイイ。
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男装して上野の彰義隊に参加し、実際には九死に一生を得た一方でその時には生死不明とされたため名乗っていた「千葉茂雄」名で彰義隊の墓に刻まれた、剣客千葉周作の姪、「宇佐美もと」という女性がいたらしい。『大阪毎日新聞』T15.7.9。
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東洋製罐が国際パッケージデザインコンペティションで金賞を獲った漁船ツナ缶が素敵。
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顔ハメ(?)界の新鋭現る
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「10月10日はかつて『体育の日』だった」と言われ「かつてとは大げさな」と思ったら、ハッピーマンデー制度により固定日でなくなったのが2000年ですでに20年が経っていた。十二分にかつてだった。
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見つけるたびに買い増していたら「桜島大根」絵葉書が総選挙ができる一大コレクションになっていた。あなたの推しボーイ推しガールを見つけて下さい(笑)
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図書館のコピー機を占拠している年配の女性が別の男性に「まだかかりますか」と聞かれ、全く悪びれなく「一冊コピーしてますからねえ。前にもやって時間がかかったんですよ(ニコニコ)」と答えていて頭を抱える。
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流石に注意されたものの、「一部しか取っていませんよね?」という注意のため「もちろん一部ですよ!」と憤慨気味にコピー続行中(笑)
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ついに止められた。やはり、一部を部数と理解していたことが判明した。「あなたが必要な箇所を」と言われたら「私じゃなくて孫が使うんです」と仰っている。大変だ(笑)
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食品サンプルの神々が年に一度、ソラマチに降り給う。遊び心×神業の饗宴、イワサキ・ビーアイの社内コンクール作品展、#おいしさのアート展2021 皿から溢れんばかりの、というかもう皿から溢れたこの回鍋肉は豚肉一枚、キャベツ一枚、タレのしみわたる白米一粒、溶き玉子と割れた殻にまで表情がある。
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「三角関数より金融経済」の議員氏のサイトを覗くと、経済学部在籍時代を振り返り「旅とテニスに明け暮れた日々。机の上では学ぶことのできない、多くを学びました」とあり、机の上での学びの重要性、机の上での学びを軽んじた行く末をこうして身をもって体現しているのだと感嘆した。
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妹から届いた噴水に爆笑しているwww
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本メモ:宮間純一『国葬の成立―明治国家と「功臣」の死』
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古い絵葉書を探すなら古書市や骨董市、切手市などでドサッと箱詰めされた数千枚の絵葉書を何時間もひたすらめくる漁るというのが間違いなく楽しいのだが、世の人が思うより気力体力が必要でなかなか辛い。かつて新宿の京王百貨店の古書市ではなぜかロッキーのテーマがBGMの定番でよく励まされた(笑)
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「マル経」にハッとする
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あったかハッピープロジェクト、基本的な考え方からして「政府が一生懸命に少子化対策しているのに上手くいかないのは、結婚もせず、子供も持たず、自由でお気楽に生きたい奴らがいることが根本的に問題だ」という趣旨の凄まじいことを掲げ、この人たちに複雑な社会の舵取りを任すのは無理じゃね?感
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知らないとまさかこれが野田市市民会館だとは思うまい(笑)現在のキッコーマンに続く野田醤油の創業者のひとり茂木佐平治の広大な旧邸がこうして開放されている。地域の文化を支えているという矜持に触れた気がする。
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容器とはまさに「文化」そのものである。缶からびんにペットボトルに紙パックにレトルトパウチにと、東洋製罐運営の #容器文化ミュージアム には実にさまざまな容器がどんな背景と期待と技術を持って登場したかが紹介されている。戦地に缶詰でおせちを送っていたとは知らなかった。ボンシチュー! 1/n
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ムーを読んでねぇからだよ(笑)
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本当に実在したのかと目を疑う強烈な珍姓名が並ぶ。仙台在住の「人首切断」氏は確かに圧倒的だ。警視庁が調べて公表したというのは今の感覚ではなかなか理解し難い。会津の「黒鳩キン」氏は日露戦争のクロパトキンの当時の知名度があればこそのランキング入りだろう。昭和3年8月15日付『豊州新報』夕刊
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日清のカップヌードルといえば。水族館での「深海の水圧を知る」実験で犠牲になったカップヌードルの容器を大切に持っている。水圧を上げていくに連れて空気が抜け、このサイズにまで圧縮された。ハンドメイドの下手くそなミニチュアではない(笑)
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こんなところまで良品計画はデザインが終始一貫している。
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「国会図書館デジタルコレクション」のインターフェイスが一新され、スマホからでもとんでもない閲覧しやすさが実現している…!!(直近で昨日も検索していたため、あまりの落差に言葉をなくす。昨日までの苦労よサヨウナラ…)
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「チヤブ台が膳を征服した力の威圧を覚えずにはゐられない」面積がある一方で片付けるのは簡単で邪魔にならず、文机によし子供の遊び場によし。すっかりチャブ台の利便性に魅了され、お膳は「旧時代の遺物としか思はれない」大正5年6月1日付『都新聞』